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2010.08.20 (金) 印刷する

【詳報】 月例研究会 「日本の教育はどこで間違えたのか」

国家基本問題研究所は平成22年7月28日、東京・永田町の星陵会館で「日本の教育はどこで間違えたのか」と題して月例研究会を開きました。パネリストとして義家弘介(よしいえ・ひろゆき)参院議員(自民)、笠浩史(りゅう・ひろふみ)衆院議員(民主)、高橋史朗明星大学教授が参加。途中、鈴木寛(かん)文部科学副大臣(参院議員=民主)が駆け付け、中山恭子参院議員(たちあがれ日本)と長勢甚遠(ながせ・じんえん)衆院議員(自民)もフロアから発言しました。櫻井よしこ理事長が研究会を仕切りました。国基研が初めて教育問題を取り上げたこの研究会には、会員256人、一般48人、国会議員4人、議員秘書1人、前議員1人、役員7人が参集しました。国基研では、重要な研究課題として教育問題を引き続き取り上げる所存です。

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パネリスト左から、髙橋史朗 明星大学教授、義家弘介 参議院議員、笠浩史 衆議院議員

櫻井 本日は教育の基本である幼児教育と小中学校の教育について、お三方に議論をしていただきたい。後ほど鈴木文部科学副大臣も見えます。

義家 日教組問題を語る時、現場に足を運ばない人を私は信じません。私は昨日、山梨へ行ってきました。とんでもない情報がまた寄せられています。例えば、小学校の封筒を使って『山梨教育』という山梨県教職員組合(山教組)の機関紙が届けられています。機関紙には輿石東さんら日教組出身の候補を参院選で応援しましょうと書いてある。内閣法制局の見解では、機関紙の配布が参院選公示前であっても、機関紙の記載が候補者を支持するものであれば、政治的目的ありとなる可能性が高く、教育公務員特例法違反です。

私が不正常な教育現場と闘っている理由は、教育正常化なくして教育再生はないと考えるからです。まじめに頑張っている先生を政治活動から解放してあげなければならない。日教組に属していても、まともな認識を持っている先生は多い。不正常な状態からわれわれを解放してくださいという声に対して、政治はきちんと向き合わねばならない。

一番大事なのは教育の無責任体制を改善することだと思っています。今の教育委員会制度は連合国軍総司令部(GHQ)が日本解体を意図して作ったものですが、何がおかしいかと言うと、責任の所在を分散化させたことです。責任を分散化させれば教育は崩壊します。親の責任、担任の責任、教頭の責任、校長の責任、教育委員会の責任、文部科学省の責任、中教審の責任を互いに押し付け合うシステムにしたら、教育は崩壊します。

現在の教育議論に耳を傾けると、子供たちのことより自分の当選のことを考えている議員が多い。3月31日に高校授業料を無償化するとんでもない法案が通りました。私立高校は既に授業料を徴収済みだから、(返金のため)いちいち生徒の口座に振り込まなければならない。その議論が行われている時に、改選期の参院議員が自民党を含めて国会に出てこないのです。政治は本当に未来のことを考えているのだろうかと、悲しい気持ちになりました。

教育崩壊の一番の責任は自民党にあると思います。日教組の問題や無責任体制の問題を把握していたにもかかわらず、票にならないから、正常化するための立法を怠ってきました。だからこそ、私は、安倍晋三元首相の教育再生の覚悟に尊敬の念を抱きながら、闘っているのです。誰も責任を取らない制度を作って、子供たちにツケを回してきたのが戦後65年間の実態でした。

民主党が教育委員会廃止の流れにあることには大反対です。(地方自治体の)首長部局に教育を委ねると、左翼が首長になった場合に(教育行政が)全く変わってしまうからです。教育行政はある程度しっかりした中立組織が進めなければならない。

しかし、今の教育制度はだめです。なぜなら、法律上の最高意思決定者が非常勤の教育委員会の面々だからです。常勤の事務局のトップである教育長を中心にした上で、議会への説明責任を果たさせ、教育委員会はオブザーバー的な意見反映の場とするという責任体制を作り上げなければならない。

私自身、不正常な教育現場にメスを入れる「新教育3法」を準備しています。第一は「教育公務員特例法」の改正です。教員は影響力が強いことから、(公立学校教員の)政治活動は国家公務員と同様に規制されています。しかし、規制は「当分の間」とされ、しかも罰則規定がありません。教育委員会と教組のなれ合いの中で、ほとんど有形無実化している法律に、国家公務員と同様な罰則規定を盛り込みたい。

第二は「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」の改正です。日教組による偏向教育を教育現場に持ち込ませないためにできた法律ですが、罰則規定があるにもかかわらず、公訴権者が限られているため、実際には公訴できない法律になっています。その点を改正し、住民から偏向教育の通報があれば教育委員会は調査し、事実なら公訴しなければならないようにします。

第三に、「地方公務員法」を改正し、教組に収支報告書の提出と公表を義務付けます。また、違法なストライキを行った場合は人事委員会の認証団体から外し、当局と団体交渉をできなくします。

この三つを国会に提出し、なぜ法改正が必要かを国民の前に明らかにしたいと思っています。正常な教育とは何かという国民的議論を今起こさなければ手遅れになります。今後10年間で(教育再生を)やらなければ手遅れになると思っています。そのために政治生命を懸けて闘っていきます。

高橋 「戦後教育はどこで間違えたのか」というテーマに関し、まず出発点のゆがみについてお話ししたい。戦後日本の「教育の民主化」は、「精神的武装解除」を目指した占領政策から始まりました。それは伝統文化・愛国心の否定、歴史の否定、道徳の否定という特徴を持っています。教育基本法からは「伝統を尊重せよ」という字句が削られ、教科書検閲では愛国心につながるものはことごとく排除されました。歴史の否定に関しては、ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(戦争への罪悪感を日本人に植え付けるための計画)の一環として、米英は民主主義の善玉、日独伊は全体主義の悪玉という米国の史観に基づいて『太平洋戦争史』が書かれ、それを戦後の日本の子どもたちは学んできました。戦後の教科書には日清、日露戦争を含めて侵略戦争という考え方が入っています。これは、ソ連のコミンテルン史観と米国の占領政策が癒着したもので、それを拡大再生産してきたのが日教組です。道徳の否定に関しては、修身や教育勅語が否定されました。

その後、戦後教育に足りないものを取り戻そうとして「国民実践要領」や「期待される人間像」を作ったが、ことごとく失敗しました。どんなに美しい教育理念を盛り込んでも教える人がいないという反対に遭ったからです。

中曽根政権時代に臨時教育審議会(臨教審)ができました。私は第1部会に属し、第3部会の文部省寄りの人たちとかなり激しい論争を展開しました。もともと臨教審には、教育基本法の枠内で議論するという限界がありました。また、教育改革の目的と手段が一致しなかった、あるいは、具体的方法を明示できなかった、教育現場との溝を埋められなかった、と思っています。そこで臨教審が終わった後、私は現場主義に転じました。「1人からの教育改革」を目指し、まず親や教師が変わることが大事だと思っています。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著)という本によると、江戸末期に日本にやってきた外国人は、日本の子供は本当に幸せに暮らしており、日本を「子どもの楽園」と呼んでいます。日本の子供が世界一礼儀正しかったのは、親が手本を示して「江戸しぐさ」を教えてきたからです。日本の子供が150年ほどで変わってしまったのは、親が変わったからではないかと私は感じています。

今の日本では、ギャルママが子供に輝宙(ぴかちゅう)とか僕(しもべ)とかいう名前を付けたり、女の子に賢一郎ちゃんと名付けたりする実例のあることが週刊誌に大きく紹介されています。親心を失った親があふれていて、学校で道徳を教えても、土台が崩れてしまっている。そういう中で、家庭教育や幼児教育という土台をどう再構築するかが今の問題だと思っています。

今年、小学校の教員になった私の教え子は「習ったことと現場があまりにも違いすぎる。発達障害(注意しても言うことを聞かない自閉症、学習障害など)の子が2割もいる」と言うのです。発達障害の子は、40年前は1万人に1人でした。そういう子が2割いると、学級崩壊です。学級を運営できません。親からは(教師の)指導力を批判され、私の教え子は1年で3人辞めました。これが現場の実態です。発達障害は改善、予防できることが分かってきたので、それに全力を挙げることが大事で、埼玉県では保育、教育、医療、福祉が連携した「発達支援プロジェクトチーム」を作って、県を挙げて取り組むことになりました。国や他県でも取り組むよう働き掛けていきたいと思っています。

もう一つ申し上げたいのは「ゆとり教育」についてです。先に触れた占領政策とマルクス主義の癒着に加えて、子供中心主義という進歩主義教育が日本の教育をおかしくしました。米国は1970年代に教育を自由化しましたが、75年に「基本に帰れ」という国民運動が巻き起こりました。日本はそれと逆にゆとり教育に移りました。実は、ゆとり教育は「教師にもゆとりを」という労働の論理から始まったのです。

そして、「指導から支援へ」(子供を指導してはいけない)という考え方が小中高にも、保育所・幼稚園にも、家庭にも広がったのです。保育所や幼稚園は集団的一斉保育から自由保育へ切り替わり、「幼児はおやつを選択する自由がある」とか「幼児はどういう時間にどういう遊びをするか自己決定する権利がある」と当時言われました。また、スポック博士の育児書の考え方が厚生省の母子健康手帳副読本にも採用され、「子供を叱ってはいけない」「子供を自由にさせなさい」という考え方が家庭や教育現場に広がりました。

ブッシュ米大統領は「教育荒廃の原因は子供中心主義の進歩主義教育にある」と言いました。サッチャー英首相は「子供中心主義とマルクス主義が教育荒廃の原因である」と言いました。ミッテラン仏大統領は「子供中心主義による教育が協同的記憶を喪失させ、わが国に喪失をもたらした」と言いました。

日本の子供たちの礼儀正しさを取り返すために、まず親を変え、教師を変え、大人を変えなければいけない。そのことを指摘して私の問題提起とします。

櫻井 サッチャーさんが教育荒廃の原因と言った子供中心主義とマルクス主義は今、日本で真っ盛りなのではないでしょうか。義家さんが言ったように、教育荒廃の大きな責任は与党だった自民党にあると思いますが、問題は、政権交代をした民主党が自民党の間違いを数倍拡大して繰り返そうとしているのではないかということです。

 日教組を守るとか一緒になって批判するとかではなく、現場で問題があれば解決していくのは当然のことです。

1回生議員の時、超党派代表団の一員として、英国の教育改革(サッチャー改革)の調査に行ってきました。3年後、フィンランドへ行き、学力世界一の教育現場を見てきました。両方の国で「かつての日本の教育を参考にわれわれは教育改革を行ってきた」と聞かされました。両国は恐らく、戦前の修身や教育勅語の素晴らしさ、武士道から引き継がれる日本人の勤勉さやまじめさをお手本にしながら、教育改革を進めてきたのでしょう。それなのに、なぜ日本の国会議員が視察に来るのか、と言われた時はショックでした。

教育に党派対立は必要ありません。国として人材育成に責任があるので、党派を超えて子供たちの未来のことを考え、いいことは与野党一緒にやればいいし、考え方の違うところは徹底的に議論すればいい、というのが私の考えです。

民主党の教育政策が日教組によってゆがめられているのか、あるいは影響を受けているのかという点についてですが、私は議員としての7年間、民主党内での一番大きな仕事として、「日本国教育基本法案」をまとめました。法案には前文に「日本を愛する心を涵養し」というくだりを入れました。党内の日教組出身者の反対は強いものでした。しかし、これをしっかり盛り込んだことを自負しています。民主党が一部の教組出身者に支配されて、われわれの教育政策が作られているわけではないことをご理解いただきたいと思います。

私の地元川崎で小中学校の日教組組織率は約9割ですが、日の丸も君が代もきちんとやっているし、起立しない先生はいません。学校現場に行って先生たちとお会いするのですが、皆、子供たちの学力を伸ばす時間がほしい、子供たちと向き合う時間がほしいとは言うが、イデオロギー的な話や偏向した話をする先生はまずいません。

一部に過激なことをやっている人がいるかもしれないが、現場が悪い支配をされているのは極めて限られた地域なのでは、と思っています。教育基本法案をまとめる時に、北教組(北海道)の皆さんが来て、いきなり「子供を戦場に送るつもりなのか」と言うのです。「何をばかなことを言っているのですか。そういう愚問をするなら帰ってくれ」とお引き取り願いました。H2Oと言うのだそうですね。北海道と広島と大分。こういうところが過激なのです。そういう過激な体質を持っているところが少し残っているかもしれませんが、今後(北教組の違法献金事件ような)問題が起きた時は、私どもは責任をもって対処していきたいと思います。

偏向を許さないため、あるいは起こしてはならないことを起こさないため、私たちがしなければならないのは責任の所在を明確にすることです。(義家さんは反対と言ったが)私は首長に権限を持たせるべきだと思っています。埼玉県の上田清司知事、神奈川県の松田成文知事、杉並区の山田宏・前区長ら、素晴らしい首長さんたちが教育改革を行っています。左翼のとんでもない人が知事や市長になったらどうするのかという心配はあるかもしれないが、そういう人は選挙で落とせばいいのです。同時に、首長に全部任せるのではなく、首長がきちんとした教育行政を行っているのかを監査する委員会をつくることを私たちは提案しています。

このほか、先生たちが一部の親に振り回される状況をなくすため、校長にもっと権限を渡し、校長の責任をもっと明確にすることが必要です。また、先生の質を向上させるため、4週間の現場研修ではなく、少なくとも1年間は教壇に立つ経験を積ませる仕組みを作っていきたい。

最後に、国会がせっかくねじれたので、党派を超えて教育基本法を改めて議論したいと思っています。

櫻井 子供を育てる教師はかつて聖職者と言われ、普通の職業とは違います。日教組は教師も労働者だと言いましたが、やはり労働者ではありません。そういう観点から、きちんとした教師をどう育てるかについて、ご意見をうかがいたい。

高橋 教育基本法に、教師には「崇高な使命」があると書いてあります。単なる労働者ではありません。また「研究と修養に励み」と書いてあります。修養とは自己改善です。今、そういう(自己改善の)研修が少ないのです。教育研修を見ていると、すぐに役立つスキル(技術)を教えている。一番大事なのはそういうことではなく、教師自身の人間力です。

私が主宰している「師範塾」では、まず志を問います。何のために教師になるのか、と。教師としての志、教師としての目的意識を問い直してもらいます。そして師範力。師範力とは、子供の手本を示すことのできる人間力のことです。そういう人間力のある教師が出てくれば――1人のカリスマ教師では変えられないですが、彼が持っているものを多くの方が共有してくれれば――変わります。どんなひどい親でも、どんなひどい地域でも、教師が変われば生徒は変わります。そういう師範力を高める研修を、全国に広げる必要があると考えています。

櫻井 問題は素晴らしい教師をどうやって育てるかということになると思います。義家さんが言った教育3法の改正は偏向教師の排除につながると思いますが、それと同時に素晴らしい教師を育てないといけません。

義家 素晴らしい教師をどう育てるか。ここでもキーワードは「責任」です。誰がどのような責任と方針を持って育てるかを論じない限り、すべての議論は絵にかいたモチになります。

北海道は特殊だと(笠さんは)言いましたが、(笠さんの地元の)神奈川もひどいものです。「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆した自由社版の中学校歴史教科書が横浜市教育委員会によって採択されたにもかかわらず、この教科書を使わせない組合作成の指導マニュアルが学校のポストで税金を使ってばらまかれました。腐っていると言うしかありません。

改革派知事はだいたい1期目はいいことを言うのです。2期目には最大支持母体が自治労と日教組になるから、物を言えなくなる。あるいは、今回の参院選で輿石さんと自民党の宮川典子さんが戦った山梨県。多くの自民党県議は宮川さんを一生懸命応援しなかった。来年の統一地方選で日教組を敵に回したら落選するからです。こういう配慮の中では、まともな教育などできません。

大分県の今年の教材がここにあります。建国記念日について、「戦前は紀元節として、日本の軍国主義を盛り上げるため利用されてきた」と書いてあります。心ある教員が「もう勘弁してください」と提供してくれたものです。偏向教育の大分では、まともに教えたいという教員はいじめられて、意に沿わない転勤などをさせられてしまうのです。だから、何とか助けて下さいと、私に資料を送ってくるのです。

兵庫県の組合文書は「教頭は私たちの仲間だから、教頭推薦に積極的に取り組むように」と書いています。こういう現状を是正しない限り、よい教育はできません。

よい教師の可能性を開花させるには、教育の正常化が前提です。日教組の組織率が3割にすぎないといっても、50代の主任クラスを掌握しているわけですから、若い教師はまともな発言ができるわけがありません。また、組合が人事権を握っているのですから、おかしいと思っても、今のところ組合の言うことを聞いておいた方がよい、となってしまうのです。

先ほど民主党の「教育実習1年」論が出ましたが、これも現場を知らない政治家の絵空事です。私は社会科主任時代、教育実習生の教材指導をやったことがありますが、3人分終わるのに午前3時ごろまでかかります。大学に提出しなければならない膨大な書類もあります。実習生が1年もいたら、教員は仕事になりません。

その上で「責任」の問題に戻りますが、例えば1年いた実習生が生徒と恋愛関係になり、問題を起こしたら、誰が責任を取るのですか。在籍する大学の学長ですか、指導教官ですか、校長ですか、教育委員会ですか。単位を出さないという責任は実習生に取らせますが、傷ついた生徒への責任は誰も取らないシステムになっているのです。

だから高橋先生と協力し、私は横浜教師塾を作りました。横浜で教師を志す人間を100人募集し、毎週授業をして、途中から教育現場に教員補助として出す。その場合、責任の所在は明確です。問題が起きれば、塾長の私に責任があります。

もう一つ付け加えると、指導力不足教員の約7割は経験20年以上のベテランなのです。つまり、日教組体制の中で安穏と過ごし、手抜きをしてきた人たちが、今、手抜きできなくなってパニックになっているのです。だからわれわれは教員免許更新制を作ったのに、(民主党政権になって)更新制は抜本的に見直される方向となってしまいました。

 教員養成のための大学がどんどん減っており、大学のシステムを変えなければならないと思っています。大学の先生は論文が評価されて昇進していきます。しかし、昔の師範学校の精神を復活させて、教員養成大学の先生が正当に評価される仕組みも作っていかないといけません。

1年間の教育実習については、大学の4年間で仮免許、1年間の経験を積んだ後に本免許というイメージです。教員養成大学の制度設計もワンセットにして、遠くない時期に法案を提出したい。

教員免許がなくても小中学校の教壇に立てる仕組みも、整えていきたいと考えています。

櫻井 かつての師範学校のようなものを考えているということは、教師は労働者ではないことを民主党としてきちんと打ち出したいと思っていると解釈してよいでしょうか。

 はい、結構です。師範学校をモデルにしながら、その精神を引き継いだものを作りたい。教師は単なる労働者という自覚でやってもらっては困ると思っています。

櫻井 教育は超党派で議論すべきだという笠さんの冒頭の発言に賛成です。安倍政権時代の教育改革、例えば全国学力テストや教員免許更新制は、民主党政権になっても継続したらよかったと思います。教育を与野党一緒に考えるということを民主党はどう実行するつもりですか。

 教員免許更新制の対案として、民主党は教員養成6年制を出しました。どちらがよいのか、しっかり政策論争をしたい。

学力テストが「事業仕分け」で予算との兼ね合いから抽出方式になったことは、遺憾だと個人的には思っています。ただ、実施学年が中学3年生と小学6年生でよいのか、もう一度考えた方がよいかもしれません。学力テストの在り方について、党内で議論を提起したいと思います。

高橋 学力テストは、教育政策と授業改善に生かすためにやるのです。教室ごと、教員ごとのデータが精緻に比較できないと、分析できません。全国データがないと、教育政策にも授業改善にも役立ちません。日教組が反対してきたのは、教員ごとのデータがはっきりすると自分たちの責任が問われるからです。

義家 全国学力テストの(全員参加方式の)廃止は背徳的でした。というのは、2007年の第1回テストを受けた小学6年生が今年4月に中学3年生となり、戦後史上初めて、同じ子供たちが受ける最初のテストが今年だったのです。つまり、学力の推移が初めて総体的に検証でき、新しい指導要領に生かすことができるはずだったのです。それが、抽出方式に変えたおかげで、すべてのデータはパーになりました。まさに、日教組にくみした民主党の「とんでも政策」です。

櫻井 笠さんには頑張っていただいて、日本国の未来のために、民主党の教育政策を真っ当な方向に引っ張っていく力になり続けてほしいと思います。

次に、子供たちの教育に誰が最終責任を持つべきかについてお話をしていただきたい。高橋さんが先に紹介した『逝きし世の面影』の中には、日本の子供はある日突然大人になると書いてあります。それは日々素晴らしい大人の姿を見ながら暮らしているからだ、と。そういう意味では、子供にはやはり家庭教育が大事なのだろうと思いますが、今は(子供手当などの民主党の)政策を見ると、国が親から責任を引き受けるような感じになっています。これをどうやって反転させることができるのでしょうか。

高橋 政府の少子化に関する重点戦略検討会議で私が親の責任を主張すると、育児と介護は社会が担うという反論が必ずありました。私は、育児も介護も社会全体でサポートするのは当然だが、第一義的責任は親にあると申しました。

親をサポートする人間を、そして学校と教師をサポートする人間をシステムとして育てないといけない。今、学級経営やモンスターペアレントへの対応でパニックになって、先生方がどんどん辞めています。昔は家庭と地域が学校の教育をサポートしました。今はそのシステムを作る必要があります。例えば埼玉でやったのは一日保育士・幼稚園教諭体験。これをやると、親はクレーマーから感謝の気持ちに変わります。

 まず「親学」というものを真剣に検討しなければならないと思っています。一つ大事なのは、公立の小中学校を地域に開くことです。校長が親に言えないことでも、地域の人なら言ってもらえる。その役割分担を含めて、民主党は「地域立学校」(コミュニティースクール)というものを推進しています。地域の皆さんに学校運営にかかわってもらう中で、若い父母に「親学」の場を提供できるのではないかと思います。さらに、就学前の教育の位置づけを、義務教育が現在の9年間でよいのか否かも含めて、考えなければなりません。

櫻井 家庭で基本的な教育がほとんど行われなくなってしまった日本の現状に、どこからどのように手をつけたらよいのでしょうか。親を変えるのは至難の業です。

義家 一番の責任はどこにという議論は大事ですが、ともすれば責任の押し付け合いになります。教室で起きることの責任は教師にあります。いじめが起きた時に、加害者の親は何も知りません。教室でのトラブルの責任は教師が負う。加害者の親に対する教育の責任も教師が負います。

私は家庭崩壊した子供を受け入れてきましたが、親は変わります。一つは、子供を下宿させるなど親から引き離す荒療治をすれば、子供に親への感謝の気持ちが生まれ、親も変わろうとする。もう一つは、父権の喪失が家庭崩壊の元凶なので、父親が変われば家庭は変わります。教師の父権的な要素と父親の父権がぶつかるところを子供に見せるべきです。家庭教育は父親の出番です。

櫻井 教育における親の役割、家庭の役割は大事なのに、民主党は伝統的な日本社会の基礎単位である家庭を否定するような価値観があるように見えます。民主党は日本再生へ向け、人材を育成するためにどのような教育を考えているのでしょうか。

鈴木文部科学副大臣 民主党の「日本国教育基本法案」は、家庭が教育の原点であるということから書き始めています。家庭、家族がすべての始まりであることは、全くその通りです。例えば、秋田県は全国学力テストで4期連続1位となりました。なぜか。秋田には、①3世代同居が全国で一番多い ②教員採用試験の倍率が20倍で、教員の質が高い ③県独自の教員予算確保により、少人数学級が全国平均の1.5倍もある―という要素があります。親がちゃんとしなければいけないというのはその通りですが、日本はなかなか父権が実現できる勤労環境にありません。そこで、大事になってくるのが祖父母の世代、そして、血はつながっていなくても、子育てを卒業していろいろな知恵を持っているおじいさん、おばあさんの世代です。その世代に活躍してもらうことで子供の生活習慣がよくなる。

コミュニティースクール第1号である東京・足立区の五反野小学校の場合、理事長の鴨下甚治さんはモンスターペアレンツをやらないという宣言を全保護者に署名入りで出させたほか、毎日の登校時に学校へ行って全児童に「お早う」の声掛けを始めました。すると、校長はじめ全教員が見習い、最近は交番の駐在さんも来て、「お早うございますロード」が300メートルほど続きます。だから、あの学校へ行くと皆があいさつします。

子供はもちろん親が育てるのですが、それが不十分な場合に地域のサポートはありがたい。コミュニティースクールは今、全国で630校もあります。これだけですべての問題が解決するわけではありませんが、地道な努力を重ねたいと思います。

義家 (コミュニティースクールは)いいように転がればよいが、市民活動家、左翼に乗っ取られたらとんでもないことになります。しっかりと見張るシステムが必要です。そうでないと、教育委員会や国から下りてくるものがなし崩し的に食われてしまう可能性があります。

民主党の「日本国教育基本法案」は、前文は素晴らしいが、中身をみると危ないことがいっぱい書いてあります。例えば第4条は在日外国人の教育環境整備に努めなければならないと書いてありますが、これは朝鮮学校の授業料無償化の議論につながります。また、第18条は教育行政の「民主的な運営」をうたっています。この一文があればすべてできる、と日教組の人は言っていました。日教組はこれまで、一文を歪曲解釈しながら教育界を牛耳ってきた実績があることを忘れてはなりません。

 義家さんのような疑問があることは理解するが、私たちがこれから進める教育政策で判断してもらうしかありません。法案をまとめた立場から言えば、義家さんの批判は当たらない。日教組の言いなりになって、法案にそういう一文を盛り込ませたという事実はありません。

櫻井 (笠さんの発言に、会場から批判的なヤジが飛んだのは)笠さんが言うことと、国民の目に映る民主党の体質の間に大きな開きがあるからではないかと思います。

中山参院議員 日教組の恐ろしさについては、実際に接した時、「これが学校の先生なの?」と思うほど激しい組織であることを認識する必要があると思います。夫の中山成彬(元国土交通相、元文部科学相)は、ゆとり教育の時間を使って先生方がいかにルーズな教育をしているかを知り、それを直そうとしました。それを知った日教組からどれほど強い反対の動きがあったことか。この組織が日本の教育界を牛耳っているのなら、本当に恐ろしいと思いました。成彬は、タブーだった日教組問題を提起すれば自分はつぶされるかもしれないと言っていました。でも、「誰かが提起しなければ、10年後、20年後に日本の良さは失われてしまう。その時、今の子どもたちは世界の中で幸せに生きていけるだろうか。それを考えると、たとえ自分がつぶれても問題提起をして多くの人々に考えてもらいたい。報道機関にも取り上げてもらわなければいけない。そういう覚悟で日教組批判をした」と家庭で話していました。日本の子供たちが明るい未来を迎えられるよう、もう一度この問題を真剣に考えないといけないと思います。

長勢衆院議員 私は労働省の役人をしていたので、日教組は大変なものであることを目の当たりにしてきました。日教組に対する文部省首脳の態度は、結託しているのではと思うほどで、危険なものが蔓延しているとずっと思ってきました。

日本の文化は集団主義だと思います。それを個人主義にひっくり返し、家族もバラバラにしたのが戦後の歩みでした。政権政党だった自民党もそれに大きな責任があるが、その結果、日本はとんでもない国になってしまった。こんな国にまともな先生が出るわけがない。男女共同参画法などばかげた法律を一括して廃止すれば、ずっと良い国になるのではないかと思っています。(了)