公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.04.07 (土)

憲法と現実との「乖離」甚だしく 田久保忠衛

憲法と現実との「乖離」甚だしく

 杏林大学名誉教授・田久保忠衛 

立場が右であるか左であるかなど問題ではない。日本の政治、経済、教育、防衛、外交全般に言い知れぬ不安を感じない日本人はいるだろうか。胸騒ぎの原因を政治家やマスメディアのせいにして憂さ晴らしをする時期は、もう過ぎてしまったと思う。戦後日本が内外に問題を抱えて身動きできなくなっているとしか考えられない。60年余にわたり国家の心棒である日本国憲法の耐用年数期限が来ていると痛切に感じるのである。

 ≪誇れるアイデンティティーを≫

 ごく最近、米議会関係者多数と会ってきた友人が、「彼らが一様に最も強く失笑と侮蔑を露(あら)わにしたのは、北朝鮮の金正恩でもイランの神権政治家に対してでもなく、『ハトヤマ』という名を口にするときであった。無定見・無責任・軽薄を極めた『ハトヤマ』的政治から日本が決別できねば、遠からず日本人全体が侮蔑と失笑の対象になるだろう」(国家基本問題研究所「今週の直言」)と書いている。むべなるかなと思う。

 もちろん、鳩山由紀夫内閣から2代の内閣が続いているのだが、米側の嘲笑は政治家個人と同時に日本という国に向けられている。カタカナ4文字の受け取り方は人によってまちまちだろう。が、東日本大震災の際に日本人が発揮した個人的美徳に酔っていてはいけない。国際社会で日本人が胸を張れるアイデンティティーは何かを静かに考える時期が来ている。

 戦後の一時期に吉田茂が考えた点だけを取り上げ、軽武装・経済大国の道を「吉田ドクトリン」などともっともらしく形容し、国民の少なからぬ人々がその神輿(みこし)を担いできたはずだ。経済大国日本は今、どこに消えてしまったのか。経済の低迷は冷戦終焉(しゅうえん)の直後から延々と続いている。ソ連崩壊後の「脅威」は日本経済、とばかり狙いを定めていた米国のパンチは空振りに終わった。すぐ隣に、「軽武装・経済大国」のなれの果てをせせら笑うかのように、「富国強兵」に邁進(まいしん)している国がある。与野党に今なお存在する「吉田ドクトリン」派の政治家はこの現実に正直に答えなければいけない。

 ≪米中関係に左右される国運≫

 軍事大国と経済大国を兼ねるようになった中国に日本がどう対応するかは、今世紀の大きな課題だろう。経済的にはますます相互依存性が強まる世界で、軍事力を背景に外交を推し進める中国に、口先だけで毅然(きぜん)としても効き目のあるはずがない。日本が頼りにしてきた米国は対中政策の基本に関与政策を置いている。それがうまく機能しない事態には保険政策でいこうというのが米国の考え方だろう。保険政策の内容は軍事力と同盟、友好国関係の強化だ。残念ながら、自立の努力を怠った日本にとり米中関係の動向が国運を左右する結果を招いてしまった。

 2005年に米側が「ステークホルダー」(利害共有者)になるよう呼びかけ、中国側は「平和的台頭」と応じたが、今、両国の呼吸は合っていない。国連など国際社会で中国は北朝鮮やイランなどの肩を持つ動きを示してきた。シリアのアサド大統領の反体制派弾圧にも正面切って反対しない。中国が海外に進出して影響力を増大させる動機を、資源獲得とか輸出市場拡大のためと見るのは誤りで民主、法治、人権といった普遍的価値観を共有する国際秩序が、一党独裁体制と相反することに気づいたがゆえの行動だとの分析が生まれている。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼していたら、日本はどうなるか護憲派の人々は答えてほしい。

 ≪大震災の有事にも対応できず≫

 日本国民は東日本大震災と原発事故の凄(すさ)まじさを経験した。国家としてどう対応したか。先の大戦で敗北し、占領された状態の憲法が現在まで続いているのだから、国家の緊急事態に直面しても指導者が最重要決断を下し、それに従って組織が危機管理に一斉に動く体制はない。国家緊急事態宣言を発する条項が憲法になくても、指導者は気にならないのか。現行災害対策基本法の災害緊急事態布告も、今回の災害には適用されなかった。有事か平時かは、国際的常識に従えば、有事に決まっているにもかかわらず、一部私権の制限を政治家は本能的に恐れて、深刻な惨事を招来してしまった。

 日本の内外で、憲法と現実が乖離(かいり)しすぎて辻(つじ)と褄(つま)が合わなくなっている事実を、日本人はお互いに認め合おうではないか。憲法の欺瞞(ぎまん)は国家の溶融を招く。あくまで報道ベースの話だが、沖縄県の財界、官界の有力者の中に、「沖縄にとって中国は親戚で日本は友人。親戚関係をもっと深めたい」とか、「次のステージは一国二制度だ」との発言も出ている。事実とすれば、国家は、遠心力が働いてとどまるところを知らず溶融するのではないか、と疑懼(ぎく)する。

 独特の歴史、伝統、文化を続けてきた日本の戦後に幼児心理が作用していたのだ、と後世の人々が一笑に付せるように、憲法を反省するのは今を措(お)いてない。国家の正常化を「日本の軍事大国化だ」などと心配する国が出てくるとすれば、これほどの滑稽はない。(たくぼ ただえ)

4月6日付産経新聞朝刊「正論」