陛下の祭祀簡略化は宮内庁の愚策 櫻井よしこ
陛下の祭祀簡略化は宮内庁の愚策
櫻井よしこ
天皇陛下のご入院が長引き、大層心配である。お若いとはいえない天皇皇后両陛下のご健康問題は極めて重要であり、皇室と日本の未来を見据えて少なくとも二つの点に取り組まなければならない。
第一点は、天皇陛下のご公務の見直しである。
今年のお誕生日に際して皇后陛下、美智子さまは、お二人の健康について「少ししんどい年令に来ているかと感じています」と述べられた。天皇陛下が発熱されご入院なさった11月6日、宮内庁は天皇陛下のご様子を、「これまでにご疲労が相当蓄積し、お身体の抵抗力が低下している」と発表した。国民はおよそ皆、天皇陛下がさぞかしお疲れでいらっしゃるだろうと察し、心配してきた。
震災直後からの、80歳に近い天皇皇后両陛下の八面六臂のご活躍は国難の中にある国民の心に大きな慰めと、未来を再び切り開いていく勇気を与えて下さった。国民の心をひとつに統合し、故郷と日本国の再建を促して下さろうとするお二人に誰もが感謝した。
美智子さまは3・11の凄まじい被害を「不条理」、「決してたやすく受け止められるものではな」いと述べられ、「当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」と振り返っておられる。「東北3県のお見舞いに陛下とご一緒にまいりました時にも、このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした。しかし陛下があの場合、苦しむ人々の傍に行き、その人々と共にあることを御自身の役割とお考えでいらっしゃることが分かっておりましたので、お伴をすることに躊躇はありませんでした」。
以来両陛下は避難先に被災者を見舞われ、東北三県すべてを慰問なさった。お二人のお心構えは、国民のために誠心誠意、おつとめになるという点に尽きる。誠意を尽せば尽すほど、お二人のお身体にこたえないはずがない。
誰にも代行出来ない
美智子さまは「人々のために尽くすという陛下のお気持ちを大切にすると共に、過度のお疲れのないよう、医師や周囲の人たちの意見も聞きつつ、常に注意深くお側にありたいと願っています」とお誕生日のお言葉を結ばれたが、いま、「注意深くお側に」あらねばならないのは、国民であり政府である。
ご公務に優先順位をつけご負担を軽くすることは当然だが、それを皇室本来の姿に沿って行わなければならない。宮内庁は2008年2月以来、天皇陛下の行われる祭祀を簡略化することでご負担を軽減するとしてきた。今回も宮内庁はご負担軽減策として「正座する所作の多い11月23日の新嘗祭(にいなめさい)の拝礼時間を短縮する」と発表した。
宮内庁の方針は間違っている。皇室のご存在の基盤は祭祀にある。国家国民の平安と安寧を祈って下さることがその役割であることは、鎌倉初期、順徳天皇の残した「禁秘御抄(きんぴみしょう)」にも、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。旦暮敬神(あけくれけいしん)の叡慮懈怠(えいりょけたい)無し」と明記されている。
皇室の長い歴史において、歴代の天皇は、自らの最重要の役割として常に、まず神事を行い、その後にはじめて他の諸々のことを行われた。朝に夕に神々を敬い、神々のご加護を受け、国家と国民の平安を守っていただけるようにすることが、天皇の役割であり、天皇にしか出来ない偉業なのだ。
今上陛下も、御自分より前の124代の天皇と同じく、祈りを以て日本と日本国民に平安をもたらすことを役割とお考えだからこそ、祭祀を殊の外、大事にしてこられた。
宮中祭祀には天皇陛下自ら祭祀を行われ、「御告文」を奏上する大祭、掌典長が祭典を行い、陛下は拝礼される小祭、その他の祭儀があると、國學院大学神道文化学部教授の茂木貞純氏は解説する(『皇位継承の危機 いまだ去らず』茂木貞純、大原康男、櫻井よしこ 扶桑社新書)。
一連の祭祀の中でも天皇陛下自ら、古式の装束に身装(みずま)いを正す、古代から続く極めて厳粛な祭祀は、年30回を超えるという。その場合は、厳しい冬の寒さの中でも未明に起床され身を浄めて臨まれる。
美智子さまも天皇陛下と同じように身心を浄め真心込めて、祭祀をなさる天皇陛下をお側で見守っていらっしゃるはずだ。
とりわけ重要な祭祀に、1月1日の四方拝(しほうはい)がある。元日の未明、天皇陛下は伊勢神宮をはじめ四方の神々を遥拝されて、新しい年の平安を祈られる。日本国の安寧と平安を祈るというとりわけ重要な意味があり、これは天皇陛下がお一人で行う。誰にも代行出来ない。1月3日には元始祭(げんしさい)、7日には昭和天皇のための先帝祭、3月の春季神殿祭、4月3日の神武天皇祭、9月には秋季皇霊祭、10月17日には神嘗祭(かんなめさい)、11月23日には新嘗祭などと続く。
祭祀の簡略化という愚策
前述したように、これら最重要の祭祀の他にも多くの祭祀がある。それらすべてを、地方への行幸啓、外国の賓客の応対、書類の決裁など数えきれない件数に上るご公務の合間になさっておられるのだ。
戦後、GHQの占領によって、日本の伝統や価値観を反映した国の形の基本は、憲法も皇室典範もことごとく変えられてしまった。とりわけ酷いのは、悠久の日本の歴史の中で、皇室が国家、国民のための最も大事なお務めとなしてきた祭祀を、天皇家の私的行事に矮小化したことだ。
天皇陛下のご公務は書類の決裁や行幸啓などに限られ、祭祀は天皇陛下がひとり勝手になさっていることにされてしまった。日本の国柄を否定するこの許し難い決定は、不条理にも戦後の日本に根づいて今日に至る。だからこそ、宮内庁は天皇陛下のご負担軽減と称して、まず祭祀の簡略化という愚策に走る。
本末転倒のこの解決法は、やがて、皇室の特色を消し去り、皇室を、日本の歴史とは相容れない全く別の存在に変質させる危険性を帯びている。順徳天皇が書き残したように、「先ず神事、後に他事とす」を想起すべきときだ。ご負担軽減は「他事」の削減で実現すべきである。他事は皇太子御夫妻、秋篠宮御夫妻をはじめとする皇族方に負担していただくのがよく、それは皇族方の責務でもある。
天皇陛下のご病気に際して、もうひとつの課題は皇室典範の改正である。秋篠宮家に悠仁さまがいらっしゃるけれど、現状のまま推移すれば、女性皇族は皆、結婚によって皇籍を離脱なさる。悠仁さまが天皇陛下に即位なさる頃、皇族は誰もいなくなることも懸念される。これでは皇室の未来は甚だ心許ない。だからこそ皇族方を増やすための手を打たなければならない。そのための皇室典範改正が急がれる。
『週刊新潮』 2011年12月1日号
日本ルネッサンス 第487回