公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.09.06 (木)

歴史認識問題で日米分断の危険性 櫻井よしこ

歴史認識問題で日米分断の危険性

 櫻井よしこ  

8月27日、駐北京の日本大使の乗った車を2台の乗用車が連携して停車させ、中国人とみられる男が日の丸の旗を奪い気勢を上げて逃走した。中国版ツイッターの「微博」では犯人を「民族の英雄」とする書き込みが相つぎ、尖閣諸島に関する中国の主張が掲載され続けた。「琉球も中国の領土」という主張も展開され、「反日無罪」というべき過激なナショナリズムが広がりつつある。

中国では2004年8月、サッカーのアジア杯決勝戦で日本が中国を破って連覇を果たした後、日本の公使2人が乗った公用車が襲撃され、後部ガラスが割られたが、大使の車が襲われたのは初めてである。

韓国では、日本が竹島領有権問題を国際司法裁判所に提訴すると決定したのに対抗するかのように、「慰安婦問題」に関して、日韓請求権協定に基づく仲裁委員会の設置を日本側に提案すると決めたそうだ。韓国外交通商部は同件について、なんと、慰安婦支援のために組織された反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)と協調する方針だという。

中国でも韓国でも、反日勢力は政府を動かす大きな力を持つ。尖閣諸島が日本に帰属することも、日本の領土の竹島が李承晩政権によって暴力的に奪われたことも、慰安婦の強制連行がなかったことも、皆、明らかだ。しかし、事実はねじ曲げられ、捏造され、事ある毎に持ち出される。その原因の少なくとも半分は物言わぬ日本側にある。発言し主張する勇気の欠如が、当事国の中韓をこえて、日本の最重要同盟国、米国で大問題になったのが07年だった。

カリフォルニア州選出の下院議員、マイク・ホンダ氏が、日本軍は20万人の女性を強制的に連れ去り「性奴隷」とし、大戦終了間際にはその殆どを殺害した、にも拘わらず、日本は一度も謝罪していないなどと、北朝鮮や挺対協の主張どおりの内容を言い立て、米議会で日本に謝罪要求決議を目指したときのことだ。

二流国へと漂流するか

加藤良三駐米大使(当時)は「ホンダ議員の主張は間違っている。日本はすでに謝っている」と弁明した。加藤氏はしかし、強制連行はなかったという最重要のことに一言も触れなかった。結果として、ホンダ氏の主張を認めたことになった。加藤氏はいまや日本野球機構コミッショナーである。大使として日本の国益を守るための主張を展開出来なかった人物が、果たして、スポーツマンシップを守る職責を果たせるのだろうか。その後もわが国外務省は、慰安婦問題について相も変わらず、同じような姑息な弁明を続けるのだ。

こうしたことが深刻な形で日米関係を歪めている。一例が知日派として知られる元国務副長官、リチャード・アーミテージ氏がクリントン政権の国防次官補、ジョセフ・ナイ氏と共に、超党派の知日派の意見をまとめて8月15日に発表した「日米同盟」と題した報告書である。

本文20頁の同報告書は、米国の戦略形成に大きな影響を及ぼす知日派が健全で強い日米同盟関係構築をどれほど切望しているかを示している。日米関係発展のための優れた政策提言に私は敬意を払うものだ。報告書は日本が自信を持てずにいることを指摘しつつも、一流国にとどまるか、二流国へと漂流するかは、実は日本の気概次第なのだと喝破する。

昨年の東日本大震災の後遺症の深刻さを十分理解し、それでも日本が原子力発電を切り捨てることは国際社会への責任放棄に等しいと指摘するのは、中国、ロシア、韓国、フランスなど各国が原発推進で動くいま、原発の安全性に日本こそが大きく貢献出来ることを知っているからだ。

資源の少ない日本が死活的に重要だととらえるエネルギー安全保障について、報告書は、日米は軍事上の同盟国にとどまらず、資源同盟国となるべきだ、とも説く。

米国はいまシェールガス革命の真っ只中にある。50州中48州で膨大な量のシェールガスが発見され、技術革新でその抽出が容易になった。国際エネルギー機関(IEA)は「石油及びガスの中長期展望」(2010年)で、パナマ運河の拡張工事が完成する14年には、世界の液化天然ガス (LNG)の80%がパナマ運河経由で運ばれ、米国沿岸から輸出されるLNGの価格は大幅に下がり、アジアで強い競争力を有するに至ると分析した。

IEAの分析は、米国がシェールガスで世界のエネルギー需給に劇的な変化をもたらすこと、世界最大のLNG輸入国の日本は、ロシアから高い価格でガスを購入しているが、アーミテージ氏らは、米国の豊富で安価なLNGの恩恵に日本も浴すべきで、米国は対日輸出を特別に許可すべきだと主張するのだ。

米国はLNGの輸出を米国と自由貿易協定(FTA)を締結した国にほぼ限定してきた。輸出によって国内のガス価格が上昇すれば米国企業の競争力が奪われるという考えゆえだ。野田佳彦首相は4月のオバマ大統領との会談で、日本はFTAの非締結国だが、LNGの対日輸出を要請、アーミテージ氏らは米エネルギー省は速やかに輸出を許可し、日米はエネルギーを含む資源同盟国となるべきだと指摘した。

歴史問題の分厚い誤解

中国の現状を報告書は、「再台頭」と定義する。中国が新疆ウイグル自治区、チベット、台湾を公式に核心的利益と定義し、南シナ海と尖閣諸島への関心を強めている状況下、地域の安定と繁栄のために強力な日米韓三ヵ国の関係が必要だと強調する。このくだりで日本にとって憂慮すべき指摘がなされている。

「繊細な歴史問題は米国が何らの判断を示すべきものではない」と断りながら、日韓の緊張緩和に、米国は最大限の外交的努力を行なうべきだと明記して、こう述べている。「日本が、日韓関係を複雑化し続ける歴史問題を直視することが重要だ」。

歴史問題、具体的には慰安婦問題を日本は直視し、認めるべきだと言っているわけだ。歴史問題に関して、米国の識者の多くは日本に厳しい。その米国の姿勢は、歴史問題に関心を抱き、長年、事実関係を詳細に調べてきた立場でいえば、必ずしも論理や事実を踏まえたものではない場合が多い。これは日本にとっては実に恐ろしいことである。

米国の知識層は、「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も、日本の主張でなく中国や韓国の主張の枠組みで考えがちだ。親日、知日派の人々の中にも根深く浸透しているこの歴史観は、時に、米国をして、日本の頭越しに中国や韓国と手を結ばせかねない力を持つ。

だからこそ日本はいま、人材、資力、知力を注ぎ込んで、日本の前に立ち塞がる歴史問題のこの分厚い誤解の壁を少しずつでも突き崩していかなければならない。

 

『週刊新潮』 2012年9月6日号
日本ルネッサンス 第524回