国造りの基本は感謝 櫻井よしこ
国造りの基本は感謝
櫻井よしこ
国家観も歴史観も欠いていた鬼っ子のような前政権の後に誕生した野田佳彦内閣は、前政権との対比だけで安心感を与える。だが、党内融和と中庸政治だけでは日本を取り巻く厳しい国際情勢は乗り切れない。
民主党代表選挙では、殆(ほとん)ど誰も外交と安全保障に触れなかったが、外交、安保こそ政治の役割が非常に重要な分野である。鳩山由紀夫、菅直人両政権は、各々、対米外交で信頼を失い、対中外交で国益なき屈服に甘んじたことが、国民の支持を失った要因だった。
日本周辺における中国の攻勢は多くの国民を国防の重要性に目覚めさせた。東シナ海、南シナ海で顕著な中国の勢力拡大にどう対処するかが厳しく問われており、ここ1~2年の対処に日本の浮沈がかかっていると言ってよいだろう。
そうした中、『Voice』10月号で首相は「わが政治哲学」を発表した。その中でいま政治に求められているのは、「この国に生まれてよかったと思える国」を造ることだと明言している。
毎年3万人以上が自殺する生きにくい社会が日本であり、そこを解決するのが政治の役割で、格差の是正と中庸政治によって中間層を増やすと首相は書いた。
貧しい人に手を差し伸べることはたしかに政治の責任だが、格差の是正と同じく、或(ある)いはそれ以上に重要なことは、厳しい国際情勢の中でこの日本を守り抜くことだ。そのためになによりも必要なのが国家観の醸成である。首相は「ここ(日本)に生まれたことにプライドを持てる国」を造ることの必要性と、祖国日本への愛着やプライドを育てるのに「歴史や伝統文化をきちんと学ぶこと」の重要性を説いている。
その点に関連して、平成17年10月、首相はいわゆるA級戦犯は法的に名誉が回復されており、戦争犯罪人ではない、従って「戦争犯罪人が合祀(ごうし)されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻している」と、質問主意書で表明した。私はその考えに賛成するものである。
だが、9月2日、首相としての初めての記者会見で、首相は、あの質問主意書は「A級戦犯といわれた人たちの法的な立場の確認」をしたもので、靖国参拝については「総理、閣僚公式参拝はしない」と語った。
両親が貧しさの中でも愛情を込めて自分を育ててくれたことへの感謝を首相は代表選で述べたが、その父は自衛官だった。首相には、国土、国民を守ることに一生を捧(ささ)げた父の思いは、誰よりもよくわかっているはずだ。愛着のもてる、プライドのもてる国造りの基本は、その父の想(おも)い、現在、そして過去、その職にあった人々、日本のために命を捧げた人々への感謝を素直に表現することから始まるのではないのか。首相こそまっ先にそれをすべきではないか。
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日本の価値観の重要性を言うのであれば、究極の価値観である死生観に目を向けなければならない。
過日、靖国神社問題に関連して、日中双方の死生観に話題が及び、中国人の一人がこう語った。
「日本人はどんな人間でも亡くなればゆるし、神になったと考える。中国人にとって悪人は死後も悪人である」
たしかに日本人は、敵であってもその死後は魂を弔ってきた。愛媛県松山には日露戦争の捕虜だったロシア軍人の墓がある。訪ねると、いまも各々の墓石に花が供えられていて、日本人の心の優しさが伝わってくる。福岡県博多では元寇で日本を襲い多くの命を奪った元の兵士の墓が守られている。
他方、中国では、汪兆銘の例に見られるように、憎まれる人物は、死んでも許してもらえない。中国人の怒りは墓を爆破しても足りず、後ろ手に縛りひざまずく像を作り、人々がそれにツバをかける。
日中の価値観はこれほど異なる。であれば互いに干渉せず、両国の価値観の違いを認め合うしかない。
日本外交の失敗は、違いを認めず、価値観の一致を求めようとしたことだ。それは日本が中国に屈服することだった。とりわけこの2年間、民主党の閣僚は誰も靖国神社を参拝していない。それを以て、中国や韓国に受け入れてもらう政治的土壌を作り上げてきた。しかし、こんなことで誰が日本にプライドを持てるだろうか。これでは、日本人は永遠に日本人の価値観を否定しなければならない。自己否定からは如何なる活力も生まれない。活力は、闊達(かったつ)な日本人であって初めて、生まれてくる。だからこそ、首相は、日本人が日本人であり続ける道を拓(ひら)かなければならない。
その意味で、この2年間でズタズタになった日本をたて直すためにも、靖国神社に参拝すべき局面なのだ。また、それが長期的にみて、日中関係をも真に改善する道につながるだろう。
首相は、政治が先送りした課題として安全保障問題をあげ、「自分の国は自分で守る」気概の重要性を強調した。
尖閣諸島周辺の領海を中国漁船が侵犯したのがちょうど1年前だ。中国はその後、南シナ海及び東シナ海の2つの海を中国の海だとする理論武装を進め、一貫して主権問題と位置づけ、攻勢を強める。
当時の菅首相と仙谷由人官房長官が無様な屈服を強いられたのは、両氏がこれを単なる刑事事件として取り扱い、国家としての主権意識を欠いていたことが大きな原因である。国家意識の欠如という意味で靖国神社問題への対処とまったく同質である。日本の閉塞は党内融和、中庸政治では突き破れないことを、首相は認識してほしい。
9月8日付産経新聞朝刊「野田首相に申す」