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2010.10.08 (金)

【提言】 金正日政権崩壊に備え 米韓との戦略対話と防衛協力を強化し、 「拉致被害者等救出特措法」を制定せよ

平成22年10月8日
一般財団法人 国家基本問題研究所
北朝鮮急変事態政策提言2

金正日政権崩壊に備え米韓との戦略対話と防衛協力を強化し、
「拉致被害者等救出特措法」を制定せよ

 
 金正日政権はより一層不安定化した。現時点で確かな見通しは立てにくいが、北朝鮮にはいつ非常事態が生じてもおかしくない局面に入った。われわれは早急に急変事態に対応する準備をしなければならない。
 9月の党代表者会で三男金正恩が後継者候補として公式登場し、実妹金慶喜が党と軍の高官として登用された1 。これらは、自身の寿命の限界を自覚した金正日2 が死後に自身の政治路線が否定されることを恐れて進めた血縁者による政権固めだ。それと並行して党政治局、党中央軍事委員会などマヒしていた党組織の再構築がなされた3 。しかし、金正日の思惑通り、その死後に正恩政権が順調に発足できるかどうかは不透明だ。
 昨年9月、われわれは「新政権は北朝鮮急変事態に備えよ 韓国による自由統一推進を戦略目標とし中国の半島支配を防げ」と題する北朝鮮急変事態政策提言1を発表した。この間、急変事態に備えて米韓両国と中国は、それぞれ国益拡大のための準備態勢に入った。我が国も歩調を合わせるべきだが当面は少なくとも以下のような備えを急ぐべきだと考える。

1.米韓両国と戦略対話を進め、実質的防衛協力が可能になるよう集団的自衛権に関する憲法解釈現実化、周辺事態法改定、交戦規定(ROE)整備などを行うとともに、事前調整と合同訓練を実施すること。
2.拉致被害者と日本人妻ら邦人の保護・救出のための以下の4点を盛り込んだ「拉致被害者等救出特措法」を制定すること。

① 政府は北朝鮮急変事態に際し、拉致被害者を含む邦人の保護・救出に努めなければならない。
② 政府は上記のため、平素から情報収集に努め、関係各国と緊密に調整準備しなければならない。
③ 防衛大臣は在外邦人の保護・救出措置を自衛隊に命令できる。
④ 保護・救出措置にあたる自衛隊は任務遂行のための武器使用ができる。


【詳論】
韓国にインパクトを与えた昨年の提言

 昨年9月の北朝鮮急変事態政策提言1でわれわれは次のように主張した。
 金正日の死後、北朝鮮で国内の統制がとれなくなる混乱状態、すなわち北朝鮮急変事態が起きる可能性がある。朝鮮半島はいま現状維持ではなく大きな変化の時を迎えようとしている。
 日本にとって望ましいのは、朝鮮半島における自由民主主義体制の拡大であり、異常な反日政策の払拭である。韓国が米韓同盟、日韓基本条約、核拡散防止条約を維持している限り、統一韓国は日本の国益に最もかなう。
 最善のシナリオ実現のための努力を積み重ねるべきだ。日本が犠牲と負担を避けて無責任な行動をとれば、日米同盟のきずなは弱まる。結果として米国が日本の頭越しに中国と協議し北朝鮮の従中政権を容認することになりかねない。逆に、日米韓の3国が朝鮮半島における自由民主主義拡大を共通戦略とし、北朝鮮急変事態に備えることができれば、中国の東アジアにおける覇権を抑えることができる。

 提言は韓国保守派に強いインパクトを与えた 4。昨年12月、本研究所は韓国に代表を送り、韓国の政府・軍・情報機関および民間専門家、脱北者らと真摯な討論を行った。そこでは、次の点でおおむね意見が一致した。①北の金正日政権が近い将来、崩壊して統制不可能な状況が生まれる可能性がある。②それが韓国主導の自由統一を実現する絶好の機会となりうる。③韓米日の戦略対話が必要。
 
 
北内部の潜在的反政府勢力と韓国内の親北左派
 北朝鮮には巨大な潜在的反政府勢力が形成されている。1990年代後半、配給停止により数百万人が餓死し、その結果、市場での商売によって生存を維持する階層が全人口の8割程度まで急増した。金正日政権は2009年11月に「貨幣改革」を実施して市場の力を弱めて統制力回復を目指したが、生存を賭けた住民の強い反発で失敗し、責任者を処罰せざるを得なかった。短波ラジオや風船ビラ、脱北者との連絡、密輸されている韓国ドラマや歌謡曲などにより、韓国が北朝鮮に比べられないほど豊かで自由であることも広く知れ渡ってきた。
 金正日の死後、権力中枢部では軍事を優先して対南解放を目指す金正日路線を継承しようとする金正恩勢力と、中国式改革開放の実施により北半部の一党独裁体制を守ろうとする勢力の対立が激化する可能性がある。その中で社会統制が一定程度以上緩めば、住民の8割を占める市場勢力が商売の自由、協同農場の解体、住民生活の向上を求めて動き始めることになる。その状況に対して韓国が主導的に働きかけるならば、自由統一を求める北朝鮮内の大きな流れができるだろう。
 米韓両国と中国は、すでに急変事態に備える政治的、外交的、軍事的準備を進めている。ただし、韓国内の親北左派は依然として強い力を維持している。李明博政権と与党ハンナラ党は中道を標榜して左派との戦いから逃げている。自由統一を求める勢力は約3割にとどまり、その声を代弁する政治勢力はまだ出現していない。2012年の大統領選挙は再度親北左派が勝利し、韓米同盟を破棄して北朝鮮との連邦制統一を企図する危険性も残っている。
 
 
米軍への実質的な支援ができない日本
 日本は政権交代後の不毛な政争もあり、戦略的対応がほとんどできていない。また、現在の法制度では、急変事態が発生した際、米軍への実質的な支援すら叶わない。集団的自衛権行使に関する政府の憲法解釈が、本来あるべき法整備を阻んできたからである。
 例えば、現行の周辺事態法では、米軍に武器・弾薬を提供できない。「戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備」も禁止されている。同様に、「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律」が適用されても、「乗船しての検査」は「当該船舶の停止を求め、船長等の承諾を得て、停止した当該船舶に乗船して書類及び積荷を検査」できるに過ぎない。海上自衛隊は「説得を行うため必要な限度において、当該船舶に対し、接近、追尾、伴走及び進路前方における待機を行うこと」しかできない。武器使用に関する厳格な縛りもある。本年制定された貨物検査法も、「日本船舶以外の船舶で公海にあるものについて」の検査や命令は「旗国の同意がなければ、これをすることができない」と規定するなど、実効的な措置を縛っている。結局、米国が同盟国に求める最低限の支援・協力すらできず、同盟関係の崩壊を招く恐れさえある。
 「民主党政策集INDEX2009」は「自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論に拘泥せず」との立場を明記した。ならば、過去の政府解釈に拘泥することなく、防衛関連法制を速やかに修正すべきである。
 
 
「拉致被害者等救出特措法」を制定せよ
 そもそも現行法制度のままでは、急変事態に際しての、邦人保護すら叶わない。法令上、在外法人の保護は外務省の所掌事務とされている。自衛隊は「当該輸送の安全について外務大臣と協議し、これが確保されていると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる」に過ぎない(自衛隊法)。安全が確保されていなければ、邦人救出どころか、輸送すらできない。
 急変事態となれば、政府は多数の在韓邦人を保護する必要に迫られるであろう。そうなってから、憲法解釈や自衛隊法を改正しても間に合わない。結果的に、邦人を見殺しにすることになる。拉致被害者はもとより、いわゆる日本人妻を含めた在朝邦人の保護・救出も叶わない。
 そうなる前に、「拉致被害者等救出特措法」(仮称)を制定し、これを根拠とした米韓を含む関係国と事前に調整・準備する必要がある。特措法には、以下の内容を盛り込むべきである。

① 政府は北朝鮮急変事態に際し、拉致被害者を含む邦人の保護・救出に努めなければならない。
② 政府は上記のため、平素から情報収集に努め、関係各国と緊密に調整準備しなければならない。
③ 防衛大臣は在外邦人の保護・救出措置を自衛隊に命令できる。
④ 保護・救出措置にあたる自衛隊は任務遂行のための武器使用ができる。

 こうした法整備は必ずしも政府の憲法解釈に反するものではない。もし違背するというなら、憲法解釈を是正すべきではないだろうか。事が起きてからでは遅い。
 本年8月に「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が首相に報告した「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想」でも「自衛隊は、平素から外務省や当該国当局との情報協力や連携を図りながら、必要に応じて危険にさらされた海外の邦人救出に努めなければならない」と明記された。加えて「日米安保体制をより一層円滑に機能させていくためには、改善すべき点が存在するが、その中には自衛権行使に関する従来の政府の憲法解釈との関わりがある問題も含まれている」「政府が責任をもって正面から問題に取り組み、事前に結論を出して、平素から準備をできる状態にすることこそが大切である」とも指摘されている。
 民主党政権下で設置された懇談会ですら、上記のごとく提言しているのだ。仮に、首相が問題を先送りし、法整備を怠るなら、重大な責任放棄となろう。われわれは、速やかな特措法制定を求める5

以上


1「金正恩」の漢字表記は10月1日、朝鮮通信が公表した漢字表記を使った。「金慶喜」については北朝鮮発行日本語文献の漢字表記に従った。なお、韓国・国家情報院は「金敬姫」という表記を採用しており、日本マスコミの多くはこれを使っている。
2 韓国・国家情報院の情報によると、金正日は脳卒中の後遺症、腎臓透析などのため1週間に2、3日しか通常執務ができないという。
3 金正日は労働党の公式組織を無視する個人独裁体制「唯一指導体系」を強調してきた。党大会は1980年以降開かれず、金日成の生前は年に1、2度開催されていた党中央委員会総会も1993年以降開催されていない。その意味で今回の党代表者会議と党中央委員会総会の開催とそれを通じた党政治局、党中央軍事委員会の再整備は、金正日の従来の統治手法と異なっている。
4 保守派リーダーの趙甲済氏は自身が主宰するインターネット新聞「趙甲済ドットコム」に全文掲載しただけでなく、今年1月に発行した著書『趙甲済記者の大戦略 2012年までに北韓政権打倒』でも自由統一への戦略を書く中でこの提言を全文引用紹介した。保守派のオピニオン雑誌『韓国論壇』(李度珩社長)も全文掲載した。
5 2010年10月3日、北朝鮮拉致「家族会」と「救う会」は合同会議を開き、金正日政権崩壊後の混乱状況に備えた拉致被害者救出のための法的枠組み作りを求めていくことを決めた。