三代世襲はもの笑い、金正男氏告白 櫻井よしこ
三代世襲はもの笑い、金正男氏告白
櫻井よしこ
『東京新聞』の五味洋治氏が世に問うた『父・金正日と私 金正男独占告白』(文藝春秋)は正真正銘のスクープだ。金正日の長男、正男氏が語ったことは世界で最も閉ざされた国、北朝鮮の指導者の考え方や政策の背景を鮮やかに切り出してみせ、日米韓に多くの警告を発する。
五味氏は北京特派員時代の2004年、偶然の出会いから12年初めまで7年間にわたって150通を超えるメールを交わす関係を築いた。正男氏にも3回会った。全体を通して感じるのは、正男氏の物の見方の意外なまともさである。01年に日本に密入国し、北京に送還されたときの、カメラを睨みつけた傲岸不遜な表情からは想像出来ない理性的で自分自身を客観視する姿勢だ。
正男氏はジュネーブに9年間留学し、80年代に帰国した。ジュネーブで祖国を離れた寂しさは感じなかったが、「留学を終えて平壌に戻ってからの方が寂しさを感じた」と語っている。人間の根源的な渇望である自由の味を知った若者が祖国に戻ってみれば、そこは自由なき牢獄だったという寂寥感を私は見て取った。帰国後は「学校には通わず父の隣」で、「父と仕事をした」という氏は、正日総書記に改革・開放の必要性を繰り返し訴え、父は息子への警戒心を抱くに至ったという。
三男の弟が後継者となったのは、「父に忠実で忠誠心が強い」からだと正男氏は語るが、まさに、正日氏は自分の墓をあばかれないために正恩氏を選んだと思われる。
権力の世襲に反対だった中国が正恩氏を認めたのは、世襲を認めたというより他国の内政に干渉しない中国の原則のためだと正男氏は見る。
「北朝鮮が自分自身で選択した安定的な後継構図」としての世襲体制を、正男氏は、「封建王朝以外、近来、権力世襲は、もの笑いの対象」だと切り捨てる。国を閉ざしながら、強盛大国を目指すことについて、「経済は数字による科学」「改革・開放なしで、また、米国と西側の大規模な投資なしで石と土、海産物しかない羅先市が果たしてシンガポールのように建設できるのか」、と至極、尤もな批判を展開する。
正男氏への圧力
氏の改革・開放への信念の背景に中国での体験がある。95年から中国に住み始めた氏はその当時から約10年間、上海の発展を目撃した。中国経済の中心地となった上海を正日総書記は「天地開闢」(すべての物事の始まり)として驚きを表したという。それでも、頑なに国を閉ざし続けたのは「改革・開放がもたらす脅威のため」だと、正男氏は見透している。
外国についての情報はおよそすべて北朝鮮の発展の遅れの動かぬ証拠である。真実から目を逸らし続けなければ、金王朝三代の世襲の正当性は直ちに否定される。国民に真実を見せないために現実を歪曲する。それが対外強硬策を生む。
「(10年11月の)延坪島事態は、北朝鮮軍部が自分らの地位と存在の理由、核保有の正当性を浮上させるために犯した挑発だ」という正男氏の分析は的を射ている。
中国を忌み嫌い、米国との関係正常化を切望しながら死去した正日総書記は、核に固執した。
「北朝鮮の国力は核から出ています」「北朝鮮のように地政学的に敏感な場所にある生存危機を感じている国が、核を放棄するのは簡単ではないと思います」と、外の世界にいる私たちとまったく同じ分析を、正男氏がするのだ。
正男氏は弟正恩氏と一度も対面したことがないという。祖父の金日成に似た弟への正男氏の要望は、①父上の偉業を継承し、住民が豊かに暮らせるようにしてほしい②延坪島砲撃事件のようなことがないよう北南関係を調整してほしい③東北アジアの平和に寄与する朝鮮半島になるような政治をやってほしい、ということだ。
これらの要望は叶えられるのか。正男氏は正恩氏には「兄の真心からの助言を受け入れる度量がある」と希望的観測で語っていたが、やがて、「真心の助言と忠告を受けられる度量が不足した側と、争うつもりはありません。あべこべに私を危険に陥れるのではないかと心配です」と、変化をみせている。
このメールは、その前年の韓国の哨戒艦天安の撃沈や、延坪島への砲撃の結果、北朝鮮に対する国際社会の視線が一層厳しくなり、北朝鮮側も打開策を探しあぐね、強硬路線へ傾いていた11年4月のものだ。海外から発信する正男氏への圧力が時間の経過とともに激しくなっていったであろうことが、その後の氏のメールからも推測される。
「平壌は私に相変らず厳格な視線です」「マスコミ露出は個人的に不利な状況です」「とにかく報道はしばらく自制お願いします。個人と家族の安全のためにお願いすることです」(11年6月2日)、「北朝鮮の政権が、私に危険をもたらす可能性もあります」(11年12月31日)。
兄弟といえども、命を狙われかねない熾烈な戦いの中に、正男氏が置かれていることに、改めて気づかされるくだりだ。
歴史の逆行
五味氏は、金正恩体制が行き詰まるとき、中国は改革・開放を信奉する正男氏を担ぎ出すと予測する。正恩体制崩壊のときは、日米韓中露の必死の戦略戦術が展開されるときだ。どんな可能性もある。ただひとつ言えることは核開発に邁進する強硬策の北朝鮮はどの国も望んでいないということだ。
北朝鮮の体制が根底から揺らぐとき、最善の策は韓国主導で民主主義と自由を基にした統一国家へと向かう第一歩を踏み出すことだ。統一に向かえるか否か、韓国はまさに国家の歴史上最も重要な分岐点に立っている。
現実の韓国では、しかし、信じ難い歴史の逆行が進んでいる。1月15日、野党の民主統合党は韓明淑氏を代表に選んだ。盧武鉉前政権で韓国初の女性首相を務めた韓氏は、夫と共に左派運動に一生を捧げてきた人物だ。
氏の提唱する「経済民主化」政策は、大企業の敵視と、持たざるものの味方、成長より福祉を特徴とする。政治信条は明確な親北朝鮮である。
たとえば、05年に北朝鮮が核保有を宣言したときには「北韓なりの国益がある」と擁護し、06年の北朝鮮の核実験では、「米国の金融制裁などによる圧迫が核実験の一因」とこれまた、擁護した。
北朝鮮の実態をだれよりもよく知る正男氏が、強硬一辺倒の独裁国家を改革・開放へと誘導したいと望み、中国でさえ同意するいま、北朝鮮を開かれた国へと導かなければならない一番の国、韓国が急速に左傾化して第二の北朝鮮になろうとしているとしたら、これは歴史の大いなる皮肉である。
『週刊新潮』 2012年2月2日号
日本ルネッサンス 第495回