公益財団法人 国家基本問題研究所
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第二回(平成27年度) – 日本研究賞 受賞者

寺田真理記念 日本研究賞
産経新聞PDF

2015年6月18日付産経新聞に、
第二回「寺田真理記念 日本研究賞」の
記事が掲載されました。
内容はPDFにてご覧いただけます。
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日本研究賞
エドワード・マークス (愛媛大学准教授)

「レオニー・ギルモア:イサム・ノグチの母の生涯」
(彩流社,2014年)

受賞のことば

エドワード・マークス

 日本の詩人、ヨネ・ノグチについての著作に取り掛かって約20年。息子のイサム・ノグチの父親であること以外、ヨネについてほとんど知られていない中、一時期、ヨネの“伴侶”であり、イサムの母となる、レオニー・ギルモアの映画化が進んでいると聞いた時には、興奮しました。映画が興味をかきたててくれなければ、芸術家の母というだけでは本は売れないと思っていたからです。

 映画監督の松井久子さんが日本中を精力的に回り、講演したり、資金集めの夕食会に出席、多くの支持者に献金や「マイレオニー」映画プロジェクトへの参加を呼びかけました。私自身もこのプロジェクト参加のムードに乗じて友人たちに日本語への翻訳に加わらないかと呼びかけました。

 ヨネ・ノグチのような無名に近い作家の作品の出版社を見つけるのが難しいことは分かっていたので、英語版については、対応の遅い大学出版を避けることに決めていました。日本語版の翻訳者たちは評判の良い出版社を見つけ、できれば資金協力も得よう、と張り切っており、それ故に、出版社探しは数年間に及んだ。しかし、翻訳が終わった時には、当初の楽観主義もほとんど消え失せていたというのが実情です。

 いわゆる学術的な本づくりというのは難しく、悲痛にさえ思われる。作者は何年間も調査と執筆に時間をかけたうえ、製作コストを下げることを求められる。出版社もまた、採算割れしないようにという困難に直面、そして編集作業や広報宣伝出費を抑えるよう迫られる。学術的な良書が書かれるのは小さな奇跡であり、それが見いだされ買い付けられるのは、大きな奇跡である。しかも、それが実際に読まれ、評価を受けるのは、さらに大きな奇跡である。況や学術的な書に賞が与えられるというのは、本当に期待できる範囲を超えており、人が生涯に一度経験できるかどうかという類の幸運といえましょう。

 この寺田真理記念 日本研究賞は私にとってだけでなく僅かな読者のために多くの時間を調査と執筆に費やした関係者すべての人たちにとっての感動です。そして、奇跡的な読者は存在し、我々が調査や執筆に費やす努力を評価する人々がいることを思い起こしてくれました。これは、学術出版の明るい側面です。

 この本の翻訳にあたって、ターゲットにするのは一般読者なのか、アカデミズムなのかという難しい選択を迫られたこともあるが、私としては、どちらかを選ぶべきかではなく、すべての読者のために本を作るべきだと考えました。日本研究賞を受け、私の選択が間違っていなかったと感じている。私としては、より多くの日本の読者に届くよう大変な労力を費やしてくれた翻訳者たちと、我々の仕事の価値を見出してくれた国家基本問題研究所に対し本当に感謝したい。

略歴

 1963年ロサンゼルス生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業、1995年、ニューヨーク市立大大学院を卒業、英語学で博士号を取得。ミネソタ大学の客員助教を経て、京都大学で五年間、客員講師を務めた。その後、カリフォルニアに戻り、そこで最初の作品「アイデア・オブ・コロニー:現代詩のクロス・カルチャー」(トロント大学出版、2004年)を発表した。松山市にある愛媛大学・法文学部人文学科英米言語文化論の准教授となり、今日に至っている。ニューヨーク・シティカレッジ、奈良女子大学、神戸大学、高知大学でも教えている。日本の詩人、ノグチ・ヨネについて論文など著作に取り掛かり、ノグチと家族に関する多数の文章を発表した。また、“When East Weds West”(東西が結婚する時)」(ボッチャン・ブックス、2013年)、続いて日本語版「レオニー・ギルモア:イサム・ノグチの母の生涯」(彩流社,2014年)を出版した。


日本研究奨励賞
デイヴィッド・ハンロン (米ハワイ大学マノア校教授)

「Making Micronesia : a political biography of Tosiwo Nakayama」
(ミクロネシアをつくる トシヲ・ナカヤマの政治的経歴 *邦訳なし =米ハワイ大学出版,2014年)


受賞のことば

デイヴィッド・ハンロン

 私の著作「ミクロネシアをつくる トシヲ・ナカヤマの政治的経歴」が2015年度「寺田真理記念 日本研究奨励賞」に選ばれたことは大変な名誉です。国家基本問題研究所の選考委員会の方々に感謝の意を表したい。ミクロネシア初代大統領、トシヲ・ナカヤマの物語が日本研究にとって意義があるとされたことは喜びです。また、ハワイ大学マノア校のジョージ・アキタ名誉教授の支援に対し感謝いたしたく思います。受賞を機に、近隣の大陸や国々とを結ぶ太平洋の歴史の研究をもっと広範に進める所存です。

 ナカヤマは、チューク環礁グループ(旧トラック諸島)の北西部、ナモヌイト環礁という小さな島で1931年、日本人の父と島の現地人女性との間に生まれた。日本のミクロネシア植民統治下で育ち、戦後、アメリカの太平洋信託統治下におかれたチュークの生活にもうまく適応した。ナカヤマは、独立の主唱者としてアメリカとの長期にわたる交渉で主要な役割を果たし、それは(パラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島の)自由連合盟約に結実、最終的にはミクロネシア連邦国(FSM)の創設となった。1979年、ナカヤマはFSMの初代大統領に選ばれ、以後8年間にわたり新しい島国の基礎固めに尽力した。

 トシヲ・ナカヤマにとって日本の存在は大きかった。父のマサミは横浜の出身で、港町の国際的な影響を受けていた。公私双方の目的で、ナカヤマは何度も日本を訪れ、FSM初期の時代に日本は外国援助や外交活動で重要な役割を果たした。米国との自由連合盟約を別とすると、FSMは1981年、日本政府から最初の海外援助を受けた。日本はまた、国連海洋法条約の下で漁業交渉を行った最初の国となった。

 ナカヤマがミクロネシアの日本統治時代に育ったという事実は、植民地主義比較や太平洋地域への日本の移住や植民の歴史に関心を抱くものにとって格好の研究テーマとなる。ナカヤマが活動した世界は広く、植民地主義の囲いや歴史の枠には収まりきれなかった。ナカヤマの生涯は結合と接続、過去とその継続にあって、先祖からの日本との繋がり、日本と諸島との関係、そして島国としての日本のアイデンティティーを考えさせずにはおかないものがある。戦争という事実をを越えた日本とミクロネシア諸島との多岐にわたる関係に対するいっそうの考察が待たれる。

略歴

1948年生まれ。平和部隊として1970年、初めて太平洋諸島を訪れた。妻のキャシーと共に、まず、ポンペイ島のウォネ村に赴任、英語教師を1973年まで滞在した。その後、1977年に再び同島に戻り、1980年までコロニアタウンのミクロネシア・コミュニティ・カレッジで教壇に立った。島に滞在中、地元の歴史的保存プログラムの顧問を務め、コロニア一帯の歴史遺産の目録作りを行った。
 ジョンズホプキンス大学の高等国際関係大学院(SAIS)で国際関係修士、ハワイ大学マノア校で太平洋諸島史の博士号を取得した。
 著書に、「石の祭壇:ポンペイ島、1890年までの歴史」や「ミクロネシアの再建:太平洋統治領の開発論、1944-1982」。「今日の太平洋を航海して」はジェフリー・ホワイト氏との共同編集。このほか、記事、評論、報告、解説など75本を書いている。
 現代太平洋「島嶼ジャーナル」共同創設者で、7年間編集長を務めた。その後、98年、太平洋諸島モノグラフ・シリーズの編集長に就任。現在、太平洋史ジャーナル、ハワイ大学出版の編集委員会のメンバーである。研究テーマは、ミクロネシア、伝道活動、開発、太平洋史編纂、異文化交流などの分野に及んでいる。2002年8月、ロバート・カイスト教授の後をついで太平洋諸島研究センター所長に就任、二期6年間を務めた。現在はハワイ大学マノア校歴史学部の教授。