公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.11.25 (金)

TPP、感情論を超えて討議せよ 櫻井よしこ

TPP、感情論を超えて討議せよ

 櫻井よしこ  

 野田佳彦首相が決断し、日本は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の参加に向けた協議に入った。決断に際して「優柔不断の野田」氏らしさを見せたものの、その決断を大いに評価する。

日本の態度表明後に、カナダ、メキシコも参加を表明し、フィリピンとパプアニューギニアも意欲を示したと報じられた。

TPPは、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が2020年を目処に構築を目指しているアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP:エフタープ)実現への道筋のひとつと位置づけられている。FTAAPにはAPECの、或いはTPPのルールが反映されると考えるべきで、このルール作りに参加することの意義は非常に大きい。

TPPという新しい機構の制度と規則作りに参加し、日本の主張を盛り込ませることこそ、国益に適う。日本が物言わぬ大国のままであってよいはずがなく、アジア太平洋経済圏のルール作りに参加しなくてどうして未来展望を開けるのかと、私は思う。「みんなの党」の渡辺喜美代表が野田首相の11月11日の決意表明について「あまりにも遅きに失した」と語ったのは、至極当然だったのだ。

日本が物言わぬ国から脱してAPEC閣僚会議の行われたホノルルで決意表明をすると、中国が敏感に反応した。中国商務省の兪建華次官補が「我々は如何なる形ででも、TPPの交渉について招待されていない。交渉参加国から招待状を受ければ真剣に研究する」と述べた。

対してカーク米通商代表部代表が即応じた。「TPPは招待状を待つという類のものではない。21世紀の最高水準の貿易自由化であると我々が信ずる合意に関心のあるAPEC加盟国は、すべて歓迎である」

「日米中正三角形論」

 現在の中国にとって、真の開国は政治的には中国共産党一党支配の崩壊につながりかねない。TPPの目指す枠組みの中では、これまで世界の知的財産権の侵害の8割を、国家ぐるみ、共産党ぐるみと断じてよい形で行ってきた中国の蛮行は許されなくなる。契約の恣意的解釈も国際法の独善的な解釈も同様だ。国際社会のルールに違反し続けている中国にとっては、TPPの基本的価値観は到底、呑めないだろう。

現在の9ヵ国に加えて、日本やカナダをはじめとする新たな参加国が集合し、アジア太平洋諸国が経済連携を強め、共通のルールで地域の秩序維持に貢献出来れば、対中抑止力としての効果は非常に大きいだろう。

だからこそ、中国は警戒し動きを加速した。日本の対TPP積極姿勢を認識しながらも、「東京は日中韓のFTAを望んでいる(はず)」と指摘し、ASEAN10ヵ国に日中韓の3ヵ国を加えた13ヵ国間の自由貿易協定(FTA)を推進したい構えだ。

だが、ASEANプラス3ヵ国全体のFTA構想は具体化などしておらず、TPPが拡大していけば、中国は劣勢に立たされる。日本の国益は、中国が過剰な影響力を行使する場ではなく、日本をはじめとする民主主義と国際法を遵守する国々が中心となる舞台を作り上げることだ。

にも拘わらず、自民党にも民主党にも反対論が根深い。シンクタンク国家基本問題研究所の副理事長・田久保忠衛氏が語る。

「自民党の谷垣禎一総裁が、12日、TPPは日米FTAに限りなく近い意味を持つ、米国と組み過ぎて中国やアジアを除外する形になったら、日本のためによくないと、語りました。これでは鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏の日米中正三角形論と同じです。自民党は対中接近に傾こうというのかと、思わず、耳を疑いました」

まさか自民党は日米基軸方針を中国基軸に替えて、鳩山・小沢化しようとしているのではあるまい。ここで大戦略を間違えれば、自民党の衰退は決定的になりかねない。

反対論であっても、理性的な論なら大いに結構だ。TPP交渉参加のとば口に立った日本にとって、本当の難局はこれからだ。国益を守るためにはどんなルールにするのが望ましいのか、そのためにどんな働きかけをするのか、個別の案件毎に深い議論が必要だ。

TPPで潰滅する産業として一番先に取り上げられたのが農業だったが、「産経新聞」とFNNの合同調査が興味深い結果を示している。

11月15日の報道によると、TPPについて農林漁業従事者は「参加すべきだ」、「すべきでない」が共に45・7%と同率だったというのだ。政府は市場を閉ざし778%の関税をかけてコメを守ってきた。保護策もとってきた。だが、コメ農業はその割に自力をつけていないことがいまや共通認識になっている。守りつつも、競争力のある農業にするにはどうしたらよいかを考えようという機運が生まれているが故の、賛否両論同率の回答ではないかと思う。

功罪両面

 ちなみに右の世論調査に答えた人々の職業別分類と賛否の結果も興味深い。

「参加すべき」が「すべきでない」を上回った職業は商工サービス業(TPP賛成が48・5%)、自由業(同56・8)、管理職勤め人(58・6)、事務技術職勤め人(42・2)、専業主婦(44・2)だった。反対が賛成を上回ったのは現業職勤め人で賛成43・3に対し、反対44・8、学生は賛成40・0、反対56・0だった。

TPPに参加すれば、医療、国民皆保険などの制度が根幹から揺らぐとの議論もある。現在はTPP協議の場においてまだ議論の対象になっていないこれらの事案が、将来、議論の対象となる可能性があるのはそのとおりだ。しかし、各国が全力をあげて臨む交渉の舞台に日本も出ていくことこそが重要ではないか。

首相以下民主党政権の交渉能力では、日本がしてやられると懸念する理由もわからないではない。が、交渉に参加しない道が日本にあるのか。国を閉ざして発展出来るのか。米国にしてやられるのがこわくて中国に寄り添うのか。いずれも否、だ。国の命運をかけて大方針を定め、個別案件で果敢に賢い選択をつみ重ねることが唯一の活路である。

TPPは負の効果だけをもたらすかのような議論がある。だが、プラスの面も多い。知的財産権の保護はそのひとつだ。日本は散々、知財関係で利益を逸してきた。それがTPPで守られるのは大きなプラスである。製品規格や通関手続きなどのルールが明確になり、関税が撤廃されることは、人手の足りない中小企業にとって朗報である。たしかに外国の産品も入ってき易くなる。同様に、日本の製品も輸出し易くなる。

TPPに功罪両面があるのは当然で、その比較の中で議論を深めるのが合理的な対処だ。にも拘わらず、感情的な反米論が目立つ。感情論に流される反TPP論では日本の展望が暗いのは確かである。

『週刊新潮』 2011年11月24日号
日本ルネッサンス 第486回