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第91 回:平成23年5月30日韓国議員の北方領土訪問に制裁を(島田洋一)
「政争発言」は首相の延命助ける
拓殖大学大学院教授・遠藤浩一
某テレビ番組に出演した復興構想会議議長が、英国のマクドナルド内閣(1931年)などを引き合いに、「かつての日本は政友会・憲政会の二大政党が政争を繰り返したが、偉大な国は、国家的危機に際して挙国一致で対応してきた。日本も政争などしている場合ではない」と託宣して、野党議員から「政治学の講義ではなく、復興会議では具体策について議論してほしい」と窘(たしな)められていた。
復興構想会議については、「理念的な問題に多くの時間が割かれて、議論が拡散気味だ」という指摘も聞かれるが、要路を、政治家ではなく政治学者が占めるこの会議に、果たして、相応の構想力や実行力を期待することは可能だろうか?
≪政治主導という名の素人主導≫
同会議は復興の諸施策に関する決定権を持つわけではなく、「復興に向けた指針策定のための復興構想について幅広く議論を行」い、その結果を「復興に関する指針等に反映させるもの」(4月11日の閣議決定)でしかないということだし、諮問した官邸周辺では「政治主導という名の素人主導」が罷(まか)り通っている状況だから、端(はな)から具体策を望む方が間違いなのかもしれない。
そもそも、「政争などしている場合ではない」という一見中立に聞こえる発言が、政争の一方の当事者、すなわち復興を政権延命に利用しようとして憚(はばか)らぬ菅直人首相に与(くみ)したものであることを見落としてはならない。
むろん、歴史や過去の経験に学ぶにしくはない。人間は過去の蓄積の上に今を生きるものである。大正から昭和初期にかけてのわが国二大政党が政党間ないし政党内部の政争に明け暮れ、政党政治そのものを衰退させていったという事実は否定できない。
関東大震災も、政争の最中に起こっている。大正12(1923)年8月末に病没した加藤友三郎首相の後任として大命を拝した山本権兵衛は当初、挙国一致内閣の発足を目指したものの、各党派の思惑が入り乱れて難航した。しかし、9月1日の大震災を見ると、「内閣は一日も曠(むな)しくすべからず」と、一気に組閣し、内相に後藤新平を指名するとともに、急遽(きゅうきょ)設置した帝都復興院院長を兼摂させた。
≪首相が交代しても復興は成った≫
後藤は当初、復興予算40億円という“大風呂敷”を広げたが、批判にあい、11月下旬に8億7600万円の復興計画を策定する。が、これも帝都復興審議会(総裁=山本権兵衛)で議論されるうちに大幅に減額されてしまう。背景には後藤と政友会との対立があった。山本を奏薦した元老、西園寺公望は審議会をリードできない首相の無能を詰(なじ)った。山本は、4カ月後の12月27日、虎ノ門事件(摂政宮狙撃事件)の責任をとって辞任し、後継首班は清浦奎吾枢密院議長が担うこととなる。
さて、一連の経緯で注目すべきは、大幅に減額されたとはいえ、この復興策によって東京が近代都市として再生したこと、首相はこの間、わずか4カ月で交代していることである。われわれがいま歴史に学ぶべきは、政争を経ても、あるいは首相が短期間で交代しても、なお逞(たくま)しく復興を実現したというその事実だろう。
後藤はこの間、党派間の争いについて、(1)正当なる武器をもって行うべし(2)互いに対敵を尊重すべし(3)終始誠意を以て一貫すべし(4)公益のためには党派観念を去り自己利益を犠牲にすべし-、と注文を付けている。政党との争いに疲れ果てた心情が窺(うかが)えるが、逆にいえば、こうした要件が満たされるならば、党派間競争はむしろ積極的に展開されるべきもの、ということにもなる。
≪有能な内閣も重要な「工程」≫
身も蓋もない言い方になるが、政治家とは政争に生きることを本分とする人々である。彼らに政争をやめろと説いたとて詮無きことだろう。いま、復興策を策定する当事者に求められるのは、「政争はやめよ」とお説教することではなく、政争を引き受けつつ具体的・実体的な復興を推進するリーダーシップである。そこには、泥水を啜(すす)っても石を食(は)んでも成し遂げるという強靱(きょうじん)な意志と力が求められる。となると、この大事業はやはり、政治家こそが担うべきではないのか。
「復興に向けた指針策定」は、あくまでも内閣(政治家)の責任においてなされなければならない。問題は、その内閣に当事者能力があるかどうかである。権力欲は旺盛だが、場当たり的な対応を繰り返し、徒(いたずら)に現場を混乱させるだけの指導者に対して交代を促す動きを、「政争」という一言で片付けることはできまい。これは「公益」を実現しようという衝動である。
この危機に際して、挙国一致内閣は依然として有力な選択肢の一つと考えられるが、菅氏自身がその最大の障害となっていることを忘れてはならない。より有能で誠実な内閣をつくることも、復興に向けた重要な「工程」の一つなのである。(えんどう こういち)
5月27日付産経新聞朝刊「正論」
平成23年5月27日(金)研究所会議室にて、服部禎男元電力中央研究所名誉特別顧問と「低線量放射線の健康効果」について意見交換を行いました。服部氏は「国際放射線防護委員会(ICRP)の放射能安全基準はDNAの修復機能を無視している」と批判し、「がんはDNAの異常から発生するが、放射線量率が毎時10 ミリシーベルト(mSv)以下ならDNAは完全修復し、毎時100 mSv(あるいは毎時1000 mSv)以下ではがんにならないという学者の研究発表がある」と説明しました。さらに、「DNAの修復機能があるので、放射線量を積算して安全基準を設けるのは無意味」と強調しました。

富士に復興を見たフランス大使
比較文化史家・東京大学名誉教授 平川祐弘
「日本は民度が高いから、大震災の被災地でも混乱が起きません」とテレビで米国人が言った。米国では天変地異に続き、掠奪(りゃくだつ)が起こるらしい。1978年、「米東部で大雪」という天候の予報に続き「ボルティモアでは消防車輌の出動も難しく、しかじかの地域では掠奪放火が発生するだろう」という暴動の予報が出た。
かねて「風が吹けば桶(おけ)屋が儲(もう)かる」とは聞いていたが、それはあくまで冗談で「大雪が降れば掠奪が起こる」という連鎖反応がよもや文明国で起ころうとは思わなかった。だが予報は2種類とも見事に的中、ガラスを割られ荒らされた商店と憤慨する黒人店主の大きな写真が翌々日の新聞に出た。
よほど印象的だったとみえ、家内もその大雪の日の写真を憶(おぼ)えていた。「こんな予報を出すから、物を盗らなきゃ損という気分になるんだ。天災と違い、こんな人災の予報はしない方がいい」と私が言ったら、米国人に「危険発生が経験則で予測されるのに報道しなければ、それこそ責任怠慢だ」と言い返された。
≪関東大震災に似る外国人報告≫
どうもお国柄が違う。フランス革命といった暴動は日本では起こらない(そういう暴動を起こさないから日本人は遅れているというのが日本のフランス礼讃(らいさん)仏文学者の言い分だったが、さすがに近頃は言わなくなった)。
中国の記者は東北の被災地を見て「瑟縮中的温暖微笑」(寒くて縮こまっている中でも暖かい微笑がある)と感心しつつ報じた。そんな筆致が嬉(うれ)しい。今回の外国人記者の一連の現地報告が関東大震災の報告と似ていることに私は驚かされた。
ポール・クローデルは20世紀フランスの大詩人だが、知日派外交官でもあった。大正12年、東京の大使館で関東大震災に襲われた。地震のない国の出身だから恐怖も強かった。
「突然、戸がはずれる。箪笥(たんす)ががたがた揺れ始め、窓ガラスはぎしぎし音を立てる。手で時計のつまみを取り時刻を確かめる間にも、大きな揺れが鎖をはずされたように猛(たけ)り狂う。行き着くところがどこかまったくわからない。鼻の孔(あな)がかゆくなったときみたいなもので、くしゃみですむか命取りになるか、見当もつかない」
そして、クローデルは日本では人間は自分自身にではなくカミガミに属する大地の上に生きているとあらためて感じ、日本人の神道的な宗教的心性はこうした自然環境に由来する、と考えた。
≪炎の街横切ったクローデル≫
9月1日、大使公邸は倒壊しなかったが、在日フランス人の最大の居留地である横浜は被害甚大、湘南には津波が押し寄せた。避暑先の娘も心配だ。クローデル大使は自動車で出かけたが、多摩川の橋は渡れない。夜通し歩いて未明に横浜に入ると、居留地は瓦礫(がれき)の山である。小舟で沖のフランス船に行き情報を集め、陸に戻りフランス人の遺体に礼し、炎の燃え立つ横浜を後にした。大津波にあやうくさらわれるところだった娘に逗子で再会、両腕に抱きしめた。
「そのとき海はなんと美しかったか。そして空高く見えるのはまぎれもない富士山だ。孤高で静謐(せいひつ)な富士山が君臨していた」
帰京の途次、「廃墟(はいきょ)となり灰の砂漠と化した東京」を見た、「だがそこでは慎(つつ)ましいが、熱気に満ちた建設者たちの群れがすでに動き始めている」。驚愕(きょうがく)したのは竹橋に帰り着いたらフランス大使館が類焼で跡形もなく、詩人としてのライフ・ワーク『繻子(しゅす)の靴』の原稿も灰と化していたことだ。
クローデルの生々しい震災報告はフランス外務省にも送られたが、そんな切実な体験はクローデル『朝日の中の黒鳥』(講談社学術文庫)に収められた『炎の街を横切って』などに出ている。今度の震災で辛抱強い東北の人はわずかの援助にも感謝するが、同じ、いじらしい情景がフランス大使の報告にすでに如実(にょじつ)に現れている。
≪敗戦でも変わらぬ崇高な光景≫
クローデルは日本が降伏したときも、この破局から日本は再生できないのではないかと危惧(きぐ)した。日本のこの没落の責任は軍部にあるとしたが、そう述べた後、(ナチス・ドイツと同盟を結んだ日本帝国の敗北を祝賀するフランス人は多かったに相違ないが)それでも、クローデルは「主ハ諸国ノ民ヲ不滅ノモノトサレタ」と日本の再生を強く願った。
クローデルは仏紙、フィガロ上で、日本とその文化を愛惜し、「しかし、だからといって、冬の夕闇の中からくっきりと浮かび上がる富士山の姿が人間の目に指し示された最も崇高な光景の一つであることに変わりはない」とも述べた。
クローデルは関東大震災から復興した日本を思い浮かべ、日本が敗戦の廃墟からよみがえることを信じた。かつて生きていた娘と再会したとき、湘南の浜辺で遠くに富士山が見えた。原爆投下の報に接したときも、日本の不滅を信じるクローデルの心の目にはやはり皇居のお濠(ほり)端から遠くに見える富士山が思い浮かんだのである。(ひらかわ すけひろ)
5月23日付産経新聞朝刊「正論」
平成23年5月20日(金)研究所会議室にて、山名元(はじむ)京大教授と「福島原発事故が突き付けた課題」について意見交換を行いました。

山名氏前列中央
国家基本問題研究所は平成23年4月26日、東京・永田町の全国町村会館で月例研究会「日本は復興する」を開きました。登壇者は、櫻井よしこ理事長、政治評論家の屋山太郎理事と、渡辺周(民主)、稲田朋美(自民)の両衆院議員でした。会員359人、一般61人、国会議員8人(前職1人を含む)、議員秘書3人、報道関係2人、役員9人、スタッフ9人の合わせて451人の参加で会場は満席、熱気に包まれました。詳報は次の通りです。
全文はこちらよりダウンロード下さい。
浜岡停止要請の根拠
櫻井よしこ
5月6日夕方、菅直人首相が突然発表した中部電力浜岡原子力発電所の停止要請は、福島第1原発事故で生じた強い原発忌避の世論に巧みに訴えかける運動家としての面目躍如の決断だった。
メディアには、首相決断を「政治主導」として評価する論調が目立ち、在日韓国系金融機関の元理事から政治献金を受けていたことが判明して辞任直前だった2カ月前の状況が、まるでウソのようだ。
そんな中、首相の違法献金受け取りの告発が5月10日に東京地検特捜部に受理されたというニュースもほとんど無視され、「産経」社会面に報じられただけだった。
報道や世論で高く評価されている浜岡原発停止要請の根拠は「30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫している」ことだと首相は述べた。
数字は具体的であるがゆえに説得力をもちがちだ。首相が引用したのは文部科学省地震調査研究推進本部の数字だったが、首相が本部長を務める福島原発事故対策統合本部も、30年以内に震度6強以上の地震が起きる各原発の、今年1月1日時点での確率を発表した。
その中に興味深いもう一つの数字がある。浜岡原発の危険度が84%と際立って高いのは同じだが、福島第1原発の確率は0・0%、福島第2原発は0・6%となっている。
今年1月に発生率0・0%と分析されていた地域に、3月、マグニチュード9・0の大地震が発生したのだ。地震予知の難しさを示す事例であり、それだけにこの種の数字だけでは浜岡原発の停止要請は説得力に欠けると考えたのか、首相は6日夕方の会見で、「浜岡原発が東海地震の震源域内にある」ことをもうひとつの理由として掲げた。しかし、これさえも今回の事例に明らかなように、震源区域と見られていない場所で巨大地震が起きたことを考えれば、危険なのは浜岡だけで、他は安全だという首相の言葉の信頼性を支えるものではない。
一方、中部電力は寝耳に水の首相要請を重く受けとめた。火力発電に移行するために、たとえ年間2500億円の追加経費がかかっても、安定した電力供給のために死に物狂いの努力を迫られ、初めての赤字決算が避けられないとしても、彼らにとって首相要請を断る選択は、政治によるしっぺ返しと世論の原発不信の前ではあり得なかっただろう。
こうして、現在合計出力250万キロワットの4号機と5号機、定期点検中の3号機を加えると360万キロワットの浜岡原発は早晩停止され、東京電力向けに行ってきた75万キロワットの電力融通も止まる。電力供給が減少するなかで求められるのが他社の定期点検中の原発の運転再開である。
日本の原発54基中、大災害で15基が停止した。現在20基が営業運転中だが、内6基は夏までに定期検査で停止する。別の12基は定期検査ですでに停止中だ。さらに定期検査を終了して運転再開の予定だった7基がいま、東日本大震災と首相の浜岡原発停止要請の根拠の曖昧さで、再開延期となっている。日本の電力供給はまさに風前の灯、心許ない状況に陥っている。
再開延期の理由は、これまで再開に前向きだった九州電力玄海原発を擁する佐賀県の古川康知事や、関西電力美浜原発を擁する福井県の西川一誠知事ら各地の首長らが、浜岡原発と地元の原発の違いを住民に説明できないでいるからだ。原発の運転再開は地元住民や国民全般の同意なしには難しい。浜岡原発が否定されるとき、なぜ地元の原発だけは安心だといえるのかについて、合理的かつ詳しい政府説明を知事や首長が求めるのは当然だ。
対して海江田万里経済産業大臣は、「他の原発は安全上問題ない」との「見解」を表明し、「国がしっかりと責任を持つ」と述べるにとどまり、各地の首長や住民の疑問に答えていない。
首相発言の驚きは、個々の原発の安全性を無責任に論ずることにとどまらない。10日の会見で首相はいきなりエネルギー政策の大転換を宣言した。原子力と化石燃料に支えられる2本柱体制から、太陽光など再生可能な自然エネルギーを基幹エネルギーに加え、省エネ社会をつくるという4本柱体制にすると語った。昨年民主党政権が決定したエネルギー基本計画-2030年までに原発を14基以上増やし、CO2を出さない原子力などが総電力に占める割合を70%にする-という決定を白紙に戻すと宣言したのだ。
エネルギー戦略は、国防と外交に匹敵する重要事だ。決定には国益を踏まえた十分な議論が必要だ。しかし、首相宣言の背景にはそうした党内議論の裏打ちはない。国家戦略も見えてこない。
政府内で議論が行われた痕跡がまったくない中で、細野豪志首相補佐官は、首相は4月上旬から浜岡原発について考えていたとの見方を示している。首相は少数の側近とはかって浜岡原発停止要請への世論の反応などをひそかに探っていたとの見方も報じられている。国家のエネルギー政策よりも支持率挽回や政権の求心力回復を優先して思案していたと言われても弁明できないだろう。
政治主導の名の下に、結論だけがいきなり降ってくるのが菅政権だ。国益や国家戦略を欠いた首相の思考と、民主主義のプロセスをとび越えた首相の手法こそ、日本国が背負い込んだ最大の負の要素である。
5月12日付産経新聞朝刊「菅首相に申す」
平成23年5月13日(金)研究所会議室にて、山口建静岡県立静岡がんセンター総長と「放射能流出と健康の関係」について意見交換を行いました。
