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国家基本問題研究所

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為替取引は自己責任だ 会員 北秀司

 中小企業の経営者として一言。稲田龍示氏は、銀行が中期計画もない中小企業に長期物為替スワップ(為替デリバテイブ)を勧め、その損失で倒産が後を絶たないと銀行を批判しています。しかし、私の個人体験を述べますと、銀行に為替スワップを薦められ、得をしたこともあり、損をしたこともありますが、これはあくまでリスクを計算し自己責任でやるべきもので、損をしても銀行のせいには出来ないと思います。
 銀行は貸付業だけでは収益が上がらないので、金融商品は今後も証券業と同様に出てきます。私の経験では、デリバティブは収益力のある財務内容の良い企業を主なターゲットにしているはずです。リスクとリターンは背中合わせです。ソロスのようにヘッジファンドで大儲けする人もあれば、自殺に追い込まれる人もあるわけです。
 それより円天のように、投資で人を騙す詐欺会社が後を絶ちません、事件が起きてからマスコミが騒ぎますが、マスコミも事前に察知して詐欺のリスクを報道し、正直な人が騙されないようにすべきです。銀行は詐欺をしません。

野田新代表、安保危機どうする 田久保忠衛

野田新代表、安保危機どうする

杏林大学名誉教授 田久保忠衛  

 

野田佳彦次期首相誕生はご同慶の至りだが、一言申し述べたい。

 日本の防衛体制を国際環境の中でまともなものにしなければならないと考えてきた私は、「日本は経済一流、政治二流、防衛三流」の表現を長年、使ってきた。防衛を一流にしなければこの国の将来は危ないと案じたからだ。ところが、経済はズルズルと二流に転落し、政治は民主党代表選の過程でもはっきりしたように最低に堕(お)ちた。東日本大震災とそれに伴う福島第1原発事故に際し黙々と任務に従事した自衛隊はそのまま「一流」になってしまった。喜劇でもあり、日本の悲劇だとも思う。

 ≪イスラエルの首相を見よ≫

 世界第一級の政治家として、私はイスラエルのネタニヤフ首相を挙げたい。パレスチナ和平交渉の相談でワシントンを訪れた首相は5月24日に上下両院合同委員会で演説した。50分足らずのスピーチで総立ちの拍手が29回起きた。

 「あなた方(米国)はイスラエルの建国に手を貸す必要はない。われわれはすでに建国した。民主主義を輸出する必要はない。われわれはすでにそれを持っている。米軍を派遣する必要はない。われわれは自分で守っている。米国はきわめて寛容にも、われわれが自衛する仕事の手段を提供してくれている。イスラエルの安全への不動の支援に感謝する。経済が難しい時期にあるのは承知している。支援に深いお礼を言う」と聞けば、米議員は感動で唸(うな)るだろう。

 民主党政権が過去2年、永田町で繰り広げた狂乱は、日本がいかなる国際環境に置かれ、どう生きていかなければならないかの思考が停止していることを物語る。

 ≪思考停止の民主党政権2年≫

 自国を防衛する「国軍」を持っていない日本にとり同盟関係の象徴である沖縄海兵隊の普天間飛行場に関する日米合意を、鳩山由紀夫前首相はいとも簡単に足蹴にしてしまった。副総理として責任の一半がありながら後継者になった菅直人首相は、尖閣諸島沖の中国漁船体当たり事件で独立国家として考えられないような醜態を世界に曝(さら)した。日米中「正三角形」論などという奇怪な国際情勢観を鳩山氏と共有する小沢一郎元代表が北京、ソウル詣でで何をしたか、今思い出しても顔が赤らむ。

 政治が二流だとか三流だとか評価できるのはもう過去の話だ。党員資格が停止され、刑事被告人である小沢氏と、外交史上稀(まれ)に見る誤りを犯した鳩山氏が主要な役割を演じた後継者選びとは、一体何だったのか。野田氏の選出は幸いだったが、新聞、テレビなどのマスメディアも次元が低すぎる。

 代表選前日に事情通らしい著名な政治評論家数人が「候補の5人に共通しているのは舞台裏で裏技が使えないところにある」と、大真面目(まじめ)に議論していたのを視聴した。「裏技」が何を意味するのか理解できないが、これは日本の首相の重要な条件なのだろうか。

 5人の候補者の記者会見でのやり取りは、(1)復興と増税(2)経済政策、原発・エネルギー政策(3)マニフェスト(政権公約)見直し、国会運営(4)大連立、党運営(5)小沢氏の処遇-の5問題に限定されていた。国運を担うことになる候補者に外交・防衛に関する見解を質(ただ)そうとしない日本のジャーナリズムにも相当、問題がある。5人とも外交・防衛で日本を台無しにした鳩山、菅両政権の閣僚経験者であり現職が3人いる、と指摘した質問にだけは救われる思いがした。

 ≪中国の理不尽に理不尽と言え≫

 野田氏は29日の代表選で、EU(欧州連合)や米国の財政危機が日本経済に及ぼす危機を国難と表現した。その通りだが、中国が東シナ海、南シナ海、インド洋に及ぼしている危機を忘れてもらっては困る。6年前に当時の前原誠司民主党代表は米国での講演で、中国を「現実的脅威」と呼んだが、帰国後、民主党としてこの表現を取り消してしまった。中国とは隣国として交際していかなければならないが、理不尽は理不尽と、相手に伝えられないのか。

 野田氏は15日の記者会見で、いわゆるA級戦犯について、すでに法的に名誉が回復されており、戦争犯罪人ではないとの考えは変わらないと述べた。正しい指摘だ。靖国神社の秋の例大祭には是非参拝してほしい。中国は敬意を表し、自民党は仰天するに違いない。

 最後に、与野党議員全員に尋ねたい。東日本大震災と原発事故に対応できず迷走を続けてきた戦後日本の体制に問題はないのか。震災直後の自衛隊と米軍の支援がなかったら、この国はどうなったのか。自衛隊は災害対策のための存在なのか。8月24日に中国の漁業監視船2隻が日本領海に初めて侵入した。政治が動きの取れないお粗末な日本の意図を探ろうとした中国の試みと解釈するかどうか。

 イスラエルは建国来、生存を賭けた外交を展開し、日本に似て戦略的縦深性が浅い国であるところから国防に最大の重点を置いてきた。それを日本の政治家に真似似(まね)ろと説教するつもりはない。が、国際情勢に緊張感を抱かない、今の永田町の雰囲気による有形無形の被害は大震災を上回るだろう。(たくぼ ただえ)

8月30日付産経新聞朝刊「正論」

現状維持策では日本は衰退する 開かれた体制で自立心を養いたい 櫻井よしこ

現状維持策では日本は衰退する 開かれた体制で自立心を養いたい 

 櫻井よしこ  

 

 

7月30日の英「エコノミスト」が財政・経済問題を解決出来ない米国のオバマ大統領とドイツのメルケル首相の着物姿の風刺絵を載せ、「日本人になる(Turning Japanese)」と皮肉った。「西側社会における恐るべきリーダーシップの不在、しかし、どこかで見たような……」という副題には、日本人としての口惜しさを超えて、納得せざるを得なかった。

鳩山由紀夫・菅直人両民主党政権自体が日本の悲劇であるのはむろんだが、悲劇の元凶は民主党にとどまらない。この幾十年、わずかの例を除いて、日本の政治は、思考し、決断し、行動し、検証する能力を欠いてきた。

その結果をIMFの資料が突きつけている。1990年には世界シェアの14・3%を占めていた我が国のGDPは2008年には8・9%に、国民一人当たりGDPは世界ランキングで2000年の3位から08年の23位に、それぞれ落ち込んだ。国際競争力評価の年次報告書に見る凋落はさらに激しく、90年の1位から08年には22位に急落した。

日本は恒常的に力を失い続けている。とりわけ冷戦終結後の約20年間、世界が新しい制度を考案し、経済を成長させたのとは対照的に、日本だけが変化を活用出来ず、ほとんど成長出来なかった。シンクタンク国家基本問題研究所の研究員で東京国際大学教授の大岩雄次郎氏は、経済大国だという点も含めて、今日本は、自身の自画像を修正しなければならないと指摘する。

「02年から07年までの6年間の統計から輸出入が総需要に占める割合を平均値で取りました。日本の総需要に占める輸出の割合は14%、輸入は12・9%です。共に10%強でしかありません。貿易立国とはとてもいえず、日本は内需で成り立っている国なのです」

であれば、現状維持が続けば、日本経済がさらに衰退するのは人口の推移からも明らかだ。現在1億2,500万人の総人口は約40年後の50年に約9,000万人になる。40年間で3,000万人の減少は高齢化と同時進行だ。15歳未満の若い人口は現在全人口の18%強を占めるが、50年には9%に半減し、65歳以上の高齢者は22%から37%へと大幅に増える。

高齢者の増加は内需の減少を意味する。おカネはあっても欲しいものが少なくなるからだ。経済成長を望むなら、海外と積極的に切り結ぶしかないのである。その際忘れてはならないのは、日本にはまだ大いなる力が残されており、賢い選択さえすれば日本の可能性はすさまじく広がるということだ。自信を持ってよいのである。

日本の自画像のもう一つの歪みが、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)をめぐる議論から透視される。菅政権はこれを「第三の開国」と位置づけたが、日本はすでに世界の中でも最も開かれた市場中心の国家だ。大樹総研特別研究員の松田学氏が強調する。

「日本の平均関税率は世界的に見て最低水準です。工業品関税はほとんどありません。非関税障壁の高さが外国勢の事業機会を他国に比べて阻害している実態もありません。マネーの世界も同じです。むしろ現状は、中国資本による野放図な日本買収が懸念される状況にあります」

野放図で野蛮な自由が正しいのではない。自由は秩序ある自由であってこそ、真の自由だ。それを担保する設計が重要だが、問題は、日本が制度設計に噛み込めず、それだからこそ、せっかく開国していても、そのメリットを十分に享受出来ていないことなのだ。

そうなる理由は、戦後、安全保障や外交を米国に頼り、自分の頭で問題解決法を編み出す努力を、極度に怠ってきたからにほかならない。国防や外交のあり方は、国際関係の中で日本がどのような姿で立つのかということと同義だ。自分の姿を自分で決められない国が、時として軍事や政治をも凌駕する経済の枠組みを決めることなど出来るはずがない。

数字がここまではっきりと日本の凋落を示している以上、私たちは変わらなければならず、打つべき手も明らかだ。従来の発想をことごとく変えることである。挑戦と一方で新しい脅威に満ちた21世紀に、日本はどのような国になるのか、なりたいのか。新たな夢を掲げて果敢に切り込んでいくことだ。喫緊の課題の一つがTPPである。TPPを単なる経済ルールとして矮小化してはならない。政治、安全保障をも動かす経済の新しい枠組みとして、その戦略的意義を認識すべきだ。

周知のようにTPPはブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール4ヵ国の自由貿易協定(FTA)から始まり、08年に米国が、次いでオーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシアが参加した。

加盟国を見れば、日本の参加なしにはほとんど意味がないのは明らかだ。したがって、参加を迫られるという考えを捨て、日本の参加で初めて新しい枠組みが成立するという強い気持ちを持てばよい。

8月10日、初めて空母の試験航行に踏み出した中国は、軍事力を誇示し、アジア全体を席巻しようとする。だが、中国式価値観で支配されるのはアジアにとって究極の不幸である。アジアの秩序や制度は、一方的に主張を押し付け、国際法や契約も無視する中国式価値観に基づいてはならない。互恵尊重の精神と国際法にのっとった合理主義に基づかなければならず、それはほかでもないわが国日本の価値観である。

TPPの議論を通して、日本はアジアの求心力になるべく旗を掲げるのがよい。TPPの諸制度に日本式ビジネスを支える特質と価値観を生かす道をつくること。日本は決して、中国主体のアジア秩序におとなしい構成員として組み込まれてはならない。日本の価値観を主張し、米国との協力を成し遂げ、中国への大いなる牽制とするのだ。

TPPには例外品目がなく、100%の自由化が求められる。モノ、サービスのみならず、ヒトの移動も知的財産権の保護、強化もすべて含まれ、米国とのFTAと考えてよいだろう。それゆえに、参加すれば米国式の手法で日本は丸裸にされる、とりわけ日本の農業は潰滅すると警告する声もある。

だが、ここでも現実を見れば解決の道が開けてくる。日本の農業は決して弱くない。その生産額は世界第5位、先進国では米国に次ぐ農業大国だ。弱点がコメ農家である。平均年齢が65歳を超えて10年後には担い手がいなくなるといわれるコメ農家を守るために、歴代政権は補助金政策を取った。それでも耕作放棄地は増えるばかりで、補助金政策の限界は誰の目にも明らかだ。TPPへの参加不参加とコメ農家の惨状は無関係である。したがって、コメの産業政策は別途考えるのが合理的だ。

月刊「農業経営者」副編集長の浅川芳裕氏の論を借りれば、コメ以外の日本の農業は力強く育っている。40万戸の主業農家(農業所得が全所得の50%以上)が、日本人の消費する国産食料の大半を作り出している。酪農の95%、養豚の92%、養牛の92%、花卉(かき)の87%、工芸作物の85%、イモ類の83%、野菜の82%、麦の76%、豆の76%である。さらにいえば売り上げ1,000万円を超える14万軒の農家が日本の生産の6割を占めている。

彼らは隣に安値攻勢をかける中国がいても、反対に対中輸出を増やしてきた。同じことが世界に対して可能であり、その可能性をTPPによってさらに伸ばすのが政治の役割だ。福島第一原発の事故は日本の農産物の評価を下げたが、これはやがて克服されるだろう。守りの政策から、攻めの政策への方針転換をTPPで実現することで、日本の産業全体がよみがえる可能性が高まる。

内需の国から再び貿易立国に転換を図り、開かれた体制を日本の強みとし、日本人の自立心を養っていきたいものだ。

『週刊ダイヤモンド』   2011年8月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 900回記念拡大版

先人たちの祖国への想いを今こそ学び、伝えていきたい 櫻井よしこ 

先人たちの祖国への想いを今こそ学び、伝えていきたい

 櫻井よしこ  

 

もうすぐ8月15日、3・11の大災害に見舞われた今年はとりわけ多くの人が、日本と日本人のあり方について思いを巡らすのではないだろうか。

私は恩師の話をうかがった。新潟県立長岡高校で古文を教えておられた山本清先生だ。小千谷市の自宅で、大正末年生まれの85歳の師はかつてと同じく、端然とした様子で話された。

先生は終戦直前の昭和20年8月に前橋の予備士官学校に入り、特別甲種幹部候補生となった。

「長岡は8月1日、米軍の空襲を受けました。夜中に小千谷から見ると、長岡方向の空が真っ赤に燃えていました。親戚のことが気にかかり、自転車で駆けつけると、夜が明けた町の様子には言葉もなかった。柿川には幾体もの死体が浮いていましたが、熱さに耐えられず川に飛び込み、水の表面を走る炎に焼かれて多くの人が亡くなったのです。そうした惨状を見て、翌日、予定どおり、前橋で入隊しました」

そのときの気持ちを先生はこう語る。

「学生ですから世界の情勢はまったく読めていません。しかし、学徒動員で、群馬県太田市の中島飛行機で、すでに1年間働いた経験がありました。『キの84』、疾風(はやて)という飛行機の製造を手伝っていたのです。中島飛行機も2月10日の空襲で焼かれ、戦況がきわめて悲観的であることは感じていました。ですから、兵となることは戦って死ぬことだとよくわかっていました。それも受け入れよう、日本の窮状と故郷の人たちの苦しみを見て、若い自分たちが先頭に立たなければならないという使命感が先に立ちました」

入隊後、すぐに千葉県九十九里に配属されることが決まった。作戦目標は敵の上陸阻止で、浜に沿って50メートル間隔で「タコツボ」を掘り、携帯地雷を2個持たされる予定だった。配属命令が出るまで、群馬県榛名山の麓の相馬ヶ原で、タコツボ掘り訓練を受けた。榛名山の黒い火山灰を九十九里の砂に見立てて穴を掘った。相馬ヶ原を登れば伊香保がある。この地で20歳の若者は死を覚悟で約2週間を過ごし、敗戦を迎えた。予期していながらも、現実に敗戦を迎えると、人生の目標を見失ったような喪失感に襲われた。それでもしっかり生きなければならないと思い直したのには、ある体験があったという。それは故郷に帰る列車内での小さな出来事だった。

「列車は立錐の余地もなく混んでいました。東京から小千谷まで7時間、男はゲートル、女はもんぺ姿です。そうしたなかで、赤ん坊が泣き始め、泣きやみません。疲れといらだちから、『ウルサイ、乳を飲ませろ!』という声が上がりました。『お乳が出ないんです!』という母親の悲痛な叫び声も返ってきました。今のようにベビーフードがあるわけではない。母乳が子どもにとって唯一の食事です。それなのに乳が出ない。車内が一瞬、静かになったとき、列車後部から『お乳、あります!』という別の女性の声が聞こえたのです。すぐに、赤ん坊が皆の頭の上をスルスルと、まるでボールのように手渡しされていきました。身動きが取れませんから、私はどちらの女性の顔も見ていません。けれど、赤ん坊の泣き声はすぐに収まりました」

そのとき、先生は感じたという。敗戦で日本人は極限まで困窮し、不幸のどん底にある。自分たち若い者が防波堤になってこの人たちを守らなくてどうする、ウロウロ迷ったり落ち込んでいてはならない、と。やがて先生は國學院大學に復学し、民俗学を学んだ。民俗学の泰斗、折口信夫や柳田國男らが身近にいた。こうして先生は立ち直った。先生の物語には日本人として知っていなければならない宝物のような話がいっぱい詰まっている。日本全体が不安に揺らぎ先が見えにくい今こそ、先人たちが祖国をどのような思いで支えてきたかを学び、それを力となして、伝承していきたいと、私は願う。

ちなみに今回、お話をうかがううちに、かつて小欄で取り上げた日本初の公立小学校をつくった小千谷市の篤志家、山本徳右衛門は山本先生の祖父であったことも教わった。故郷の英雄はごく身近におられたのだ。

『週刊ダイヤモンド』   2011年8月13・20日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 899

菅首相辞任でも残る民主の疑惑 櫻井よしこ

菅首相辞任でも残る民主の疑惑 

櫻井よしこ

 

「最小不幸社会の実現」を公約した菅直人首相がいよいよ退陣するらしい。最小と不幸という、後ろ向きの標語を二つ掲げた貧乏神のような首相は、それでも、福島第一原発の事故対応を含めて「やり遂げた気がする」(「産経新聞」8月13日)と自らを評価する。

日本大学法学部教授の岩井奉信氏は、辞任するというので多くの国民は安堵していると指摘し、語った。

「国民もメディアも、菅首相に疲れきっている。ようやく辞めてくれるいま、次の首相に求められるものは癒しでしょうか」

癒しは万全の体制の下でのみ得られる。内政外交ともに大きく変化しつつあるいま、双方で万全の体制を構築するには、およそすべての分野で菅首相の理念と政策を真っ向から否定しなければならない。一年余、国家の指導者でありながら、国家観なき市民運動家にとどまった首相は、内向きかつ後ろ向きの視点しか示せず、経済活動を縮小させ、国家としての日本の力も引き出し得ず、歴史的な最大不幸を生み出し、ほとほと国民を疲弊させた。

にも拘わらず、「やり遂げた気がする」と胸を張るのは、強い自己愛ゆえに己れを客観視出来ていない証拠である。自身を相対化出来ない首相は、物理的に目を開けていてもすべてに昏いのだ。これでは東日本大震災と原発事故という有事への対処は無論のこと、平時の問題にさえも対処できない。常に言葉が走り、行動が伴わず、自己矛盾に陥る。クリーンな政治を標榜してきた首相の政治資金が黒い闇に包まれているのもその一例である。

首相の政治資金管理団体草志会から、日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する「市民の党」(代表酒井剛氏)と事実上一体の政治団体「政権交代をめざす市民の会」に、計6,250万円もの献金がなされていたことは過日の小欄でもお伝えした。8月11日の参議院予算委員会で自民党の西田昌司氏が新事実を指摘した。草志会は07年にめざす会に5,000万円を寄付したが、一時的に現金が足りなくなり、残金がマイナスになっていたというのだ。寄付は出来ない状況なのに、帳簿上は寄付されたことになっていたわけだ。

「資金を迂回」

「残高がマイナスになることはあり得ないんですよ。収支報告書の記載は出鱈目でしょう」と西田氏が問うと、首相は無意味にも反問した。
「なぜあり得ないんですか」

西田氏は、07年5月8日に首相の資金団体は357万円余の、また、5月14日には658万円余の残金不足になった一方で、草志会には借入れの記載がないことを指摘した。

残金がなく、借入れも起こしていないのに、多額の寄付が出来るはずはない。にも拘わらず、首相はなぜ出来ないのかと尋ねるのだ。「好い加減にしなさい」と西田氏がたしなめたのも尤もだ。ない袖は振れないのに振ったのは、どこかに隠し金があったのか、それとも帳簿を誤魔化したのか。いずれにしても菅氏の政治資金は灰色だということだ。民主党の政治資金の約85%が国民の税金の政党助成金である以上、この無責任さは許されない。

同件は不記載の可能性があるとして、岩井教授が指摘した。

「菅さんは、献金は党の業務だと説明しました。であるなら党がきちんと支出すればよいのです。そうなっていないのは、党として支出出来ない性質のカネなんでしょう。非常にスジの悪い資金移動です。民主党として払いにくいので、菅さん個人の政治団体に資金を迂回させ、そこから支払ったことが疑われます」

なぜ、こうまでして、北朝鮮や日本人拉致事件と関わり合いの深い政治団体に首相が献金しなければならないのか。めぐみさん拉致から34年、横田早紀江さんは、「神様はこのようなことは決してお許しにならない」と悲痛な想いを語っている。拉致問題解決の最も重い責任を持つ首相が、拉致実行犯の関係者を立候補させる政治勢力に多額の寄付をしていたことに、早紀江さんならずとも、国民全員が怒るのは当然であろう。

菅氏の巨額献金は民主党の政治資金のさらなる深い闇を明るみに出した。05年には市民の党系の地方議員ら17名が民主党衆議院議員の鷲尾英一郎及び小宮山泰子両氏に、申し合わせたように個人献金の上限である150万円を寄付し、鷲尾、小宮山両氏はこれまた判で押したようにその献金の全額に近い2,500万円を市民の党に各々献金していたのだ。

17名の市議は、右の両氏への寄付の他、市民の党などの政治団体にこの数年間、一貫して100万円前後の寄付をしていたことが官報から明らかだ。鷲尾氏らへの寄付と合わせると、一人一人の市議の寄付は年間500万から600万円となる。

完全に官僚の支配下

自民党の古屋圭司氏は、市議の給与とほぼ同等か、それ以上の高額寄付の原資はどこからきたのかと問う。民主党の複数の国会議員も菅首相も、市民の党との深い関係と資金の流れについて説明責任を果たすべきだ。だが都合の悪いことには蓋をする首相が説明責任を果たすことは恐らくないだろう。

こんな首相が辞任するいま、機能しなかった首相の退陣に安堵するのでなく、有権者たる国民は能力のない政治家や政党の言葉がどれほど信頼出来ないかを心に刻み込むのがよい。たとえば菅首相が拘った政治主導の確立と官僚主導の排除である。菅首相はどこまで目標を達成出来たのか。公務員制度改革の顛末から見えてくるのは、なす術もなく、以前と比較にならない官僚の勝手を許す結果に陥った菅政権の姿だ。

2年前の8月、民主党の政権奪取が明確になった時点で小欄でこの問題を取り上げ、首相と民主党の天下り禁止のスローガンが、天下りよりも尚問題の多い現役出向の受け入れに変わってしまうと警告した。

国家公務員法の改正は、安倍晋三政権に遡り、安倍政権は各省庁の大臣官房による天下りの斡旋を禁止した。一方菅首相は定年前の官僚の天下り斡旋は禁止したが、現役出向を許して抜け穴を作った。菅首相と仙谷由人前官房長官による現役出向制度の問題点を、公務員制度改革に詳しい屋山太郎氏が喝破した。

「公務員の身分を維持したまま企業に出向出来るとしたことで、天下り禁止は完全に有名無実化し、役所に不必要な中高年の官僚はいまや大手を振って企業に現役出向し、高給を食めるのです。菅首相は脱官僚と言いながら、逆に完全に官僚の支配下に置かれ、後ろ向きの改悪を受け入れてしまったわけです」

菅政権の終焉は一日でも早いほうがよいと断ずるゆえんである。いま必要なのは、菅首相の理念と政策のすべてを真っ向から否定し、日本をまともな国にする政治である。

『週刊新潮』 2011年8月25日号
日本ルネッサンス 第473回

野田氏の使命は民主党より国家の再建だ 遠藤浩一

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第104 回:平成23年8月29日 野田氏の使命は民主党より国家の再建だ(遠藤浩一)

 

 

 

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銀行の為替デリバティブ取引は問題だ 弁護士 稲田龍示

 円高が中小企業に想像を超えるダメージを与えている。為替デリバティブ取引が大きな原因だ。今年の円高倒産件数の過半数もこれに起因する。ここでいう為替デリバティブ取引とは、5年、10年という長期間、毎月または3か月ごとなど定期的に外貨(主に米ドル)を購入する外国為替予約取引である。
 通貨オプション、クーポンスワップ、為替予約と名称や形式は幾つかあるが、実質は同じで、問題のある特約が付いているものも多い。リーマン・ショックのあった平成20年までに開始された為替デリバティブ取引で、中小企業はその後の円高により約2万社で数兆円とみられる莫大な含み損を抱えている。
 金融担当相は金融ADR(裁判外紛争解決手続き)による解決が適切だという認識を示したが、取引実態を把握しないままでは臭い物に蓋をするに等しい。
 為替の変動は誰にも読めないから、長期間継続的にドルを買うような契約をするのは賭博になる。(例外は長期の外貨建て債務が確定しているような限られた場合である。)為替デリバティブ取引による損失は賭けが裏目に出ただけなのだ。
 銀行は中小企業に対し、為替リスクのヘッジになるからと為替デリバティブ取引を勧めたが、2~3年先までの中期経営計画すらない中小企業に、5年も10年もヘッジが必要な具体的な為替リスクはそもそも存在しない。銀行の指摘した為替リスクは、賭博に引き込むための仮想にすぎなかったのだ。しかも、銀行は中小企業が気づかないところで、大きな利ザヤを得ていたから、銀行と中小企業のこの勝負は、中小企業にとって最初から勝ち目が薄かった。   
 銀行法など法律上の表面的な根拠があったとしても、経済的な合理性や必然性の乏しい、投機性の高い金融デリバティブ取引は賭博罪に該当し得るとするのが金融法の世界では確立した考え方だ。銀行による中小企業に対する為替デリバティブ取引の勧誘は、未成年者に売ってはいけない商品を、未成年者を選んで売りつけていたようなものだ。
 金融庁は、賭博罪に該当するような取引が、デリバティブ取引として行われていないかという視点での金融検査を行うべきだ。個別取引のサンプル検査を行い、問題のある取引をした銀行については厳正に行政処分を行い、場合によっては刑事告発までするというのでなければ、やり得を許すことになり、事後的規制で正義を貫徹することはできない。

黎明期の新幹線と中国高速鉄道 平川祐弘

黎明期の新幹線と中国高速鉄道

 比較文化史家、東京大学名誉教授 平川祐弘  

 

黎明期の新幹線と中国高速鉄道

 戦前、幼稚園で私は汽車の絵を描いた。蒸気列車も描いたが、流線形がはやり出した頃で電気機関車も描いた。東海道線には特急「燕」が走っていた。最後尾の展望車は子供の夢だが、そんな特急には1等はおろか3等も乗ったことはない。

 それでも、昭和14年2月、神戸から乗船して洋行する父を東京駅頭で見送った。母も神戸まで父に同行したので、残された小学1年生は淋(さび)しかった。

 ≪国鉄、投下直後に広島走る≫

 戦時中の国鉄職員に私は敬意を抱く。原爆投下の日のうちに広島を山陽本線は走った。終戦を私は金沢で聞いた。中学2年生は朝日新聞支局へかけつけ、「阿南陸軍大臣ハ自決セリ」の貼紙を見た。証明書を担任から貰(もら)って切符を買い、翌朝金沢を発ち、直江津、長野で乗り換え、17日朝に帰京した。大空襲の直後は赤茶けていた焼野原に緑の草が生えていた。

 昭和29年9月の夜、熊野灘で台風に襲われた。国鉄青函連絡船洞爺丸は沈んだが、私はそのままフランス船で留学した。1年分の奨学金で5年間、留学できたのは通訳で稼いだからだ。

 滞仏中、世界をリードしたフランス国鉄が各国関係者を招いて成果を披露したことがある。パリに向かう特急の機関車の速度計が140キロを指したとき、日本側は感嘆の声を洩(も)らした。「つばめの平均時速は65キロだぜ」

 1955年当時の日本は貧しく、国鉄代表団はパリでエレベーターのないホテルに泊まり、英語で用を足すつもりだが通じない。アルマン総裁の秘書が学生寮にきて「通訳してくれ」と頼む。私は戦争中の特別科学組のおかげで、仕事に向いていた。

 ≪仏製買わず独自開発した日本≫

 日本側は東北本線を交流電化する、狭軌用交流機関車を買いつけるという。「いいお客が来た」とフランス側は色めく。それから連日、私たちは機関車や工場を見てまわった。100輛(りょう)以上は売れる、と相手は大歓迎だ。

 だが、最後の交渉で日本側は「1輛買って後は自前で造る」と言う。「1輛だけ狭軌用に特別に造るのでは採算がとれない」とフランス側はいきりたつ。シュネデール社が業界の意見をまとめ「20輛買ってくれ」。「5輛なら買います」と日本側は言い張って破談となった。通訳の私が矢面に立たされた。「日本の技師は機関車を買うといって工場を視察してまわったが、実は買う気はないのだ。技術を盗みにきたのだ」

 それくらいで技術は盗めはしない。だがこんなことが起こった。国鉄技師が帰国して1年経(た)つと、日立が試作に成功し、さらに1年経つと、「日本の交流機関車をインドが買った。入札でフランスが敗れた」。そんな体験から、私は明治以来の日本の産業化の意義を感じた。

 フランス側は嫌みをいったが、そんな中で新幹線の生みの親、十河(そごう)信二国鉄総裁は立派で、通訳を使って話しても相手を感服させた。フランス国鉄総裁用の客車が提供されたが、冷房がついていた。当時はまだ、窓を開けて涼むのが世界的に普通だったから、私たちは驚いたのである。

 国鉄労働組合への同情を失ったのは、やはり通訳しながら、「闘士」に幻滅したためだ。といって法学部出身の官僚も大したことはない。

 列車編成簡易化のために、世界の鉄道は1・2・3等制を一斉に1・2等制に改めた。そのとき、「2・3等制にします」といって新聞の非難を回避するような姑息(こそく)な手段が上手なのが、日本では能吏なのである。そんなノウハウを戦後の法学士は尊重するようになったが、はたしていいことか。また、1・2等制にするといえば、「3等切り捨て反対」と騒ぐ日本マスコミの紋切り型の批判も愚劣ではないのか。

 ≪盗作罷り通る国の特許申請≫

 私は律義な理工系の技師が好きだった。今回の大震災で東北新幹線に脱線事故はなく、死傷者は出なかった。立派だ。原発事故でも現場で頑張るエンジニアの工場長には敬意を表するが、経産省や東電の法科系の口先だけの役人などには嫌気をおぼえる。

 科学技術は普遍的だから、発展途上国が追いつき、追い抜くことはある。古代中国は火薬などの大発明で知られるが、近代は有名な発明家がいない。特許で保護されない限り、発明に打ち込む意欲が湧かないからだ。

 ところで、科学技術と違い、人間関係を操作する文系の技術は各国の文化や体制によって異なる。中国の強権的体質を露骨に見せつけたのが温州の追突事故の事後処理だ。壊れた車輛を地中に埋め、閉じこめられた幼児の生存を確認せず救出作業を打ち切る。それでいて「中国の高速鉄道は世界一」とスポークスマンが胸をはる。

 国内では盗作が罷(まか)り通る中国だが、そんな高速鉄道が特許を諸外国に平然と申請する。一見、笑止のようだが、これも中華ナショナリズムのあらわれだ。恐ろしい国である。(ひらかわ すけひろ)

8月24日付産経新聞朝刊「正論」

「決断できない日本」 石川弘修

 

 

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第103 回:平成23年8月22日「決断できない日本」(石川弘修)

 

 

 

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中国空母時代の到来を見据えよ 平松茂雄

中国空母時代の到来を見据えよ

 中国軍事専門家・平松茂雄  

 

 中国は、1990年代初期に購入して改装した旧ソ連製航空母艦ワリヤーグ(約6万トン)の試験航行を、10日に行った。中国が空母の時代に入る意味を、わが国は真剣に考えなければならない。

 中国の最高指導者は、空母が単なる戦闘の手段ではなく、極めて有効な政治的手段であることをかなり早くから認識していた。

毛に染み付いた空母への執念

 49年10月の中華人民共和国誕生を前に、米国は中国大陸には関与しないとの立場を表明し、東アジアの防衛線として、アリューシャン列島から千島列島、日本列島を経てフィリピンに至るラインを敷いた。「アチソン・ライン」である。朝鮮半島と台湾は防衛線の内に入っていない。他方、中国は建国当初から、「台湾統一」の意思と計画を持っていたものの、台湾海峡の渡海作戦を行うだけの海空軍力に決定的に欠けていた。

 50年6月に朝鮮戦争が勃発すると、その戦火が台湾に波及することを恐れた米国は、「台湾海峡の中立化」を宣言して空母を派遣した。米防衛線は一気に、韓国と台湾にまで西進したのである。

 その後も、米国は中国による台湾侵攻を阻止すべく、ことあるごとに中国に対し、核で威嚇したほか、空母を台湾海峡に派遣して軍事威圧を加えた。55、58の両年の2度にわたり大陸沿海の島(一江山島・大陳島、金門島)をめぐって中国人民解放軍と蒋介石軍が戦った際などが、そうだった。

 72年2月のニクソン大統領の訪中が切り開いた、79年1月の米中国交正常化は、必然的に東アジアからの米国の後退を促していく。米空母のプレゼンスはしかし、なおも維持された。中国の悲願である「台湾統一」は、今日に至るまで達成されないできている。

 このように米国の核と空母の脅威にさらされ、さんざん煮え湯を呑(の)まされてきた経験から、空母に対する執念は建国初期の段階から毛沢東らに染み付いて、後の指導者たちに受け継がれてきた。その保有計画が具体化したのは、核開発が進展した70年代に入ってからである。73年から国連海洋法条約の討議が始まって、世界が「海洋の時代」に入ると、中国も海洋進出に乗り遅れまいと、空母保有に向けて動き始めたのである。

「海軍発展戦略」で本格化

 保有計画が本格化するのは、86年に「海軍発展戦略」が作成されてからである。「海軍発展戦略」の概略は、こうだ。2000年までの第1段階で、各種艦艇の研究開発・建造と人材育成を行う。20年までの第2段階で、大陸基地発進の中距離航空機部隊と攻撃型通常潜水艦を主要な攻撃力とし、ヘリコプター搭載中型洋上艦船を指揮・支援戦力とする。そして、50年までの第3段階で、空母を核とし、対空・対艦・対潜作戦能力を有した洋上艦船と潜水艦で構成される空母戦闘群を保有する。

 ちなみに、20年は1921年の中国共産党創建から1世紀、2050年は前述の中華人民共和国誕生から1世紀だ。こうした息の長い戦略に基づき、空母保有計画はゆっくりとではあるが、着実に進んできているのである。

85年に豪空母も購入し研究

 80年代に入り、中国ではヘリコプターを搭載した艦船が登場し、91年1月には艦載ヘリコプター部隊が編成されている。その間の85年、中国はオーストラリアから空母メルボルン(1万6000トン)を購入している。英国が建造した時代遅れの空母であり、役には立たないと嘲笑する見方もあったものの、中国は退役するこの空母を安価で購入して、徹底的に研究した。老朽化した代物であっても、空母を知らない者にとっては実物教育に勝るものはない。必要な知識をすべて吸収したうえで、スクラップにしたのではないか。

 それから20年余を経たいま、上海の長江河口に近い長興島の造船所では、ワリヤーグのような「スキージャンプ台」式でなく、電磁式カタパルトで艦載機が発進する新しい空母が建造されており、遠くない将来に完成するという情報がある。2020年代になると複数隻が建造されるとみていい。

 こうみてくると、中国は早くから空母保有という軍事的野心を抱きつつも、至って慎重であることが分かる。中国は、当面の目標を「台湾統一」に置き、空母を必要不可欠とはしてないからだ。

 中国はすでに、米国の主要都市を攻撃できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)、中国周辺の米国の同盟国とそこにある軍事基地を射程に収める中距離弾道ミサイル、台湾の政治中枢・軍事基地を一挙にたたける短距離弾道ミサイルを1000発以上保有し、米空母の台湾接近を阻止できる対艦弾道ミサイル、通称「空母キラー」も開発し配備し始めているのだ。

 中国は、これらの軍事力で「台湾統一」を達成した暁には、太平洋とインド洋に本格的に進出してくるだろう。そうなると、空母は必須となる。中国はそれに向けて国のすべてを注力している。

 今後10年が、わが国と中国の力関係の分かれ道となってこよう。肝に銘じなければならない。(ひらまつ しげお)

 
8月19日付産経新聞朝刊「正論」


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