公益財団法人 国家基本問題研究所
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国基研 講演会

2010.07.16 (金) 印刷する

【詳報】月例研究会 「菅直人氏の『思想』」

国家基本問題研究所は平成22年7月10日、緊急の月例研究会「菅直人氏の『思想』」を東京・永田町の星陵会館で開きました。菅直人首相の政治思想や国家観を分析したこの研究会は、参院選挙投票前日の土曜日に急きょ設定されたにもかかわらず、会場に312人(会員241人、一般54人、役員ほか17人)が集まり、関心の高さを浮き彫りにしました。研究会では櫻井よしこ理事長が問題提起をし、田久保忠衛副理事長が基調報告を行った後、と遠藤浩一企画委員が論評しました。詳報は以下の通りです。

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櫻井 今回の参院選は非常に重要な分岐点になります。有権者はよく考えて政党や候補者を選ばないと、国の将来を過つことになると思います。菅直人首相がどういう思想の持ち主なのか、そして、このような人を首相に頂く国家はどのような方向で運営されるのかについて、論じていきたいと思います。

田久保 本日のテーマに菅首相の「思想」とカギカッコを付けてあるのは、思想があるかどうか分からないためで、思想があるとすると、かなり危険なものだというのが私の結論です。

首相の思想を探る直近の材料は6月11日の所信表明演説です。この中で政治の師匠として松下圭一法政大学名誉教授を挙げています。松下さんとはどういう人なのか。それが菅さんの思想を探る一つのヒントになります。

外交・防衛分野では故永井陽之助青山学院大学名誉教授を挙げました。菅さんは東京工業大学卒業ですから、東工大教授でもあった永井さんと何かの研究会で一緒に勉強したのだろうと思います。このほか、2002年に菅さんは『月刊現代』に「救国的自立外交試案」という文章を書いており、これも材料になります。

松下先生の著書『市民自治の憲法理論』は難解な本です。理解しにくいのは当然で、憲法は日本という国の憲法であるはずなのに、先生は国家、国民という言葉が嫌いなようで、「市民主権」などと言っています。また、主権の主体を地方へ持って行き、国家を敵視しているような論文です。市民の自由や市民の人権を保障するのは「地方自治体機構」であると言って、国家の統治を否定しています。

民主党は今、「地域主権」を唱えていますが、松下理論に基づいているとすれば、気味が悪くなります。

菅さんの前任者、鳩山由紀夫前首相のスピーチライターだった平田オリザさんと官房副長官だった松井孝治さんの会話記録があります。そこで平田さんは「やはり21世紀っていうのは近代国家をどういうふうに解体していくかっていう100年になります。しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは公にはなかなか言えないわけで、それを選挙に負けない範囲でどういうふうに表現していくかっていうことが僕の立場」と言っています。

これに対して松井さんは「主権国家が国際社会とか地域の政府連合に自分たちの権限を委託するっていう流れ。流れとしてはそういう姿になっているし、そうしないと解決しない問題が広がっていますね」と言っているのです。これは明らかに国家を否定する思想ではないでしょうか。

国家を否定する思想には二つのルートがあります。一つはマルクス主義で、労働者を搾取する国家を打倒しなければならないという立場です。もう一つは徹底した理想主義で、国家主権がだんだんなくなり、国際社会は国連中心になるという考えです。菅さんの若い頃はどうも前者のようで、共産主義とは一線を画すと言いながら、それに毒された人ではないかと私は思っています。

菅さんは1977年に「社会市民連合」に参加しました。代表は社会党にいた江田三郎氏です。江田氏は「資本主義の構造(生産関係)に労働者が介入して部分的に改革を勝ち取り、次第に搾取の根幹を掘り崩す社会主義に陣地を拡大する」とのいわゆる構造改革論を唱えていました。もともとイタリア共産党のトリアッチ書記長が唱えた理論で、江田氏がこれに飛びつき、共産党や労農派マルクス主義にとけ込めなかった社会党左派が支持したのです。「労働者」を「市民」に置き換え、マルクス主義用語の「生産関係」を「地方自治体」と読み換えると、はっきりすると思います。

国柄を暴力革命によらずに変えてしまおうとの考えが。その江田氏を菅さんや、共産党を脱党して構造改革論を唱えた当時有名な運動家の安東仁兵衛氏が支えていたのです。あまり個人の思想について過去を問いたくありませんが、気になる点です。

中国を中心としたアジアの国際政治が冷戦終了前の主権国家間の争いやナショナリズムのぶつかり合いに戻るのではないかと懸念されている時代に、主権を国から地方へ移すなどというトンチンカンな考え方をするとは一体どういうことでしょうか。

国民の生命と財産、領土・領海・領空を守るのは軍事、外交、警察の力であり、しっかりした国でないといけないのに、菅さんはそれを無視した議論をしている松下さんを恩師として所信表明演説の冒頭に挙げた。皆さんには、この恐ろしさに気づいていただきたい。菅さんは東工大学生運動のリーダーでした。国旗国歌法案に反対しました。北朝鮮の拉致実行犯である辛光洙の釈放嘆願書に署名しました。この前歴から、国家や国家主権についてこの人はどう考えているのかという疑問が生じます。

永井陽之助先生の外交・防衛論も簡単に説明したいと思います。永井さんは著書『平和の代償』で、必要最小限の軍事力保持と、米軍基地の縮小、米軍の有事駐留を唱えました。その後、著書『現代と戦略』で、戦後日本の軽武装・経済重視路線を「吉田ドクトリン」と呼んで、高く評価しました。

しかし、吉田茂元首相は後年、「憲法改正と再軍備に踏み込んでおくべきだった」と側近の辰巳栄一氏に語っており、軽武装は本意でなかったのです。菅さんは今、永井さんのどこを学ぼうとしているのでしょうか。台頭してきた中国をどうするか、死に物狂いで考えなければいけない時に、永井理論から何を学べというのでしょうか。

菅さんが『月刊現代』に書いた論文は、基地縮小・有事駐留論です。米国を新首相が訪問する「参勤交代」をやめよという反米論でもあります。唯一の被爆国として軍事力反対の立場から国連安保理の常任理事国になるとも言っていますが、米国はじめ平和を望む国はこんな日本の常任理事国入りにこぞって反対するのではないでしょうか。小泉首相の靖国神社参拝にはもちろん反対しています。

結論として、菅さんは国家論、自分の国に対する姿勢がはっきりしない。外交・防衛政策では古ぼけた衣を身に付けようとしている。この人を陸海空3軍の司令官にしてよいのでしょうか。

遠藤 菅さんについて一言でいえば「ピンクのニヒリスト」だと思います。赤に近いショッキング・ピンク。しかし菅さんはその上に白いベールを幾重にもかけて、赤ではない、ピンクではないと意図的に演出しています。その時に持ち出すのが「第3の道」です。

菅さんが目指す「最小不幸社会」は二通りに解釈できます。一つは、ハーバード大学のジョン・ロールズという政治学者の議論を菅さんも援用しているのでは、という解釈です。ロールズは、ベンサムが言った「最大多数の最大幸福」を否定して、最も不遇な弱者の利益を最大にすることが正義だと説きました。

社会的弱者という特定階層の利益を最大化するという意味で、まあ、伝統的な社会主義的思想ですね。赤やピンクの人たちは、菅さんの「最小不幸論」は弱者の不幸を最小化してくれるものではないか、と期待するわけです。

しかし菅さん自身の発言を素直に読むと、どうやらそうではなさそうです。『菅直人 市民運動から政治闘争へ』(朝日新聞出版)という本で、彼は、マルクス主義を批判する文脈で、政治の役割はユートピアを人工的に作ることではなく、不幸を最小化する仕事だ、という趣旨のことを言っています。ここに表れているのは、功利主義的な世界観ですね。

功利主義的世界観をベンサムとは別の表現にしただけのことか、それともロールズのような階級主義的正義論なのか――、このどちらにも解釈できるのが菅さんのいやらしいところです。

その菅さんが代表を務める民主党は、再分配を極大化することによって――すなわち弱者の不幸を最小化することによって日本は再建できるという思想を背景とした政策を打ち出しています。そうすると、菅さんの「最小不幸社会論」とは、ショッキング・ピンクのユートピア論として解釈するのが正しいということになる。

しかし10年前、菅さんが第2次民主党の代表だった頃は「民主党は自由主義で小さな政府だが、自民党は社会主義経済の大きな政府だ」と言い放ち、しきりに「自立した市民」ということを言っていた。「自立」はいいけれども、なぜ「国民」ではなく、「市民」なのだろうか?私は民主党本部に出掛けて行って菅さんにインタビューしました。そこで、菅直人という人の正体が分かりました。

菅さんの主張は、職業的な属性から自立することが大事だということでした。医者とか農民とか労組員といった職業的な属性に閉じこもっているから小さな利害を政治の場で追求したくなるのであって、それを打ち破って公共の利益の追求を政治のテーマにすべきだというのです。

立派な意見です。それにしても、なぜ「自立した国民」ではなく、「自立した市民」なのか。菅さんは、「国家というのはアプリオリにあるものではなく、自立した市民によって作られるべきものだ。そのとき国家に対する潜在的な帰属意識は、むしろそれを妨げる働きをする」と言いました。

さらに彼に言わせれば、亡命という「文化」のない日本には、選択の自由がないというのです。要するに国家に所属するも所属しないも自由だというのが菅さんの思想なのです。国家論というより脱国家論です。

国家に所属することを宿命と感じ、国家に所属することを幸福に感じ、その国家に自らの人生を位置づける人たちによる共同体の中でこそ、最小不幸社会という功利主義的なロジックも生きてきます。菅さんのように、国家に所属するも自由、逃げ出すも自由という考えの人が「最小不幸社会」と言った途端に、ショッキング・ピンクの正体がばれるわけです。

田久保さんの繰り返しになりますが、そういう人が3軍の長であることが許されるのか、が参院選で問われている。われわれは深刻な場面に当事者として向き合うことを迫られているのです。

櫻井 お二人の話から見えてくるのは、国家を否定する菅首相の考えです。ドロドロの国家主義が渦巻いているアジアで、国家がもっと確立されなければならない時代に、わが国は正反対の方向に走ろうとしています。

残念ながら、わが国は日米同盟なしに国家の安全を担保できません。中国の脅威の前に、自ら望んでひれ伏すのか、強制されてひれ伏すのか、もし米国との関係が損なわれれば、そのいずれかの道を歩むことにもなりかねません。8月末の期限までに普天間代替施設の工法など詳細が決着しなければ、何が起きるのでしょうか。

田久保 米国は表向き「仕方ない」という態度を取るでしょう。なぜ仕方がないか。米国の対中政策は、中国を国際社会に取り込もうとする関与政策と、関与が失敗した場合に備えて保険をかける政策を同時に実行しています。保険には、米軍事力の強化、同盟関係の強化、友好国の増加の三つがあり、そのうち(普天間問題のせいで)同盟関係の強化が落ちても、米国はおたおたするわけにいかない。

だから「仕方がない」とあきらめて、少なくとも表面には出さない。欠落部分は米中関係の強化、あるいは韓国、オーストラリア、インドとの関係強化で補うことになるでしょう。日本は米国から、同盟国として役に立たない国だというレッテルを貼られるでしょう。

鳩山前政権の8カ月間で、米国の要人は日本をパートナーでないと思い始めている。しかし、菅さんはそれに気づかないと思います。既に申し上げたような国家観を持ち、46年前の外交・防衛論を手本にしようとする人には、気がつかない。気がつかないだけに、大変恐ろしい事態に一歩ずつ近づいていくことになります。国際情勢は待ってくれません。

櫻井 日本は国が滅びる瀬戸際に来ていると思わなければいけないのではないでしょうか。

遠藤 「主権」の概念を拡大して「地域主権」論を言い始めたのは松下さんです。主権というのは国家に固有の最高権で、それを分散させる主張には国家の解体という底意がある。こうしたいかがわしいスローガンが、民主党を介して全国に拡散し、いつの間にか知事会や市長会にまでオーソライズされている。国家の溶解現象が拡大しています。とんでもないことです。

田久保 国家がつぶれるかどうかは、国民が緊張感を抱くかどうかにかかっています。緊張感を持つ政治家が立ち上がり、それを国民が支えれば、危機を突破できるし、一流の国家になれると考えています。

会場からの質問 国民の中間層がピンク側へ取り込まれている状況について、真正保守勢力に反省すべき点、改善すべき点はないでしょうか。

遠藤 自民党が衰退したのは、結党の理念を忘れ、惰性でやってきたからです。安倍晋三さんは自民党総裁で恐らく初めて結党の原点へ戻ることを打ち出した人です。安倍さんはああいう辞め方をしたが、その理念そのものが傷ついたわけでは必ずしもありません。

民主主義国家における政治とは多数派の制圧です。「真正保守」を奉じつつも、多数派の形成への意志を持たなければならない。田中角栄の8分の1理論によれば、全議員の半分プラス1で政権を取れ、その半分プラス1で主流派を形成でき、その半分プラス1で主流派を牛耳ることができる。

つまり、「真正保守」は当面衆院480議席のうち8分の1の60議席プラス1を目指せばよいのです。それが分散していては、何にもならない。

田久保 自民党は国際情勢の変化に対応しないで、左の方へずれていきました。例えば、田母神空幕長の論文が村山首相談話を批判しているとみなして、空幕長の首を切りました。中山成彬氏が日教組を「ぶっつぶす」と言ったら、これは怪しからんと大臣から解任しました。

自民党の立場はどこにあるのでしょうか。国際情勢の大波に対応するには、保守勢力が自ら変わらないといけない。自民党が反省しないといけない。正しい方向が見つかれば、保守再編になるのではないかと思う。

遠藤 英国のサッチャーさん(元首相)は保守党の党首になって、保守主義の理念の再確認をしました。同時に、複雑な政策を分かりやすく広報することに政党のエネルギーの大半を注ぎました。自民党を含む日本の保守政党に求められるのは、まさにこの2点です。

デビッド・ロバートソンという政治学者が政党の戦略的位置に関する仮説を提示していますが、それによると、保守政党は左右の真ん中に、左派政党は真ん中と左の中間に位置づけられる。そこから、左派政党が政権獲得を目指すのなら保守票獲得が必須条件になるが、保守政党のレフトウイング拡大戦略は党内結束を乱すので百害あって一利なし、との教訓が得られます。これは今日の日本にも合致しています。自民党は左に手を伸ばし、自民党でなくなったことで衰退したのです。

櫻井 保守勢力はすぐに分裂する傾向があります。わが国の行く末を常に念頭に置けば、小さな相違は乗り越えることができると思います。その意味でも国民教育が大事だと思います。(了)