韓国大統領選を左右する秘密会議録 櫻井よしこ
韓国大統領選を左右する秘密会議録
櫻井よしこ
12月19日に迫った韓国大統領選挙が、33年前に暗殺された朴正煕元大統領と3年半前に自殺した盧武鉉前大統領の弔い合戦の様相を見せている。韓国の保守勢力が本来の問題意識を取り戻し、北朝鮮寄りの左派勢力と戦う構図が生まれていると言ってよいだろう。
大統領選挙は朴槿恵氏と文在寅氏の一騎打ちである。保守と見做されている与党セヌリ党候補の朴氏は朴元大統領の一人娘である。他方、野党民主統合党候補の文氏は金大中、盧武鉉の2人の元大統領の路線を引き継ぎ、2000年の金大中・金正日宣言と07年の盧武鉉・金正日宣言の実現を公約としている。
これまでの選挙戦の争点は、一言でいえばバラ撒き政策の競い合いだった。ところがいま、状況が劇的に変化し、争点が韓国の国防と北朝鮮への対処策に移っている。きっかけは盧武鉉・金正日会談の会議録が韓国国民の目に晒されたことだ。少し長くなるが、事の発端から説明する。
盧武鉉氏が現職の大統領だった07年10月、氏は金正日総書記と南北首脳会談を行った。2人の会議録は盧大統領が30年間非公開とするという法律を作り封印してしまった。当時公表されたのは10・4宣言だけで、内容は南北朝鮮の統一を目指し軍事的敵対関係を終息させる、黄海上の軍事境界線である北方限界線(NLL)周辺に共同漁労区域と平和水域を設定するなどだった。
盧氏は大統領退任後、巨額の不正資金問題をはじめ、さまざまな疑惑に捜査のメスが入ろうとした09年5月23日に自殺した。反国家的といえる疑惑の中で、追及逃れで自殺した人物を李明博大統領が国民葬にしたことに、当時、私は驚いたが、盧氏への司法の追及はそこで止まり、前述の首脳会談録も含めて多くの事柄が闇の中に閉ざされた。
「逆賊謀議」
ところが、会議録の写しが国家情報院に存在したのだ。100頁を超える同会議録をセヌリ党の鄭文憲議員が国会運営委員会に持ち込み、扱いを協議した。その際、大統領の外交安保首席秘書官の千英宇氏が会議録公開は韓国の品格を傷つける、公開は問題があるなどと反対した。
ちなみにこの会議録を今回の出来事より遥かに早い08年末から09年にかけて読んでいたのが李明博大統領だった。当時、金剛山を観光で訪れた韓国人が北朝鮮軍に射殺され、南北対話は断絶していた。そうしたなか北朝鮮側が、盧武鉉・金正日間の合意を実現せよと繰り返し迫るので、内容の確認のために会議録を持って来させたそうだ。
李大統領はあまりの酷さに驚愕したというが、それでも情報公開には踏み切らなかった。反国家的な発言にも拘わらず、前任者の責任を問うのに消極的だったのは、国家にとって何が大事であるかを認識出来なかったということでもあろう。
今回、会議録の内容を報道したのはジャーナリストの趙甲済氏である。それを読んだ人々に取材して、『逆賊謀議』という本にまとめて緊急出版した。以下、趙氏の報告から要点を紹介する。
07年10月3日午後の南北首脳会談は4時間ほど続き、発言の約3分の2が盧大統領で、会議録は韓国側の録音をそのまま反映したものだ。盧大統領はまず、在韓国米軍基地についてこう語っている。
「我々も頑張っています。在韓米軍が首都圏から移転することになった、戦時作戦権も米国から返還されます。最近の世論調査では我々(韓国)の安保に最も脅威的な国として米国が指名され、2番目が日本、3番目が北韓です。10年前は想像も出来なかった。これは(私が)自主外交と民族共助を熱心にやった結果です」
盧大統領は金正日総書記に、自分がどれほど反米反日をやってきたかを自慢気に語っているのだ。
国際社会は北朝鮮の核を強く警戒しているが、盧大統領は金正日側に核廃棄を要求していない。核問題の重要点、高濃縮ウラン問題も取り上げず、逆にこう提案していた。
「ブッシュ大統領と金正日総書記、私の3人が終戦宣言のための会談をして平和協定を結びましょう」
米国は、北朝鮮が核開発を放棄して初めて平和協定が結べるとの態度を明確にしている。盧氏は北朝鮮に核廃棄を要求せず終戦宣言と平和協定締結を言い出した。その理屈でいけば、金正日は核兵器を保有したまま、平和協定を通じて韓米同盟を解体し在韓米軍の撤収という宿願を達成出来る可能性が生まれる。金正日が関心を示したのは当然であろう。
盧大統領はさらに首脳会談の成果としての10・4宣言を実現するために、数十兆ウォンがかかると推定される南北協力事業を提案し、大規模援助を申し入れた。ここで金正日が極めて冷静な反応を見せた。
「2カ月後(南韓で)大統領選挙が行われ、来年は政権が代わるのに、こうやって良いのか?」と。
対して盧大統領は、「だからくさびを打ち込もうということではありませんか」と答えている。
首都を北朝鮮に明け渡す
会議録を読んだ韓国政府関係者らが「余りにも屈辱的で到底、読み通せなかった」「盧発言は殆ど売国奴のレベルである」などとコメントしたのも当然と思える。
南北朝鮮の西にある黄海の軍事境界線、NLLについても、とんでもない発言がある。
「南韓には未だ、NLLを領土線だと主張する人々がいるが、安保地図としてのNLLの代わりに経済地図を作成しましょう」
盧大統領がNLLを守る意思がないことを明確にした上で話を続けたのに対して、金正日は、全部聞き終えて「それでは(NLL)関連法を廃棄しなさい」と命令調で言った。
NLLは韓国の首都ソウル防衛の最先端の要衝だ。NLLを死守してきたこれまでも北朝鮮による襲撃事件が多発してきた。盧大統領が提案したように、NLLをただの共同漁労区域にしてしまえば、北朝鮮による韓国侵略の意図の前で事実上首都を北朝鮮に明け渡すに等しい。
いずれも信じ難い反国家的発言である。こうしたことを韓国国民がいま、ようやく知り始めたのだ。当然、文在寅候補の立場は不利になる。氏は盧武鉉・金正日会談推進委員会の韓国側委員長を務め、一連の会談の筋書きを書いた人物として知られているからだ。
氏には釜山貯蓄銀行(信用金庫)に関して新たな疑惑も持ち上がってきた。庶民のための清貧な弁護士という像も崩れ始めた。北朝鮮が予告したミサイル実験も文氏不利に働くだろう。
反日の極致を行くといってよい文氏が大統領選で不利な立場に陥りつつあるという事実は、日本にとって、最悪に陥っている日韓関係をこれ以上悪化させないという意味で、前向きに捉えてよい状況である。
『週刊新潮』 2012年12月13日号
日本ルネッサンス 第538回