公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.10.26 (水)

普天間は地域住民が決めるのか 田久保忠衛

普天間は地域住民が決めるのか

 杏林大学名誉教授 田久保忠衛  

 42年前の沖縄返還に関する日米共同声明発表前後の5年間を、那覇、東京、ワシントンの3観測地点で眺めた経験のある私が受けた強烈な印象は常に国際問題分析の基本になっている。返還直前の琉球政府主席であった屋良朝苗(やらちょうびょう)氏は、沖縄の本土復帰の条件を有利にするにはどうするかに腐心した。佐藤栄作首相は「72年返還、本土並み、核抜き」の3条件を完全に実現するため、並々ならぬ努力を払った。リチャード・ニクソン米大統領は、沖縄からの核兵器撤去を北京向けに関係正常化の有力なシグナルとして使用した。

 ≪ワシントンと東京の認識格差≫

 那覇、東京、ワシントンの観点の相違に気付いたうえで、日本の最高指導者が行動してくれれば、私には何の文句もない。が、ワシントンと東京の間には、国際情勢の認識に差があり過ぎる。

 米軍は年内にイラクから完全に撤収する。2014年にはアフガニスタンから大部分の米軍が引き揚げる。米世論の傾向、国防費大幅削減もあり、内向きに転じた米国ではあるが、アジアから手を引くわけにはいかなくなっている。中国の仮借のない勢力拡大が周辺との摩擦を引き起こしているからだ。クリントン国務長官が「中国の台頭が意味するものにどう対応するかの長期的な挑戦を知りながら、突如として撤退、撤収はできない」(米CNNテレビ討論会)と述べた内容は、吟味しておく必要がある。断固たる意思を表明しているが、含みは残している。

 今の米国にとり韓国、日本、台湾、東南アジア諸国連合(ASEAN)、インドとの関係強化は何を意味するか。その中で、米軍の普天間飛行場の移設が泥沼に入り込んだままであることを、最も喜んでいる国はどこか。先月、ニューヨークで開かれた日米首脳会談で、オバマ大統領が普天間並びに環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)解決の時期を早くしてほしいと促した気持ちは理解できる。普天間の重要性は飛躍的に高まったのである。移設先がはっきりしない現状と決まった場合とでは、北京に与える影響も異なる。

 ≪移設問題は対中政策に影響≫

 米国の対中政策は、ニクソン訪中以来、中国を国際社会になじませる関与(エンゲージメント)政策を基本とし、中国が従わない事態には、防衛力の充実、同盟関係の強化などの保険(ヘッジング)政策で対応するという幅の広い、曖昧性を特色とする。オバマ政権は昨年来、保険政策を事実上、強めているので、沖縄全体の戦略性が高まるのは自明だ。

 野田佳彦政権は党内融和優先の内閣だから、発足時から外交・防衛をどうしようという意思が働かなかったとしか考えられない。野田首相、玄葉光一郎外相、一川保夫防衛相、藤村修官房長官の4人が、普天間問題の最高の意思決定者である。日米首脳会談後に川端達夫沖縄担当相、一川防衛相、玄葉外相らが続々と那覇を訪れ、仲井真弘多知事と会談しては帰京している。防衛相は、年内に環境影響評価(アセスメント)の評価書を県に提出すると伝えた。

 ≪米国が韓国を選ぶ時来るやも≫

 舞台裏で何かが進行しているのかどうか、私には分からないが、仲井真知事は依然として、「普天間飛行場は他の都道府県に移す方が早い」との立場を変えていない。普天間問題は「ワシントンと北京」の攻防戦になっているにもかかわらず、「東京と那覇」のキャッチボールはだらだらと続く。米国がパートナーとして韓国を選ぼうとしても不思議はない。

 11月中旬には、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議がハワイで開かれ、野田首相はその際にオバマ大統領に会う。前回首脳会談で要請された普天間の回答として、「努力しています」と答えるための「パフォーマンス」ではないか、との見方を新聞で目にした。永田町政治を対米外交に適用するつもりなのか。げすの勘ぐりであることを祈るだけだ。

 民主党の鳩山由紀夫元首相の奇矯な言動の最大の被害者は、仲井真知事だ。移転先に同意していた知事が、「県外」を言い出されて県内世論が一斉に動き出したときに、どれだけの苦悩を強いられたか。「那覇」の立場に立ちつつ国際情勢の中に身を置いた「東京」の窮状も理解する知事には、勇断を期待するほかない。国の興亡を左右する安全保障が、地域住民によって決められるルールを確立させてしまっていいのだろうか。

 ウオーターゲート事件との連想で日本人に不評のニクソン大統領は、大局観と決断力を常に学んでいた。愛読書は、「ビビアン・グレー」「若い公爵」などの小説を書き、ユダヤ人で英首相の座を手にしたディズレーリの伝記だ。それも、英国の基本的価値を守るために強力な外交政策を推進した様子を活写した、オックスフォード大教授ロバート・ブレークの著書に限っている。この名著に目を付けた日本の政治家もいた。自民党の灘尾弘吉元衆院議長だ。秘書に命じて10年がかりで翻訳を完成させた。今の永田町では単なる昔話なのだろうか。(たくぼ ただえ)

10月25日付産経新聞朝刊「正論」