「死に至る病」中国の構造的腐敗 平川祐弘
「死に至る病」中国の構造的腐敗
比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘
天安門事件の後、私は北京で教えながら同時に学生となって中国語を勉強した。妻のクラスでは留学生の投票で妻が年長者ゆえか優秀学生に選ばれた。すると先生方は隣のクラスで私が落選しては面子(めんつ)にかかわる、当人はその同じ大学で日本語を教える外国人教授でもある、と心配したらしい。
≪天安門事件後の北京で教える≫
私のクラスでは優秀学生は担任が指名すると言い出して私を指名した。私の成績が悪いと困るから期末試験の時、正解を先生がこっそり教えてくれた。それで、卒業式の壇上に夫婦ともに並んで褒美の辞書をいただいた。私はそんな中国が好きだ。試験制度と棟梁(とうりょう)の材の養成について語りたい。
20年前の中国は貧しく停電ばかりしていた。学生は熱心で教えて実に楽しかった。君子の三楽の一つは「天下の英才を得てこれを教育するにあり」といったが、彼らはそれが孟子だと知らない。「中国は人口が日本の10倍だから英才も10倍いる」と言ったら、「ばかも10倍います」と答えた。中国で大学卒業者は「国家幹部」と呼ばれ、プライドは高い。古典はよく知らないのに、好んで口にする言葉が孟子の「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる」であることが気になった。
一般論として国家幹部はいかに決まるか、指導者はいかに養成されるか。世界史的に眺めよう。一旦、乱世になれば下剋上(げこくじょう)で、戦国革命時代には秀吉やスターリンごときが天下を取る。平和な時代には統治者は血のつながりで決まった。帝王の地位は世襲だ。現に金日成氏の子孫が代々君臨する人民共和国もある。日本でも昔は武士の子は武士、農民の子は農民、殿様の子孫が代々殿様だった。西洋でもハプスブルク、ブルボン、ロマノフなどの王家が支配した。
≪西洋より進んでいた科挙制度≫
世襲の旧体制を覆したのが米独立(1776年)とフランス革命(89年)だ。以後、文明国では次第に市民が投票で上に立つ者を決める。西洋には人材登用の門が開けている。そう気づいた日本人は福澤諭吉。九州の藩では上級武士の子弟は学問もないくせ威張っている。下級武士の家に生まれた福澤は門閥制度が不満でならない。
「人は生れながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる」と『学問のすゝめ』で主張した。福澤は能力本位の競争社会を良しとする。能力者が上に立つべきだ。19世紀、能力本位(メリットクラシー)は東洋よりも西洋で実現したと観察した。
だが、16世紀、中国入りしたイエズス会士リッチは、明代中国が西洋より能力本位の人事が実現していると観察した。中国では官吏登用試験(科挙)が行われ、学力本位で選ばれた官僚が中華帝国を統治する。イタリア人リッチは『報告書』1巻5章で感嘆した。
「シナの政治については、この国で行われている文系の学問と学位に言及せねばならない。これがシナ統治の根幹を成し、その点、シナは世界の他の諸国と著しく異なる。この国は哲学者が国王だとはいえないまでも、国王が哲学者によって指導されている」
明治日本が西洋から取り込んだ政治的諸制度には選挙や議会があるが、近代西洋が中国から取り入れた制度には試験がある。身分や出生より能力に重きを置く選抜こそ、民主主義を支える制度だと18世紀の啓蒙(けいもう)思想家ヴォルテールは考えた。維新以後の日本では高等文官の採用は試験だが、これは身分制的だった任官が能力本位に切り換えられた制度的転換である。
≪権力がカネを生む幹部養成≫
仏英独でも、大学入試や官吏の任用が競争試験で行われだしたのは19世紀からで、examination paperという表現もその頃になってできた。以前の西洋では試験は筆記よりも口述に重きが置かれていたからである。日本が官僚国家として装いを新たにし、世界に登場したのは西洋列強にさほど後れを取っていない。
今、文明世界で棟梁の材は試験と投票で淘汰(とうた)され抜擢(ばってき)される。一党専制の大陸は変則で、党政治局クラスの子弟で優秀な者を取り立てるか(太子党)、学校や党の試験の合格者(共青団出身者)で現支配者の眼鏡に適(かな)った者を指名する。当然コネがものをいう。そんな中国の党幹部の収賄・蓄財・資産の海外移転、「以権換銭」(権力をカネに換える)という構造的腐敗は遂に世界周知となった。
そんな風潮を見かねて北京大の名物教授、銭理群が最近の学生気質を痛罵した。「北京大も清華大もえり抜きの人材を集めているが、大学で培養される学生は計算高い利己主義者に過ぎない。世故(せこ)に長(た)け周囲の動きに敏感で、体制に迎合し体制を利用して自らの利益を図ろうとする。問題はこういう連中が一番成功してすでに現体制の権力継承人になっていることだ。これこそ民族の未来にとり大きな『隠患』となるに違いない」
「隠患」は、「隠れた不安」と訳されているが、私は「死にいたる病患」と訳したい。(ひらかわ すけひろ)
6月22日付産経新聞朝刊「正論」