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2011.09.02 (金)

一層激化する中国のウイグル弾圧 櫻井よしこ 

一層激化する中国のウイグル弾圧 

櫻井よしこ

 

当局の発表で197人が、亡命ウイグル人組織、世界ウイグル会議の発表で1,000人から最大3,000人が殺害された新疆ウイグル自治区の暴動から2年余りが過ぎた。以来中国政府は6万台ともいわれる夥しい数の監視カメラを設置し、首都ウルムチ市内での人の動きをほぼ完璧にとらえる監視体制を整備した。

中国政府の狙いは、ウイグル人の非ウイグル化を進め、中国共産党に刃向かう力を殺ぎ落とすことだ。

その具体的方策は96年3月19日の中国共産党政治局拡大会議で中央7号文件として決定済みだった。その柱は、まず、民族の言葉を奪うことだ。2000年、大学でのウイグル語の授業が中国語に切り替えられた。04年、高校でウイグル語の授業が中止され、05年には中学校で同様の措置がとられた。06年以降は学童への「バイリンガル教育」と呼ばれる中国語教育が強化された。

非ウイグル化のもうひとつの柱が宗教を奪うことだ。18歳未満の未成年者、大学生、さらに国家公務員はモスクに入ってはならないとされた。今年8月のラマダンの時期には、モスクへの出入りや女性のスカーフの着用を理由に100名以上が逮捕されたとイランラジオが報じた。事情に詳しい在日ウイグル人が語る。

「かつて学校でウイグル人教師らがウイグルの歴史や文化を教えてくれました。中国共産党は民族教育を禁止していましたが、教師たちは、自分たちはウイグル人であり中国人ではないと秘かに教えたのです。しかし、教室にも監視カメラが設置されたいま、それも出来なくなりました」

言葉と宗教を奪うだけでは不十分とばかりに、中国共産党は経済力の鞭を振るう。高額の報奨金で反中運動の密告を勧め、社会資本の整備などに1兆7,000億円余を計上し、甘い罠を仕掛ける。

ウイグル人社会が分断

それはウイグル人を豊かにするよりも、彼らの中に対立と猜疑心、さらに貧富の格差拡大を生み出した。中国語を話し中国人に従順になれば、恩恵に与ることが出来る一方で、ウイグル人らしさを保てば、就職も儘ならず、就職していても解雇されるのがオチである。貧困に沈み込んだまま、漢民族との融和以前に、ウイグル人社会が分断されつつあるのだ。

四六時中の監視、緊張と抑圧の下での抵抗運動が絶えないのは当然である。今年7月18日には自治区南部の町ホータンで、同月30日から31日にはカシュガルで、事件が起きた。

人口の9割以上をウイグル人が占めるホータンを、中国当局は民族分裂運動の拠点のひとつと見做す。国営新華社通信や、中国共産党機関紙の人民日報傘下の国際情報紙、環球時報などは、ホータンでの事件を「十分に武装したテロリスト集団の組織的犯行」、「ウイグル族の犯行グループがナイフで2人を殺害した後、派出所を襲撃した」と報じた。

他方、世界ウイグル会議は、「派出所近くのバザールでウイグル族約100人が、当局に拘束された住民の所在を明らかにするよう求めたところ、警官隊が発砲した」と、全く異なる見方を発表した。

米国に亡命中のウイグル人指導者、ラビア・カーディル氏は「ホータンには独立した報道機関が存在しないために事件の正確な情報は把握出来ない」としたうえで、「仮にウイグル人が襲ったとしたら、原因は何年にもわたる中国政府の暴力的な抑圧が生んだウイグル人の絶望である」と述べ、「なぜ、ウイグル人は、逆立ちしてもかなわない公安警察に反抗したのか。彼らには権利も、仕事も、富も、未来への希望もなく、もはや失うものがないからだ。責めを負うべきは中国政府だ」と批判した。

人口の8割をウイグル人が構成するカシュガルでの事件についても、中国当局と世界ウイグル会議の主張は大きく異なる。そうした中で、中国政府の締めつけだけは確実に厳しくなった。8月4日、中国公安部の孟建柱大臣が「暴動の首謀者らへの弾圧と圧力行使のため、新たな厳戒態勢を敷く」と宣言し、続く8月12日、張春賢自治区党委員会書記が新疆のテロ活動は尚、活発であるため、武装警察精鋭部隊の雪豹突撃隊をホータン、カシュガル両市に配置し、テロリストを攻撃すると宣言した。

中国政府は「テロリズム、分離独立主義、宗教極端主義」をウイグル人の「三悪勢力」と決めつけ、治安に名を借りた凄まじい暴力を、武器もない穏健なイスラム教徒のウイグル人に振るうのだ。どんな手を使ってでもウイグル人からウイグル人らしさを剥ぎ取り、中国への絶対的服従と中国人化を強いるのだ。そうした弾圧で人生が激変した一人に、東京大学大学院の博士課程で研究していたトフティ・チュニヤズ氏の妻だったラビアさんがいる。

突然、逮捕

博士論文を仕上げるために帰国したトフティ氏は98年2月、突然、逮捕された。

「夫になにが起きたのか。4度、中国に戻り、拘留場所を突きとめ、弁護士を雇い、夫の疑惑を晴らそうとしました」

ラビアさんは夫の消息を尋ね歩いた先々で、漢民族だけでなくウイグル人の役人などからも言葉に尽せない酷い扱いを受けた。漢民族の支配下で、強い立場のウイグル人が弱い立場の同胞を弾圧するという民族分断は、悲劇を超えて醜悪だった。

一方、トフティ氏は懲役11年の不当な刑を受けた。ラビアさんが語る。

「どういう理由からか、私がトフティの帰りを待たずに離婚し、再婚したと言われました。それは真実ではありません。私は2人の子供を育てながら夫の帰りを待ったのです。しかし、刑期が満了し、再会を願った電話で、驚天動地の言葉をトフティから聞かされました。09年2月13日、釈放から3日後にようやく、電話で話せたときです。第一声で、『あなた、結婚していいよ』って言われたのです。『結婚した後、葉書一枚で知らせて下さい』って」

ラビアさんは電話口で泣き出した。しかし、頭のどこかで刑を終えたからといってトフティさんが日本に戻るのは難しいとの思いはあった。他方、自身も夫の無実を国際社会に訴える中で中国政府を批判したため、中国に戻るのは難しいと感じていた。トフティ氏の言葉をそうした事情と重ねて、思い悩んだ彼女は、半年後、信頼出来ると信じた男性と再婚したという。

一方のトフティ氏は昔住んでいた北京のアパートで暮らしているそうだ。東大は、氏が復学するまで無期限・休学の更新という異例の措置をとり、待ち続けている。東大の教授陣はトフティ氏の完全な自由獲得に重大な関心を抱き続ける姿勢を示している。

『週刊新潮』 2011年9月1日号
日本ルネッサンス 第474回