あらゆる事態の発生に準備せよ 西修
あらゆる事態の発生に準備せよ
駒沢大学名誉教授・西修
東日本大震災への菅直人政権の初動対応の稚拙さは、目を覆うばかりであった。法的側面からみれば、災害対策基本法で想定される「災害緊急事態」が布告されず、「重大緊急事態」に対処するための事項を審議すべき安全保障会議が開かれず、情報が一元化されず指揮命令系統が確立されず、危機管理システムが運用されず、まさに、「されずづくし」だった。
≪「安全・平和」神話崩れた≫
危機対応の欠如を露呈させた根本的な原因は、国家の緊急時対応を明記していない現行憲法の下で長年にわたり、「平和」「安全」神話に依存してきたことにあったといえる。憲法で「平和」さえうたっていれば、「安全」が保たれると考えられてきて、「想定外の緊急時」を想定するという危機意識が希薄であった。だが、「千年に一度」といわれる大地震が発生し、津波、原発事故という複合災害に遭遇して「平時」の体制で対処することには、限界がある。
地球物理学者にして名エッセイストだった寺田寅彦は、著書『天災と国防』で、わが国が敵国による侵略に備えると同時に、天変地変のごとき自然災害にも準備を怠ってはならぬと力説している。
いうまでもなく、国家の最大の使命は、国の平和と独立を守り、もって国民の生命・身体・財産を保護することにある。国が外からの武力攻撃、外国の教唆による社会秩序の攪乱(かくらん)、重要施設などを狙ったテロ、世界的大恐慌、大規模自然災害など、平時の法体制では対処できないような緊急事態に立ち至った場合を想定し、憲法でそれに対応する明文規定を設けておくべきはごく当然のことである。
≪緊急規定ないのは98カ国中0≫
私が1990年初頭から2011年末までに新しく制定された98カ国の憲法を調べたところ、緊急事態対処規定を設けていない憲法は皆無であった。ちなみに憲法に平和主義条項を設けている国は96に上る。一方で平和主義を掲げ他方で平和や安寧秩序を侵される場合に備えた措置を明文で規定しておくことは、世界各国共通の憲法構造になっているといっていい。
国際条約においても、国民の生存を脅かすような緊急事態が発生した場合にあっては、それぞれの国が一定の人権を制限して、事態の対処に必要な措置を講ずることが認められている(1966年の国際人権規約B規約、1950年の欧州人権条約など)。
わが国同様、第二次大戦の敗戦国たるドイツでも、68年にキリスト教民主同盟(CDU)と社会民主党(SPD)との大連立政権下で、外国からの武力攻撃に備える「防衛事態」条項の新設など大々的な憲法改正が行われた。この時の一連の改正・補充は「非常事態憲法」の制定と称されている。
永世中立国として知られるスイスでは2000年1月1日から、新憲法が施行された。新憲法は、政府に対して「大災害および緊急事態における民間防衛の出動のための法令作成」を、また男子に対しては軍あるいは民間防衛の役務につくよう義務づけている。
同国政府が全家庭に配布している『民間防衛』という冊子には「われわれは、あらゆる事態の発生に対して準備せざるを得ないというのが、最も単純な現実なのである。わが国の安全保障はわが国の軍民の国防努力いかんによって左右される」との一節がある。
≪非常時に真価発揮する憲法を≫
お隣の韓国憲法(1988年)は、「内憂、外患、天災、地変または重大な財政上および経済上の危機に際し、国家の安全保障または公共の安寧秩序を維持するために緊急の措置」をとる権限を大統領に与えている。そして、北朝鮮による一昨年11月の韓国・延坪(ヨンピョン)島への砲撃で、韓国軍は直ちに、対抗射撃を行うと同時に、李明博大統領は全軍に臨戦態勢に入るよう命じた。島民らの被害が最小に抑えられたのは、日頃からの避難訓練の実施と危機意識の高さによるものだったと伝えられている。
憲法上、最も大切な点は、憲法が定めている諸制度や公的機関の正常な機能を維持させることである。憲法秩序が破壊されてしまったような緊急事態の下で、一時的に権力を執行府に集中させ、人権を必要最小限、制約して、憲法秩序の維持を優先させることは、立憲主義の原則と何ら矛盾しない。むしろ、「憲法の保障」という観点から、積極的に是認されるものだ。憲法は平常時にあってのみならず、非常時にあっても、いや非常時においてこそ、その「真価」が発揮されるべきなのである。
昨年の大震災は、憲法を基軸とした国家の緊急事態法制について再点検する必要性を強く認識させたといえる。緊急事態条項の憲法への導入、外部からの武力攻撃だけでなく、大規模な自然災害に至るまで、それらの対処を包括する緊急事態基本法の制定、そして、個別法(武力事態対処法、災害対策基本法など)を遺漏なく再整備するなど、重層的な検討が早急に加えられなければならない。(にし おさむ)
3月6日付産経新聞朝刊「正論」