野田政権に求められる国防政策刷新 櫻井よしこ
野田政権に求められる国防政策刷新
櫻井よしこ
野田佳彦首相の真価を見定めることになる最初の機会は11月12日からのアジア太平洋経済協力会議(APEC)であろう。同会議に、首相は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加と武器輸出三原則緩和の結論を得て臨みたい考えだ。
いずれも、日本が、内向き志向にならず、日本周辺の平和と安定と繁栄に積極的に貢献する姿勢を打ち出すものだ。
アジア太平洋諸国は、いまとりわけ日本の政策に注目している。大国への道を駆け上がる中国へのバランス勢力としての役割と責任を日本に求めているのだ。米国の大手シンクタンク、ランド研究所が、日中が東シナ海をはじめとする海洋案件で軍事衝突に至る可能性を予測したと10月16日の「産経新聞」が伝えていた。同研究所の指摘は改めて中国の軍事活動の横暴さを想起させる。
南シナ海で中国は09年5月、突然、9つの点を結んで馬の蹄の形の線を引いた。南シナ海の約8割を囲い込むこの「9点線」の内側を彼らは自国の海だと主張し始めた。翌年3月、戴秉国国務委員が米国の当時のスタインバーグ国務副長官とベーダー国家安全保障会議アジア上級部長に、南シナ海は中国の核心的利益だと告げた。南シナ海をチベット、台湾同様、領土保全を図る上で死活的に重要な地域とみなし、他国に対する一切の妥協を拒むというのだ。
警戒心を強めた東南アジア諸国連合(ASEAN)各国は、次々と対策を講じ始めた。元統幕学校副校長の川村純彦氏によると、ベトナムはロシアからフリゲート艦2隻を受領し、最新鋭のキロ級潜水艦6隻とスホイ戦闘機12機も13年には受領する予定だ。更に戦略的要衝であるカムラン湾を改修し、米空母を含む外国艦船の寄港受け入れも表明した。
微笑と強面の外交
マレーシアはスコーペン級潜水艦2隻を調達し、インドネシアは今年中に潜水艦2隻を受領予定だ。
92年に米軍撤退を求め、国内の米軍の海・空軍基地を閉鎖させたあと、軍事努力を全くといってよいほどしてこなかったフィリピンでさえ、軍事予算の増額を検討中だ。
米国は太平洋国家としての立場を打ち出し、ASEAN擁護を打ち出した。するとこの対中牽制の構えの前に、中国は明確な方針転換をはかったのだ。彼らはもはや核心的利益などとは言わない。それどころか、そのような発言はなかったと主張する。高速鉄道の事故も、埋めてしまえばなかったことになると考える彼らは、他国の領土領海、主権を力で奪い取り侵害する発言も、都合が悪くなれば、「なかった」といって消し去ることが出来ると考えるのだ。
その中国がいま、文化戦略を打ち出した。胡錦濤国家主席は10月15日からの中国共産党の重要方針を決める第17期中央委員会第6回総会(6中総会)で「文化体制改革の深化」を謳い上げた。中華文化を再評価し、経済だけでなく文化面でも国際的な影響力を高めると宣言した胡主席の狙いは、文化面で共産党の影響力を強め、将来的な反党・反政府思想の芽を摘み、「アラブの春」に触発された国内インターネット世論や高速鉄道事故を巡る政府批判を封じ込めることだ。対外的にも同様の戦略を講じ、中華文明で搦め捕ろうというのである。
彼らの文化戦略は常に強大な軍事力と対になっている。勝つためには、まず、経済や文化で攻め、同時に他国を圧倒する強大な軍事力をちらつかせる。長年海洋と宇宙で異常ともいえる軍拡を実施してきたのはそのためだ。
中国は今年8月、航空母艦の試験航行で成功をおさめ、初の国産技術による空母建造にとりかかった。15年までには国産1号が完成し、10年以内に複数の空母艦隊を保有するとみられる。彼らはまた、9月末に宇宙実験機「天宮1号」を地球を回る軌道に乗せ、11月には宇宙船神舟8号を打ち上げ、天宮とドッキングさせる予定だ。「中華宇宙ステーション」の完成は10年後と見られている。
宇宙と海洋を制するものは地球を制する。中国の遠大な長期戦略が着実に具体化されているのである。文化と軍事、微笑と強面の外交は、状況次第でどちらにも転換し得る。
野望満々の中国への対処を誤ることは許されない。対処を過てば日本は沈没すると心得るべきだ。主権を守り続けるには我が国の国防力を蝕む2つの致命的な空洞を乗り越えなければならない。野田政権に望まれているのは、武器輸出三原則など、個別の課題の解決の先に、この空洞を埋める作業に静かにとりかかることだ。
2つの空洞とは、憲法及び関連法を特徴づける精神的空洞と、足りない尽しの軍事力の物理的空洞である。
日本の防衛力は穴だらけ
精神的空洞は他国の侵攻さえ想定してはならず、国際社会の善意に依拠して日本を守らしめよと説く日本国憲法に凝縮されている。他国の侵攻や自然災害に対して、憲法、自衛隊法、およそ全ての国防関連法規は、無防備を貫くことを国是としているに等しい。
70年以来、日本の国防の性格付けとして防衛白書に書き込まれてきた専守防衛がその典型である。軍事において守りと攻めを分けることは不可能で無意味である。専守防衛では自衛隊は外には行かず、脅威が日本を襲うのを待って対応する。紛争は必ず国民が住んでいる日本の領域内で起こる。だが、国民避難に必要な政府、自治体の権限を定めた国民保護法はようやく04年に整備された。専守防衛の観念論に依拠して、実に35年もの間、国民の生命、財産を守る具体策を講じていなかったということだ。
10年12月、菅直人民主党政権は今後の防衛政策の基盤となる新防衛大綱を策定した。防衛大綱はこれまで4度、76、95、04、10年と策定されてきたが、その度に日本の軍事力は削減され続けた。陸上自衛隊の編成定数は当初の18万人から16万人に、菅政権の下で15万4,000人となった。海上自衛隊の主要装備である護衛艦は60隻から50隻に、更に48隻に削減されて現在に至る。航空自衛隊の戦闘機は350機から300機に、さらに260機に削減された。
専守防衛、平和国家を唱えて軍事力をあらゆる面から削減してきた結果、日本の防衛力は穴だらけである。
こうした状況の日本は、隙あらばと狙う中国などにとっては格好のターゲットだ。だからこそ、野田政権は日本の直面する脅威を測り、対処するのに必要な人員、装備を導き出し、整備し、それらを機能させるのに必要な憲法上、法律上の体制整備を考えるのがよい。そうした方向で考え、政策を打ち出し得るか、野田内閣は真に日本の主権を守り得るのか、それを占う第一の要素が11月のAPECである。
『週刊新潮』 2011年10月27日号
日本ルネッサンス 第482回