公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.06.22 (金)

日印で微妙に異なる対米対露観 櫻井よしこ

日印で微妙に異なる対米対露観

 櫻井よしこ  

6月3日と4日、シンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)とインドの「ビベカナンダ国際財団」の間で交わされた日印協力の討論では、「アジアの協調」(Asian Concert)の重要性が強調された。他方、アジア協調の大きな枠組みについて、日印間の微妙な認識の相違も明らかになった。端的に言えば、米国とロシアの位置づけである。対中抑止の大戦略を構築するのに欠かせないのが米国なのは明らかだが、インドの対米感情には微妙なヒダがある。他方、インドはロシアには非常なる親和性を示す。

インド側は十分には評価しないが、依然として世界の超大国は米国以外にあり得ない。2011年11月以来、米国はアジア回帰を鮮明にし、中国を意識した軍事力構築の布石を打ち続けてきた。オバマ大統領は豪州北部の街、ダーウィンへの海兵隊の駐留を発表したその足でインドネシアのバリ島に向かい、米国のアジア太平洋地域への明確なコミットを宣言、同時に同地域の人権問題へのコミットも強調した。その直後、クリントン国務長官をミャンマーに派遣し、民主化の背中を押した。

社会主義と中国との親和性を特徴としたミャンマーやベトナム、さらに東南アジア諸国連合(ASEAN)と米国との急速な関係改善は、自ずと中国包囲の形に発展しつつある。

アジア諸国にとって、米国は中国の脅威に対処する基軸国と位置づけられている。しかし、インドは米国の重要性を十分に認識しながらも、尚、微妙で否定的なニュアンスを米国に抱いている。

米印関係は2005年にインドのシン首相が訪米し、大きく前進し始めた。翌年ブッシュ大統領が訪印して「世界最古の民主主義国と世界最大の民主主義国」の関係を謳い上げた。米国はインドが核不拡散条約(NPT)に加盟しないままで、民生用の原子力協力を行うと決定。2010年11月にはオバマ大統領が訪印し、インドの国連安全保障理事会常任理事国入りを支持すると明言した。米国が常任理事国入りを支持しているのは、日本とインドだけである。

インドのロシア観

このように、米国はインドを特別に遇し、両国は海軍の合同演習も頻繁に行う緊密な協力関係に入った。それでもインド側は米国に全面的な信を置くわけではない。躊躇いは何故だろうか。著名な戦略研究家でインド政策研究センター教授の、ブラーマ・チェラニー氏が解説する。

「印中の国境紛争が起きると、米国は平和的解決への希望を表明するだけで、どちらの味方もせずに中立を保つ。(中略)米国がインドや日本に武器を売る場合も、中国の反応を気にしながらである。台湾向けの武器売却では、それがもっとあからさまだ」(『日本とインド いま結ばれる民主主義国家』櫻井よしこ、国家基本問題研究所編、文藝春秋)

氏は「米国の対中戦略は基本的にエンゲージメント(関与)とヘッジング(保険)の二重戦略であり、(中略)この戦略の根本にあるのは米国の利益促進」にすぎないというのだ。また、米国の対中戦略は常に「関与と保険」であり、「関与と封じ込め」ではない、として、米国の中国の脅威に対する見方に疑問を呈し、他方、「関与と封じ込め」は「中国の対印、対日戦略」だとして、日印両国こそが中国の脅威を切実に感じていると強調する。

如何なる国家も自国の利益を第一に考える。その意味で、米戦略の根本が米国の利益促進にすぎないとしても、それは非難には当たらない。にも拘らず、チェラニー氏のみならず、インドの戦略研究家の間に米国への複雑な思いが存在するのは、たとえば、中国が1962年にインドに武力で侵略戦争を仕掛け、そのうえ、インドと対立するパキスタンに核技術を与えたのに、なぜ、世界も米国も中国を許すのかという疑問であろう。クリントン政権の国務副長官、タルボットはインドには「世界最大の専制国家に核爆弾の保有が許される一方、世界最大の民主国家になぜそれが許されないのか」という憤りがあると述べている(前掲書、「武器輸出三原則緩和による日印戦略関係の強化を」島田洋一福井県立大学教授)。

他方、インドのロシアに対する見方は日本のそれとは全く異なり、寛容である。中国に対処するのに米国、日本、ASEAN、豪州、インドに、ロシアを加えようと、度々日本に提案し、日本はロシアとの協調に踏み込むのがよいと勧めるのだ。

インドのロシア観を、再びチェラニー氏の説明を借りて紹介しよう。氏はいつも、底辺を中国とする三角形で日印協力の意味を考えるという。日本とインドの2つを合わせれば常に中国より大きいと強調し、「ロシアを加えた四角形になると、中国がアジアを支配することは不可能となる」というのだ。

有益な戦略的パートナー

「ロシアは北、インドは南、日本は東から中国を見張る形になり、ロシア、インド、日本が戦略的思考で互いにパートナー関係を結べば、中国は弱い立場に置かれる」と持論を展開するチェラニー氏は「ロシアと中国が手を結ぶことは決してない」と断言する。理由は両国が根源的な意味で競争相手だからだ。

たとえば、ロシアは人口密度が低く、中国は高い。ロシアは天然資源が豊富で、中国は天然資源に貪欲だ。ロシアは土地があり余り、中国は土地を買いあさる。あらゆる意味で中露は競争相手で、それ故に互いに猜疑心を抱いているというのだ。

プーチン氏は2000年の大統領就任から間もなくインドを訪れ「中国をロシアとインドの安全保障上の脅威と見るべきだとインド側に説いた」という。

だが、日本がそれに乗ることは出来ない。日本国内にも、北方領土問題は日露関係を改善して出口で解決すればよいなどの意見がある。国基研副理事長の田久保忠衛氏が反論した。

「ロシアとの経済交流を拡大して、それを梃子にして北方領土を取り戻すといいますが、憲法9条の下でまともな軍事力を行使出来ないいまの日本がそれだけの外交能力を発揮出来るのか、疑問です。北方領土問題の棚上げは国際法上も正しい日本の主張を諦め、外交上の梃子を失うことにつながります。なにより、中国や韓国に足下を見られるでしょう」

歴史観を共有し、恐らく他のどの国よりも深い親和性と信頼によって結びつくことの出来るのが日本とインドである。そのインドに対して、インドが日本にロシアの利点を説くように、日本は日印と価値観が重なる米国の利点を説くのがよい。日本はロシアよりずっと、インドの有益な戦略的パートナーであり得ること、人間の幸福と繁栄をもたらす文明国であることも説き続けることがよいと、私は考えている。

『週刊新潮』 2012年6月21日号
日本ルネッサンス 第514回