公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.03.01 (木)

原発事故克服に専門家を活用せよ 櫻井よしこ

原発事故克服に専門家を活用せよ

 櫻井よしこ  

間もなく東日本大震災から1年、1000年に一度の大災害から私たちは学び得るか。1万9千人に上る死者・行方不明者の犠牲を無にすることなく日本の復興につなげ得るか。

それへの答えにつながる資料が手元にある。1968年から69年にかけて女川原子力発電所の敷地の高さを決定するために開かれた東北電力の会議録だ。

3・11の大震災で、女川原発は、東京電力の福島第一原発よりも震源地にずっと近く、より激しい揺れと巨大津波に襲われながらも、生き残った。決め手が原発を高台に建てていたことだったのは周知のとおりだ。

原発は大量の冷却水を必要とする。海に近ければ、取水も排水も容易で、使用済核燃料の運搬費用も抑制出来る。高台に建てることはコストを含むおよそ全ての面で大幅負担増だ。それでも東北電力は三陸地方ではM7・5以上の地震で100%津波が起きるとの知見に基づいて、敷地の高さを14・8メートル、土木構造物や建屋1階の高さを15メートルと決定した。

その決定がなされたのは専門家らが自然への畏敬と畏怖の念を忘れなかったからだと、北海道大学大学院教授の奈良林直氏は断ずる。

79年の着工より11年前に東北電力は専門家9名からなる「原子力地点海岸施設研究委員会」を原子力開発推進本部内に設置した。私の手元の資料はこの委員会の会議録である。9名は本間仁東洋大学教授(当時、以下同)を委員長として、地震、土木工学(水理学、海岸工学、津波)、地球物理学等の専門家らで構成されている。

たとえば故梶浦欣二郎東大地震研究所教授は津波の発生と伝播の理論的研究で知られる。堀川清司東大土木工学科教授は海岸工学を学問の一分野として確立した。海岸工学は50年米国で土木工学の一部門として創始され、日本には53年の台風13号による高潮災害を機に導入された。堀川教授はその第一人者だった(日本学士院HPより)。

大自然と宇宙を司る理

専門家を集めての会議の課題は専ら津波対策を念頭にした原発の立地条件の検討だった。女川は33年の三陸地震で2・7~3・3メートルの津波に、60年のチリ地震で3・1メートルの津波に襲われた。これら過去の事例と2通りの計算式に基づいて東北電力は最適の敷地の高さを15メートルと考え、専門家らの意見をきいた。
会議では過去の地震・津波の事例が度々詳しく紹介されている。たとえば「宮城県沿岸で最も注意すべき津波は、明治29年の三陸地震や昭和8年の三陸地震よりも、震源がもっと南にある地震」「貞観(じょうがん)地震、慶長地震の時には仙台湾沿岸に大津波の記録がある」「昔話では貞観のとき岩沼(という地域)の松の木の上に船が残されていた」「従って南寄りの地点で発生した地震は気をつける必要がある」など、貞観、慶長の文字、過去の経験話が登場する。

貞観地震は平安時代の869年に発生、M8・3~8・6だった。慶長三陸地震は江戸時代の1611年、M8・1だった。東北電力がこうした事例をとりわけ重視したことが伝わってくる。委員会はこの種の議論を経て15メートルの高台は敷地として妥当とし、鈴木憲郎副社長が決定、社長の承認を得たと書かれている。

結果、3・11における女川原発の被害は小規模にとどまった。無事に残った女川原発が震災後、地域の被災者らの避難生活の場として開放されていたのは周知のとおりである。

東北電力関係者は、適切な対策を講じた先輩世代の知恵に感謝すると繰り返すが、その知恵は、突き詰めれば、奈良林氏の強調する自然への畏敬の念に行き着く。自然を畏怖し、真摯に対処することは、言い伝えに込められた経験知に正面から向き合い、聞きたくないことにも耳を傾け、大自然と宇宙を司る理(ことわり)を弁えることだ。物の理を理解し、対処を考えることは専門家の領域に属する。地震も津波も、発生を止めることは出来ないが、被害を最小に食いとめることは、事象の理を理解して手を打てば、必ず、可能だ。そこに必要なのが専門家の知恵である。

東日本大震災の発生直後から、約1年後の今日まで、民主党の対処が極めて拙劣なのは、専門家の知見を活かしていないからだ。そのことを含めて菅直人首相、枝野幸男官房長官らの責任は重い。問うべき彼らの責任は当初の対応にとどまらない。

菅・枝野体制下で創設された「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(以下事故調)の構成委員を見ると、両氏の専門家、とりわけ原発関係の専門家軽視は徹底している。

司法関係者重視

事故調は昨年12月に中間報告を出し、今年夏に最終報告を予定している。中間報告の段階で断ずるのは時期尚早かもしれないが、中間報告には原発についての実質的問題提起が欠けている。原発事故を調べ、検証するのに、原発を技術面から検証出来る人材が一人もいないのが原因だ。10人の委員の中には、放射線医学の専門家や元外交官、作家などに加えて元検察官、元判事、弁護士の司法関係者3名が名を連ねている。各々の分野でそれぞれ実績のある人々なのではあろうが、肝心の原発の構造に通じている人材が一人も入っていない中で、この司法関係者重視は弁護士出身の枝野氏の選択か。それにしても事故調の目的には必ずしも合致していない。

奈良林氏は福島第一原発1号機で、ベント直後に水素爆発が起こり、3号機でも2回のベントの後に水素爆発が起こったことを検証し、そこに耐圧ベントと呼ばれる仕組みが関係している可能性に気づいた。つまり、格納容器内の圧力を下げようとベントをして、逆に水素爆発を引き起こしていた可能性があるというのだ。

ベントの重要性はチェルノブイリの事故をきっかけに認識された。格納容器からベントをする際、従来の設計では圧力に耐えられないことも判明し、1メガパスカル(約10気圧)の圧力に耐えられる新しい配管などが設置された。これが耐圧ベントだ。問題は、新たに加えた機能について深い検討が行われなかったため、折角の耐圧ベントが「自爆ベント」になったと、奈良林氏は指摘する。この種の重要問題に事故調は全く気づいていない。

高度かつ特殊な技術の塊といってよい原発の事故を検証するには原発専門家の知識が欠かせない。それなしに事故調がどこまで踏み込んで将来への教訓を引き出せるか、懸念せざるを得ない。もうすぐ1年、私たちは全てにおいて、もっと真剣に失敗に向き合い、そこからたくましくも前向きの、未来を構築する力を得なければならない。問題解決を遠のけ、却って事態を深刻化させる無能な政治こそ、変えていかなければならない。

『週刊新潮』 2012年3月1日号
日本ルネッサンス 第499回