菅首相辞任でも残る民主の疑惑 櫻井よしこ
菅首相辞任でも残る民主の疑惑
櫻井よしこ
「最小不幸社会の実現」を公約した菅直人首相がいよいよ退陣するらしい。最小と不幸という、後ろ向きの標語を二つ掲げた貧乏神のような首相は、それでも、福島第一原発の事故対応を含めて「やり遂げた気がする」(「産経新聞」8月13日)と自らを評価する。
日本大学法学部教授の岩井奉信氏は、辞任するというので多くの国民は安堵していると指摘し、語った。
「国民もメディアも、菅首相に疲れきっている。ようやく辞めてくれるいま、次の首相に求められるものは癒しでしょうか」
癒しは万全の体制の下でのみ得られる。内政外交ともに大きく変化しつつあるいま、双方で万全の体制を構築するには、およそすべての分野で菅首相の理念と政策を真っ向から否定しなければならない。一年余、国家の指導者でありながら、国家観なき市民運動家にとどまった首相は、内向きかつ後ろ向きの視点しか示せず、経済活動を縮小させ、国家としての日本の力も引き出し得ず、歴史的な最大不幸を生み出し、ほとほと国民を疲弊させた。
にも拘わらず、「やり遂げた気がする」と胸を張るのは、強い自己愛ゆえに己れを客観視出来ていない証拠である。自身を相対化出来ない首相は、物理的に目を開けていてもすべてに昏いのだ。これでは東日本大震災と原発事故という有事への対処は無論のこと、平時の問題にさえも対処できない。常に言葉が走り、行動が伴わず、自己矛盾に陥る。クリーンな政治を標榜してきた首相の政治資金が黒い闇に包まれているのもその一例である。
首相の政治資金管理団体草志会から、日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する「市民の党」(代表酒井剛氏)と事実上一体の政治団体「政権交代をめざす市民の会」に、計6,250万円もの献金がなされていたことは過日の小欄でもお伝えした。8月11日の参議院予算委員会で自民党の西田昌司氏が新事実を指摘した。草志会は07年にめざす会に5,000万円を寄付したが、一時的に現金が足りなくなり、残金がマイナスになっていたというのだ。寄付は出来ない状況なのに、帳簿上は寄付されたことになっていたわけだ。
「資金を迂回」
「残高がマイナスになることはあり得ないんですよ。収支報告書の記載は出鱈目でしょう」と西田氏が問うと、首相は無意味にも反問した。
「なぜあり得ないんですか」
西田氏は、07年5月8日に首相の資金団体は357万円余の、また、5月14日には658万円余の残金不足になった一方で、草志会には借入れの記載がないことを指摘した。
残金がなく、借入れも起こしていないのに、多額の寄付が出来るはずはない。にも拘わらず、首相はなぜ出来ないのかと尋ねるのだ。「好い加減にしなさい」と西田氏がたしなめたのも尤もだ。ない袖は振れないのに振ったのは、どこかに隠し金があったのか、それとも帳簿を誤魔化したのか。いずれにしても菅氏の政治資金は灰色だということだ。民主党の政治資金の約85%が国民の税金の政党助成金である以上、この無責任さは許されない。
同件は不記載の可能性があるとして、岩井教授が指摘した。
「菅さんは、献金は党の業務だと説明しました。であるなら党がきちんと支出すればよいのです。そうなっていないのは、党として支出出来ない性質のカネなんでしょう。非常にスジの悪い資金移動です。民主党として払いにくいので、菅さん個人の政治団体に資金を迂回させ、そこから支払ったことが疑われます」
なぜ、こうまでして、北朝鮮や日本人拉致事件と関わり合いの深い政治団体に首相が献金しなければならないのか。めぐみさん拉致から34年、横田早紀江さんは、「神様はこのようなことは決してお許しにならない」と悲痛な想いを語っている。拉致問題解決の最も重い責任を持つ首相が、拉致実行犯の関係者を立候補させる政治勢力に多額の寄付をしていたことに、早紀江さんならずとも、国民全員が怒るのは当然であろう。
菅氏の巨額献金は民主党の政治資金のさらなる深い闇を明るみに出した。05年には市民の党系の地方議員ら17名が民主党衆議院議員の鷲尾英一郎及び小宮山泰子両氏に、申し合わせたように個人献金の上限である150万円を寄付し、鷲尾、小宮山両氏はこれまた判で押したようにその献金の全額に近い2,500万円を市民の党に各々献金していたのだ。
17名の市議は、右の両氏への寄付の他、市民の党などの政治団体にこの数年間、一貫して100万円前後の寄付をしていたことが官報から明らかだ。鷲尾氏らへの寄付と合わせると、一人一人の市議の寄付は年間500万から600万円となる。
完全に官僚の支配下
自民党の古屋圭司氏は、市議の給与とほぼ同等か、それ以上の高額寄付の原資はどこからきたのかと問う。民主党の複数の国会議員も菅首相も、市民の党との深い関係と資金の流れについて説明責任を果たすべきだ。だが都合の悪いことには蓋をする首相が説明責任を果たすことは恐らくないだろう。
こんな首相が辞任するいま、機能しなかった首相の退陣に安堵するのでなく、有権者たる国民は能力のない政治家や政党の言葉がどれほど信頼出来ないかを心に刻み込むのがよい。たとえば菅首相が拘った政治主導の確立と官僚主導の排除である。菅首相はどこまで目標を達成出来たのか。公務員制度改革の顛末から見えてくるのは、なす術もなく、以前と比較にならない官僚の勝手を許す結果に陥った菅政権の姿だ。
2年前の8月、民主党の政権奪取が明確になった時点で小欄でこの問題を取り上げ、首相と民主党の天下り禁止のスローガンが、天下りよりも尚問題の多い現役出向の受け入れに変わってしまうと警告した。
国家公務員法の改正は、安倍晋三政権に遡り、安倍政権は各省庁の大臣官房による天下りの斡旋を禁止した。一方菅首相は定年前の官僚の天下り斡旋は禁止したが、現役出向を許して抜け穴を作った。菅首相と仙谷由人前官房長官による現役出向制度の問題点を、公務員制度改革に詳しい屋山太郎氏が喝破した。
「公務員の身分を維持したまま企業に出向出来るとしたことで、天下り禁止は完全に有名無実化し、役所に不必要な中高年の官僚はいまや大手を振って企業に現役出向し、高給を食めるのです。菅首相は脱官僚と言いながら、逆に完全に官僚の支配下に置かれ、後ろ向きの改悪を受け入れてしまったわけです」
菅政権の終焉は一日でも早いほうがよいと断ずるゆえんである。いま必要なのは、菅首相の理念と政策のすべてを真っ向から否定し、日本をまともな国にする政治である。
『週刊新潮』 2011年8月25日号
日本ルネッサンス 第473回