羽仁五郎もてはやしたあの時代 平川祐弘
羽仁五郎もてはやしたあの時代
比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘
納戸に姉が昭和15年頃に買った本が残っていた。YWCAの専攻科を出て地方へ嫁いだ姉は、私に「軍の学校へ行け」と励ましたくらいだから普通の日本女性だ。それなのに、羽仁五郎、三木清、河合栄治郎なども買い求めたのは、思想の如何(いかん)を問わず人気学者の本は戦時下でも売れた証拠で、ナチス・ドイツや共産国に比べてわが国にはずっと言論出版の自由があったのだ。河合と三木は敗戦前後に死んだが、羽仁は戦後日本で一躍ヒーローとなった。戦前、思想弾圧されたため後光がさして参議院や学術会議に当選、人民史観を吹聴した。私も講演を拝聴した。あの縦長の面相は憶(おぼ)えている。
ミケランジェロで鬱憤晴らし
その羽仁五郎(1901~83)の『ミケルアンヂェロ』(39)を種に私は戦後社会科の時間にリポートを書いた。知りもしないことを姉の本を頼りに書くのはよくない気がした。しかし今にして思えば羽仁自身がよく知りもしないことをこの岩波新書に書いていた。後年イタリアに留学しミケランジェロの詩を訳すに及んで私は「羽仁は胡散(うさん)臭いな」と感じた。ルネサンスの巨人は「ミケルは非凡、神の天使アンジェロ」と呼ばれた。がだからといって、気障(きざ)な羽仁が書くように、「ミケル・アンヂェロ」などと彼(か)の地では呼ばない。Michelangeloはあくまでミケランジェロである。
羽仁が描くフィレンツェの大芸術家は戦闘的共和主義者だ。だが、大仰な修辞がどこかそぐわない。もっとも、ロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』も奮闘する偉人という趣で、いずれも著者の思い入れが強い。昭和14年当時の羽仁は、治安維持法違反で大学を辞して6年、ミケランジェロを語ることで軍国日本に対する鬱憤を晴らしていたのだ。ただし、それは「近代を開いた人民や思想の力の歴史的意義を究明した」(犬丸義一)と呼べるような学術的著作ではない。
米英研究者にも講座派の影響
五郎は一高・東大で法学部卒業前にドイツへ留学した。豊かな織物業者森家の息子だからできた贅沢(ぜいたく)だ。帰国して国史学科に再入学、ブルジョワ史学を批判しプロレタリア科学研究所に参加、日大教授となる。時代の寵児(ちょうじ)は唯物史観の優位を説いた。では、無神論かというと自由学園創立者のクリスチャンの羽仁家へ婿入りし、説子と結婚した。野呂榮太郎を助けて日本資本主義発達史講座の刊行に尽力した。
この左翼の大インテリは、日中戦争が始まっても夏は軽井沢で過ごす。その避暑地で8歳年下のE・H・ノーマンと親しく、羽仁は自分の『明治維新』-これは雄弁の大力作だ-を教科書に2カ月間毎日、チューターを務めた。
片やハイデルベルク、片やケンブリッジでマルクス主義に染まった2人だ。意気投合したノーマンが羽仁の近代日本成立史観を多く踏襲し、講座派の見解を鵜呑(うの)みにしたのも無理はない。明治維新をブルジョワ革命と見るか(労農派)、市民革命ではないとするか(講座派)などの論争は日本ではもう過去の話だが、ダワーなどの西洋左翼は今もって日本近代史を講座派の枠組みで見ている。
それというのは、ノーマンは1951年、米上院で追及され、赤の前歴を暴露され、6年後、カナダの駐エジプト大使時代に自殺した。すると死後20 年、北米の反ベトナム戦争世代の手でにわかに偉大な日本史家と祀(まつ)り上げられ、その結果、羽仁がノーマンに仕込んだ講座派流日本解釈までが金科玉条視されるに至ったのである。
西洋の日本史研究の先覚者だった英国の外交官ジョージ・サンソム(1883~1965)は後継者として当初は25歳年下のノーマンに期待した。だがノーマンがじきに陥った理論先行の歴史記述に憮然(ぶぜん)とした。サンソムはイズムを信ぜず、小事実(プチ・フェ)を尊重したからであろう。
『都市の論理』痛罵した碩学
羽仁の仕事で私は『白石・諭吉』に意義を認める。自伝は日本の国文学史家によって蔑(ないがし)ろにされてきたからだ。羽仁が最後に勇名(悪名?)を轟(とどろ)かせたのは68年、『都市の論理』が一大ベストセラーになったときだ。今は民主党の幹部に納まっている大学紛争時の闘争学生たちが次々に買った。
だが、西洋史の木村尚三郎はその記述の誤りを列挙し、「壮大なアジテーションの書である。しかし火を吐くばかりの羽仁の熱烈な現状批判も、そこでの歴史的根拠に大きな無理があるとすれば力を失う。『都市の論理』は『現代都市の論理』とも『現代変革の論理』ともなりえないであろう」と結論した。その書評が『思想』69年2月号に出たとき、造反学生のバイブルを完膚なきまで叩(たた)きのめした木村の知的勇気に感心した。
当たり前のことだが、日本軍国主義に反対したからといって、羽仁のような左翼知識人が信じた唯物史観が正しかったという保証はない。かつて戦争に反対したからといって、彼らが信奉した国際共産主義が正しかったという保証はさらにない。(ひらかわ すけひろ)
2月27日付産経新聞朝刊「正論」