中国の軍事戦略と一体のGPS 平松茂雄
中国の軍事戦略と一体のGPS
中国軍事専門家・平松茂雄
10年以上も前の2000年10月末と同年12月下旬、そして03年5月下旬の3回にわたり、中国が全地球航法測位衛星「北斗」を打ち上げ、予定の軌道に乗せた。
≪「北斗」システム着々と向上≫
これらは衛星から発する電波で受信機の位置を確定するナビゲーション・システムの構築を目指したものである。システム自体は米国が開発し、多くの国や地域で艦船、航空機、車両などの位置を測定するために広範囲に使われている。米国ではGPS(衛星利用測位システム)、ロシアではGLONASS、欧州連合(EU)ではガリレオと呼ばれ、わが国ではカーナビでおなじみである。
このように今では民生部門で盛んに活用されているシステムも、もとはといえば、軍事利用を目的に軍事部門で生み出されたものである。1991年の湾岸戦争でのイラク空爆やユーゴスラビア連邦コソボ自治州の分離独立をめぐる紛争における90年代末のユーゴ空爆で、米軍などがGPSにより爆弾やミサイルを攻撃目標に正確に当てて、世界を驚かせている。
「北斗」打ち上げは軍事的に重要な意味を持っていたにもかかわらず、わが国では簡単に報道されただけだったので、筆者は2003年6月22日付本欄で、「注意を要する中国のGPS打ち上げ」と題し、注意を喚起した次第だ。
それから8年余を経た今年の初めから、中国は「北斗航法測位システム」による位置測定と時刻調整サービスを始めた。この件も、前回同様に、わが国ではほとんど報じられなかったようである。
中国は、このシステムを独自に作り上げてきた。冒頭で述べた3基の衛星が打ち上げられ、システムの基本ができ上がった。だが、このシステムを軍事目的に使用するのであるなら、3基の衛星では十分でなく、もっと多くの衛星を打ち上げる必要がある。米国はシステムを運用するため、30基の衛星を打ち上げているのである。
≪ミサイル精度、射程大幅改善≫
中国はこれまでに11基の衛星を打ち上げ、測定範囲を東経84度~160度、北緯55度~南緯55度というアジア太平洋地域の大半にまで広げ、07年には測位精度も25メートル前後に高めている。米国並みの30基の衛星が打ち上げられてシステムが基本的に完成するのは、20年である。そのころには、測定範囲は全地球規模に拡大されて、精度は10メートル前後に向上するという。
位置測定範囲の拡大と測定精度の大幅な改善は、中国の戦略上、極めて重大な意味を持ってくる。中国軍の戦略ミサイル部隊、第二砲兵部隊に配備されている各種弾道ミサイル、すなわち米国を標的とする大陸間弾道ミサイルから、日本など中国周辺の米同盟国とそこにある米軍基地を目標とする中距離弾道ミサイル、台湾に照準を絞る短距離弾道ミサイル、さらに米空母を狙う巡航ミサイルに至るまで、その命中精度は飛躍的に向上し、偵察・攻撃・防御の一体的機能が形成されることになる。
ここ数年来、中国軍は、「跨越軍事演習」なるものを頻繁に、しかも繰り返し実施している。これは、複数の大軍区を跨(また)ぐ大規模な統合軍による遠距離機動作戦の演習である。その事実は、これまで軍区内での軍事行動に限定されていた中国軍の野戦部隊が、所属の軍区を越えて行動できるところまで成長したことを示している。
注目すべきは、7つある大軍区を4つの戦略区に再編する構想があり、北部戦略区がモンゴルと朝鮮半島の有事を想定し、東部戦略区は東シナ海のみならず南西諸島も視野に入れているとされる点だ。南部戦略区も南シナ海とインドシナ半島とミャンマーも対象とし、中国領土を遥かに越えて作戦範囲が設定されているのである。
≪空母戦闘群の作戦行動も強化≫
こうした中国軍の改革を目指して公布されたのが、新しい「軍事訓練大綱」で、先に述べた軍事演習も、それを実地に検証するために行われている。そして、それを可能にしたひとつがまさに、「北斗」システムの採用だった。これにより、大部隊の作戦誘導および位置策定、ならびに情報の即時伝達、管制などを可能にする情報システムが統合されたのである。
「北斗」システムの向上で、警戒しておかなければならないことは、まだある。中国海軍が着々と計画を進めているように、そう遠くない将来、西太平洋やインド洋に空母戦闘群を展開するときに、このシステムによって作戦行動を強化できるということである。
オバマ米大統領は、昨年11月にアジア太平洋を歴訪した際に、オーストラリアで、同国北部のダーウィンに米海兵隊2500人を駐留させる方針を表明し、さらに、この1月5日に発表した新国防戦略では、その重心をアジア太平洋に移動していくと宣している。いずれも、中国の軍事的台頭をもにらんだ一大戦略転換といえる。
こうした中、わが国も同盟国として、米国の対中戦略の最前線に位置しているという認識を新たにしなければならない。中国から迫り来る脅威は、「北斗」システム一つにも現れているのだから。(ひらまつ しげお)
2月28日付産経新聞朝刊「正論」