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2012.03.23 (金) 印刷する

【詳報】 月例研究会 「日本の復興と再生 3・11から1年」

国家基本問題研究所は、東日本大震災1周年の平成24年3月11日、東京・平河町のJA共済会館で月例研究会「日本の復興と再生 3・11から1年」を開きました。櫻井よしこ理事長の冒頭発言の後、地震発生時刻の午後2時46分、参加者が全員、犠牲者に黙祷をささげました。パネリストは、東京電力福島第一原子力発電所事故の被災者を代表して福島県双葉郡の特定非営利活動法人ハッピーロードネットの西本由美子理事長、京大大学院の藤井聡教授、大樹総研の松田学特別研究員でした。当日の参加者は285人(会員233人、一般30人、国会議員秘書1人、報道関係者1人、役員8人、スタッフ12人)でした。

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櫻井 昨年、日本を襲った未曾有の大地震、大津波、そして複数の原発事故から1年が過ぎました。亡くなった方々、そして今も行方の分からない方々は1万9000人に上ります。家族を失い、家を失い、畑も田も港も失い、途方に暮れた人々と心を通わせながら、手探りで進んできた1年だったと思います。

国家基本問題研究所も多くの問題点を探りながら進んできましたが、その過程で幾つか明らかになったことがあります。一つは日本という国の国柄についてです。つまり、ご皇室の存在の重みです。もう一つは、日本国民の立派さとたくましさ、そして、それと対照的な政治の能力の限界でした。

私たちは戦後、長い間、日本国はどういう国なのか、日本国民はどういう人々なのかということを忘れて過ごしてきたように思います。けれども、今回の大災害に襲われた後、私たちはこの国の人々とこの国の政治の中心点におられるのがご皇室だということを実感したはずです。3月11日からわずか5日後の16日、今上陛下がお言葉を発せられました。そこには国民に対する深い思いと共感がにじみ出ていました。さらに、今上陛下は各地にお出掛けにもなりました。現地のうず高く積まれている瓦礫の山に、皇后陛下とともに深々とこうべを垂れておられる姿。そのお姿を見て、表現しようのない癒しと、そしてありがたさというものに心を打たれました。常に国民のために祈ってくださっているご皇室があって、そしてこの日本の国柄がそこに反映されているのだということを確認したように思います。

それとはまた対照的に、現地に行ってみると、福島でも宮城でも岩手でも、首長も地域のリーダーたちも、復興が驚くほど進んでいないことを嘆きます。忍耐強い東北の人々が、もはや政府を当てにしていては何も進まない、政府は私たちを忘れようとしているのではないかとさえ言います。あの強大な津波に耐えた人々が、今、心が折れそうだと訴えます。頼りにしたい政府に頼ることができない。その不満が、最も辛抱強い人々が集まったと思われる東北の地で聞かれます。

私は、そのようなことには理由があるだろうと思います。例えば復興庁です。今年2月10日になって、ようやく発足しました。昨年の3月22日に今の枝野幸男経産相が官房長官だった時、復興庁をつくることを私は提言しました。しかし、できるまでに11カ月かかっています。政治の意志が形になって実行されるまでに、これほどの時間がかかるわけです。

政治家は今こそ日本国の国力の全てを活用すべく阿修羅のごとく働かなければならない人々ですが、それがなされていない。国家としての能力が使われていない。問題の処理に当たる政治的な力が発揮されていない。意志力もない。実行力もない。そうしたものが欠けていることが、復興の進まない最大の理由です。

こうした事実を通して、東日本大震災は私たち国民に日本国としての在り方の根本から考え直さなければならない機会を与え、わが国は戦後、このような形で過ごしてきたけれども、それで良いのかという疑問を抱かせるに至りました。

その一つが自衛隊についての思いです。自衛隊は現地への派遣数が突然2万人から10万人に増やされました。自衛隊の皆さんの、国民への愛があふれる行動には頭が下がります。戦ったことのない平和な時代に生まれた20代そこそこの若い隊員が、現地に派遣された自衛隊の大半を占めました。人の死を見たことのない隊員たちが、波の合間に浮かぶ傷んだご遺体を収容して、きれいに洗って、ご遺族の元に届けるところまでしました。若い隊員が本当に一生懸命やっていました。国民は皆、そのことを知っています。ですから、自衛隊に対して国民の思いは大幅に改善されました。

そして、自衛隊の約半分が被災地に取られる中、日本周辺には中国やロシアの手が伸びてきました。中国は国家の船が南西諸島の日本の領海を侵犯するにいたりました。ロシアは飛行機を領空すれすれに幾度も飛ばして、日本の様子をうかがうようになりました。国家が弱っている時には、その弱点に付け込んでくるという国際情勢の厳しさも、私たちは認識したはずです。

さて、もう一つ、この昨年の大震災が私たちに教えてくれたことは、まさに日本国民の立派さでした。日本国民がどれだけ世界の人々を感動させたか。その感動の姿はどこから生まれてくるのか。それは日本の歴史が育んだ、日本本来の価値観から生まれてくるのです。その価値観を体現してきたのが、私たち日本人です。アメリカのニューヨーク・タイムズ紙のニコラス・クリストフという最も反日的な記者さえも、日本国民の立派さを褒めざるを得ませんでした。

この日本人の立派さ、その力をどのように生かして、亡くなった方々と行方不明者の方々の犠牲を無駄にしない形で、将来の日本を築いていくのか。きょうはそのことを考えるために、皆さまに集っていただきました。復興の計画が実施されているかに見える中で、まず福島で被災された西本由美子さんから実態はどうなっているのかをお話しいただければと思います。

西本 私が主宰しているハッピーロードネットの会員も亡くなっていますし、津波の被害も遭っていますので、今日は家でそっとしていたいと思ったのですが、東京の人たちに被災地の現状を伝えるのが私の役目と思い、やってきました。

3月11日14時46分、私は自宅のリビングでコーヒーを飲んでいました。一体何があったのだろうというくらい、激しい揺れでした。その時から全てが一変し、私たちの闘いが始まりました。地震の翌朝、家の回りを歩きました。ものすごい光景でした。ありとあらゆる道路が寸断されて、使えませんでした。たくさんの家が壊れ、津波で流されていました。遠くには行けませんでしたが、他がどんなふうになっているかは、その道路を見ただけで想像できました。動転してしまって、心の中がどう表現していいのか分からないくらいでした。

私が住んでいた福島県双葉郡広野町は、福島第一原発からは22キロ、第二原発からは8キロのところにあります。しかし、原発の地盤は安全だと聞いていたので、原発事故が起きるということは、何日かは全く想像できませんでした。地震の後、電気、ガスなど全てが止まって、携帯電話も1週間ほどつながりませんでしたので、情報源が何もなかったのです。

12日に爆発事故があった時も、まさか発電所が爆発したとは思いませんでした。その日、電気も何もないところで、広野町の防災無線から「緊急事態が起きたので、とにかく役場に避難してください」との知らせが流れました。それでも「津波で家がないから避難するのだな。電気が来ないから避難するのだな」と私は勝手に思っていました。避難した日の夜、役場のテレビが初めて映りました。そこで見たのは、まさしく原発が爆発している映像でした。ここで初めて何か大変な事故が起こったと実感しました。

その後はよく状況を考える暇もなく、「自主避難してください。とにかく遠くへ逃げてください」と役場から言われたので、取りあえず東京に住む息子のアパートに避難することに決めました。ただ、家を出た時はすぐに自宅に帰れるものと思い、エプロン姿にスリッパ履きという身軽な格好で、500円玉1個だけを持って、私は夫と子どもの4人で避難所に逃げていたため、一度自宅にお金や荷物を取りに戻ろうとしたら、もう30キロ圏内は警戒区域となって、誰も入れなくなっていたのです。

それで仕方なく、私たちは着の身着のままで、東京の6畳一間の息子のアパートに親子4人で避難してきました。情報源はテレビ、新聞で見る原発のニュースだけでした。私たちのところには、役場からも、行政からも、どこからも何の連絡もないのです。本当にただ一つの連絡もないのです。安否の確認すらありませんでした。

双葉郡は8町村で、人口が7万5000人ほどです。そこの浪江町に住民は、事故の翌日に津島村というところに逃げたのです。そこはご存知のように、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)で計ったら放射線量が一番高いところでした。そこに赤ちゃんからお年寄りの方まで何千人という方々が逃げたのです。わざわざ被曝量が多い地域へ。そんな情報すらなかったのです。でも、国やアメリカはその情報を早くから持っていたということが分かっています。それでも行政からは何の連絡もなかったのです。

今も双葉郡の8町村は警戒区域の中にあるために、家族がバラバラになって過ごしています。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子どもたちが一緒に仲良く暮らしていたのに、お父さんの仕事先が違ったり、子供の通学場所が遠かったり、仮設住宅や借り上げ住宅が狭かったりするため、一緒には暮らせず、バラバラになって生活をしています。いつ一緒になれるかも分からないままで、先の見えない不安の中で過ごしています。まるで戦争中のような生活を私たちは強いられているのです。

皆さんに最新情報を伝えなければいけないと思って、私は昨日、浪江町など8町村に入ってきました。誰も住んでいません。車の動きは第一原発、第二原発の作業員の車だけです。900世帯くらい流されて、200人くらい亡くなった漁港の近くにも行きました。警戒区域なので、地震や津波の後片付けは何にもしてありません。船は田んぼにゴロゴロと突き刺さったまま、車は畑に何重にも重なって、3月11日のままの状態になっています。家は流されたまま、地震で潰れたままになっています。牛は暖かいところと日なたを求めて、5~6頭で、道路だろうが、家だろうが、自由に移動して生活しています。豚やダチョウもそういう生活をしています。

放射能が低い場所もあって、瓦礫を片付けることは十分可能だと思うのですが、瓦礫を引き受けてくれるところがないとか、作業員の安全が確保できないから入れないとか、いろいろな理由を聞かされて、結局、何も進んでいません。でも、そこへ行けば、今すぐ除染さえすれば、私たちは住む家があるのです。家族で生活する家があるのです。子どもたちにお父さんの働いている背中を見せて生活する家があるのです。そういう家があっても、一歩も出入りできない状態なのです。

悲しいことに、1年経っても、私たちの前にきちんとした言葉は誰からも返ってきません。私は国の在り方に一番不満を持っています。私たちは国策で安心だからここに住んでくださいと言われていました。だから当然、事故があったら、真のリーダーがいて、きちんとした号令で、地元住民はこうしてくださいと、確かな対策や対応があると信じていました。最初の1~2カ月は手の付けられない状態だから、仕方ないと思っていましたが、半年経っても、1年経っても、悲しいことに何にも変わりません。

40年前から原子力発電は国家政策でやっていますから、何か事故があったときも安全で、放射能は危ないものではありませんという国や東京電力の言葉を地元の住民は信じてきました。しかし、今、考えると、放射能が危なかったのではなく、私たちの命を守ってくれる国の政策が危なかったのかなと思っています。

私は昨年の7月12日に日比谷公園の野外音楽堂で双葉郡町民500人を集めて、「国よ、何をやっているんだ」というデモをやりました。衆議院会館、参議院会館にも行って、マイクを持って、一つだけお願いしました。あなたたちの特権は新しい法律をつくることなのです。私たちを助けるために、新しい法律が必要なら、すぐつくってください。それができないなら、私たちの代わりを国会に送りますから、あなたたちは辞めてくださいと、私ははっきり言ってきました。

先日、やっと緊急避難準備区域は帰れるようになりました。でも、広野町の住民5500人のうち、戻ったのはたったの250人。しかもお年寄りだけです。役場は3月1日に戻りましたが、スーパーもないし、お医者さんもいません。40分かけないと、生きていくための食料すら買えないのです。こういうところに、警戒避難準備区域は外しましたから戻ってくださいと、国は平気で言います。インフラ整備をきちんとして、もう生活できますから、どうぞ戻ってくださいという状態で解除してほしかったです。

でも、嘆いてばかりはいられないので、私の家族は自宅に戻りました。なぜなら、生きてくために前を見たいからです。ふるさとを捨てたくないのです。ふるさとを子どもたちに残したいのです。このままでいくと、10年先、20年先、双葉郡は1歳から20歳代の住民がいなくなって、年寄りだけになってしまいます。そんなふるさとはふるさとと言えません。子どもたちにふるさとを戻してあげたいのです。だから前へ進みたいのです。放射能には負けたくないのです。

藤井 私ども京都大学の研究室では震災後すぐに日本復興計画というのを立案して、震災から12日後の3月23日の参議院予算委員会で答弁させていただき、その内容を『列島強靭化論』という形で1冊の本に取りまとめました。この列島強靭化論は2つのテーマで構成されています。前半は3月23日から5年で東日本を復活するための道筋を示した東日本復活5カ年計画で、残りの半分が東日本大震災をきっかけに必ず近い将来に起こる首都直下地震と西日本大震災に対する備えについて述べています。東日本の復活は当然ながら最重要課題で、日本の国力を全て結集しながら全力で推進していくべきですが、それとともに、迫りくる超巨大地震の連動ならびに富士山の大噴火により、何十万人という犠牲者が出る可能性に対して、きちんと国は備えるべきであるという強い思いで取りまとめたのが、日本復興計画であり、列島強靭化論です。

それから1年が経ちましたが、私が計画書の中に書いた思いを100とすると、今日の政府を中心とした取り組みは10程度しか進んでいないと感じています。その感覚は今の西本さんのお話で、さらに確信に変わっているところです。

東日本の被災地復興において第一に大事なことは、日本の国力を結集しながら、ふるさとを再生していくことです。ふるさとというものは機械ではありません。そこで住んでいる人々がいて、その人々の生業(なりわい)を中心とした有機的な生き物なのです。機械なら、5分後に治療しようが、1年後に部品を換えようが、一緒かもしれません。しかし、ふるさとは生き物なのです。迅速に治療をすれば治る怪我も、1年間も手を付けずにおけば、もう二度と治らないような状況に至るのが生き物です。今の政府の人間は自分の息子が傷ついた時に、1年間何もしないで見ているのでしょうか。そんなことをする人は、人間の心を持っているとは考えられません。法律がなくても、今の法制度を中心に集めれば、いろいろな力を結集できるのは間違いないのです。

多くの日本国民が忘れているかもしれませんが、国家という字は国と書いて家と書きます。すなわち東日本で被災された方々は、国という家の家族なのです。赤の他人ではないのです。家族が傷ついた時、財源の話をするバカな兄弟とか、親とかいるでしょうか?今の日本国民は、特に日本政府は、それを忘れているのではないでしょうか。

国家であるならば、家のことを慮って、全力でそれを助けていくはずです。では、それができないのはなぜか。リーダーの問題です。どれだけ立派な家でも、リーダーが、すなわち家長がボーっとしていたら、すぐ潰れます。残念ながら今の日本は、そうなっているのです。

この状況を打開するには二つの方法があります。今の家長がしっかりする。この国が救われるのならば、この家族が救われるのならば、誰がやっても構いません。その方がきちんと働いてくれればいいのです。でも、それができないのであれば、すぐに替わってもらうしかないのです。

1999年に台湾で大地震があった時、李登輝総統がどういう働きをしたのか。その時の様子が日記として書かれて出版されていますが、私は日本復興計画を立てる時に、いの一番にその本を読み返し、何をすればこの家を救うことになるのかを徹底的に考えました。そこで学んだのは、被災された方々は本当に自分の家族なのだということを思い起こしながら、国が持っているものを全て投入することであります。

それでは、震災で傷ついた東日本の復活・再生のために、今、何が必要なのか。それは、まず東日本再生のための巨大な財源を組むことです。その額は最低20兆円です。場合によっては総額で50兆円程度は用立てることを覚悟することです。

そして、ビジョンとして、ふるさとの再生を声高に叫ぶことです。「ふるさとを再生する。ふるさとを再生する。ふるさとを再生する」。これが1日100回ずつぐらい、どこのテレビを見ても出てくるような状況にすべきだったのです。私は絶対にそうなると思っていたのですが、今の日本人は精神が劣化しているのでしょうか、ふるさとの再生という言葉をほとんど聞くことがありませんでした。東日本を再建するビジョンはエコシティとか、創造的な復興とか言っている場合ではありません。ふるさとの再生以外にビジョンはあり得ないのです。

そして、もう一つ重要なのは生業を戻すことです。今、12万人が仕事を失っています。仕事がないというのは、ふるさとの再生を完全に阻止してしまいます。日本復興計画の中で中心のビジョンは東日本のふるさとを再生するということですが、中心的施策は就労型支援に置きました。いつまでもおにぎりだけを配っても仕方がないのです。おにぎりを配るのは最初のひと月やふた月で、それ以降は仕事を配るのです。

では、どういう仕事を配るのか。復興のための仕事を配るのです。避難している皆さんをサポートする仕事とか、そこで自治をするための仕事とか、いろいろな形の仕事をつくるべきです。そうした仕事をつくるための、官民合わせた東日本ふるさと再生機構をつくるべきだと私は主張してきました。

当初、5年間で東日本を再建する計画案を立てましたが、既に1年が過ぎ、あと4年間で完全復活は残念ながら無理でしょう。しかしながら、8割程度にはできるはずです。阪神淡路大震災の時には、震災後3年半で8割復興という言葉が多くの方から聞かれるようになりました。ですから、日本の国力を結集すれば、今回の東日本でも必ずできるはずなのです。あと4年で8割までなんとか復活していただきたいということを、ここで強く祈念したいと思います。

そして、列島強靭化論の後半のテーマは、日本及び日本人は来るべき「Xデー」に備えよということです。関東圏では10年以内、今からなら9年以内に、マグニチュード6.5~9の直下地震が起こることは間違いないと私は思っています。

その根拠は何かというと、地震に関するデータは東大地震研の数値計算などありますが、まず歴史に学ぶと、確かなことが浮かび上がってきます。過去2000年を調べてみますと、東日本では今回の大震災のようなマグニチュード8以上の地震が4回起きています。この時に首都直下地震に連動しているかどうかを調べると、1000年に1度といわれた貞観地震が869年に起きて、その9年後に首都圏でマグニチュード7.4の相模・武藏地震が起き、1611年の慶長三陸地震の時には4年後に慶長江戸地震が起きています。そして、1896年の明治三陸地震の時には、2年の誤差で明治東京地震が起き、一番新しい昭和三陸地震の時には、10年の誤差で1923年に関東大震災が起きています。つまり、歴史を振り返れば、東日本で大震災が起きる時は、それに前後して首都直下地震が100%起きてきたわけです。

同様に西日本側の大震災も、この4例中3例で起きていますので、こちらも覚悟しないといけないと思います。西日本大震災は、最悪の場合、マグニチュード9が起きる可能性も、中央防災会議で指摘されています。この場合には大阪がほぼ全滅します。名古屋は、マグニチュード9で名古屋駅まで水没することが計算されています。そうなったときに、被害金額は300兆円から400兆円になるでしょう。首都直下地震は100兆円ぐらいの被害と想定されていますが、仮にマグニチュード8の場合、325兆円の被害が出るとも計算されています。

東日本大震災が起きてしまった今ですから、首都直下地震の300兆円と大阪と名古屋の300兆円を合わせて600兆~700兆円の被害が20年以内に全部やってくることになります。これはSFじゃないのです。科学的に、しかも歴史的に十二分に考え得る状況にあります。

この歴史を踏まえてわれわれにできることは、地震が来ても潰れない首都、潰れない日本国家をつくるしかないのです。これが、日本人が独特の概念として編み出している覚悟という言葉の意味です。覚え悟り、悟ったことを覚えておくことが大切です。来るべき巨大地震に早急に対応しないと、大げさでなく日本国家の存続そのものが危うくなります。

防災というのは災害による被害をゼロにするように防ぐことですが、これは理念としてはあり得ても、物理的に不可能ですから、持っている国力を使って減災をすることが大切です。まず首都直下地震の対策については、政府機構、駅、学校などの公共施設を耐震強化する。亡くなる方の数をできるだけ減らすため、重要なものから順に手をつけてやっていくというのが一つです。さらに、橋梁、上下水道などのインフラ老朽化対策、原発周辺を中心とした堤防強化、避難路・救援路確保など、基本的な地震・津波対策はすぐにでも始めなければなりません。100兆円程度の被害がある場合、20兆円の投資をすると、50兆円ぐらいに被害が収められると試算されています。

こうした対策と同時に、震度6以上の地震発生率が最も高いといわれている東海地震を想定し、中央リニア新幹線を10年以内に通して、東京と大阪の流動を保つようにしておく必要もあります。また、首都直下地震が来て、成田や羽田などの空港がダメになったときに、どの港や空港を使うかもきちんと考えておく必要があります。そして、最も有効なのは、首都圏の都市機能や経済力を、日本海側、九州、北海道などに分散化することで国土構造と産業構造の強靱化を計ることです。

これは戦争の常套手段で、疎開作戦といいます。あるところを攻撃されることが分かっている場合には、そこの軍備を分散させるのです。疎開という言葉は、先の大戦中には別の意味で使われていますが、もともと第一次大戦のころから採用された作戦なのです。攻撃が来ることが明らかなときに、その軍隊の強靭性を取り戻すためには、それしか方法がないのです。

ただ日本は自由主義の国家ですから、都市機能の分散化は最終的にはマーケットメカニズムで企業が自ら決めるので、無理に推し進めてもうまくできません。ですから、企業が合理的な判断で、「分散化したほうがいい」と思うような仕組み、たとえば減税措置などを国がつくっていく必要があります。

合理的な判断で都市機能の分散化を推進するのは、二つの動機があります。一つは首都圏が危ないことを過不足なく、きちんと理解させることです。例えばリスクについて、小学校に対する防災教育のような形で、国民に周知徹底させていくということが一つです。もう一つは、地方に立地をしても、企業として得だと納得させることです。あるいはそれほど大きな損はないと理解させることです。

また、分散化した先できちんとビジネスができると納得させるためには、当然ながらインフラ投資が絶対に必要です。基本としては物流を確保するための高速道路の整備、そして日本海側はアジアやロシアとの貿易ができるような港湾の大型化も欠かせません。こうした都市機能の分散化は、財界と徹底的に協力をしながら、強靭な企業プロジェクトを考えようということで議論している最中です。

日本は不思議な国で、ミクロの状況では、ビルを建てたら非常階段をつくることが当然でも、マクロの国レベルでは、それが急に怪しくなります。ホテルに泊まるとき、誰もが非常階段の場所を気にしますが、国家的なレベルになると、非常階段をつくるという発想がなくなってしまいます。安全のために、代替手段を確保する意識が乏しいのです。平時においては無駄に見えますが、その無駄を削除したかったら、非常階段さえもいらないことになります。

国の機能を分散化し、徹底的な対応をしておけば、600兆円の被害が300兆円と半分程度になるという試算をしている人もいます。金融政策と組んで、200兆円の財政出動をきちんとすれば、デフレからも脱却して、日本の国内総生産(GDP)が600兆円から最大で900兆円になると計算した結果もあります。

こうした震災対策をやることで、日本は経済的にも強靭な国土になるわけです。そして、経済的に強くなるということは、軍備費も増えることになりますので、国防的な意味での強靭性も強くなります。また、GDPが増えたら、税金も入ってきますから、財政的にも強くなって、さらにそのお金を使って、東日本の復興をより早く達成することもできますから、いろいろな意味で基礎体力をつける契機になる可能性があるわけです。列島強靱化計画が実行されれば、来るべきXデーの首都直下地震が、そしてXデー2の西日本大震災が来ても、この国はそれを乗り越える力強さとたくましさを必ず身につけることができると確信しています。

最後に、強靭化論の中で最も大切なことがあります。それは、皇居の倒壊を全力で防ぐ知恵を平成日本人は考えなければならないということです。関東大震災の時、宮家の方が3名亡くなられました。来るべきXデーの時には、そうした不幸な事態は絶対に避けなければなりません。皇統をお守りすることを全力で考えなければならないというのが、最も重要な国家の基本問題であると私は思います。

松田 今回の震災復興を考えるとき、まず日本がどういう状況において震災に直面したかを検証する必要があると思います。1990年代初めまで日本は、15歳から64歳の生産年齢人口の増加率が全体の人口増加率より高い、人口ボーナスの時代が続いてきました。こういう時代は何もしなくても経済はどんどん成長します。しかし、90年代半ばにそれが逆転し、さらに2000年以降は生産年齢人口、総人口ともに増加率がマイナスとなり、かつ、前者の減少率が後者の減少率を上回るという、厳しい形での人口オーナスの時代を迎えています。こうなると、経済は成長しなくなり、GDP成長率も低くなっていきます。つまり、人口ボーナスから人口オーナスの時代へ転換し、経済成長が著しく低下している中で起きたのが今回の震災でした。

今の日本と似たような事態を迎えた国が18世紀にもありました。それがギリシャの次に債務危機に陥る可能性が高いといわれているポルトガルです。大航海時代、ポルトガルは一大帝国を築いた国ですが、植民地主義の商業資本の時代から、産業資本主義の時代へと変わり、オランダ、イギリスといった新興国が新たに力を付けつつありました。そんな時にポルトガルではリスボン大地震が起き、大津波が押し寄せ、リスボンの街の9割ぐらいが壊滅したといわれています。これをきっかけにポルトガルはどんどん衰退に向かっていきました。

今の日本も18世紀にポルトガルが置かれた状況と非常に似ている面があり、世界経済の大きな転換の中で、自国がそれに十分に適応できていない一方で、隣国の新興国、中国が台頭し、どんどん伸びてきているわけです。今回の震災を乗り越えて、次の繁栄を築けるのか、それともポルトガルと同じ衰退の運命を辿るのか、日本は岐路に立たされていると言えます。

しかし、見方を変えれば、今回の震災は日本が解決しなければいけなかった、いろいろな課題をわれわれに認識させてくれたとも思えます。そして、震災復興は、危機感に乏しく、課題解決ができないでいる今の日本の不幸な状態から脱却する契機にしていかなければいけないと思っています。「日本人よ、目覚めよ」という天からの啓示だと私は解釈しています。

今回の震災が鮮明にした日本の課題は大きく分けて六つあるように思います。一つ目はバブル崩壊以降続いているデフレです。よく通貨を増やせばデフレから脱却し、経済は良くなるといわれてきましたが、実際は何が起こるかというと、国内で日銀が銀行にどんどんお金を貸しても、その銀行が融資できる先がなければ、お金は増えていかないのです。お金の量は、日銀が必ずしも十分にコントロールできるわけではなくて、需要と供給の関係で決まってきます。それでもジャブジャブお金を注ぎ込むと、資金が国内から海外に流れだします。日本も90年代に量的緩和をやりましたが、そのお金は国内で回ってほしいところに十分に回らずに、海外に行ってしまい、アメリカのバブルを促進する一つの原因になりました。

リーマン・ショックの後、アメリカやヨーロッパが今度はお金を注ぎ込んでいますが、うまく国内の実体経済には回らずに、新興国や途上国に回っています。それが資源の価格を上げたり、あるいは食料の価格を上げたり、あるいはギリシャの国債を買って、国債バブルを起こしたりと、世界中でこういう非常に不安定な構造が金融面でもたらされています。ですから、デフレを克服するためには、通貨を増やすという面からアプローチするよりも、名目GDPそのものを直接、増やすことを考えるしかないのです。

通貨を増やした国で何が起きているかというと、名目GDPは増えず、お金が増えた分、通貨の回転が下がっているという現象です。通貨の回転が下がると、金融資産の積み上がりが起きます。デフレとともに、これが今の日本経済のもう一つの現象です。日本国内で積み上がって膨れ上がった巨額の金融資産が世界に供給されて、日本は世界最大の対外純債権国を続けているわけです。しかし、国内でお金を有効に使ってない結果、それが世界のバブルの原因の一つにもなっています。世界のバブルが促進されれば、リーマン・ショックのようなバブル崩壊もいつか起こり、日本人は自らの首をさらに絞めるという、決して賢明とはいえないお金の使い方をこの20年間、日本は続けてきたわけです。

今回の震災では少なくとも25兆円以上という巨額の資産ストックが毀損されたといわれています。25兆円という数字は、GDPにして約5%です。この毀損した実物ストックを復旧するだけでも、同額のフローが日本経済には発生することになります。毎年のフローの大きさがGDPですから、経済成長のチャンスがそれだけでも出来ているということになります。

2番目の課題は、やはり国家の崩壊です。日本は戦後何十年にもわたってアメリカに依存してきたからか、有事対応とか危機管理という意識が薄らいでいたのかもしれません。そのことに気付かされたのが今回の震災だったと思います。今や日本は危機管理モードに入っていると思います。その要因は少なくとも三つあります。一つは自然災害。太平洋プレートが変化し、いつ再び大地震や大津波が日本を襲うか分からない状態です。もう一つは、安全保障です。冷戦崩壊後、特に今は、東アジアが(大国の利害対立の)最前線になりました。そして、もう一つが財政の危機です。欧州債務問題が起きてから、世界のマーケットが財政規律に過敏になり、この問題をうまく手なずけていかないと、日本にも大変なクラッシュが起きる可能性があります。

三つ目は課題の先鋭化です。世界中どの国もいずれ直面することになる人類共通の課題に世界で最初に直面する国、いわゆる課題先進国が日本であるという状況に既に日本は突入していました。その代表格が、人類史上始まって以来の超高齢化社会です。この社会をどうやって活力あるものとして運営するか。これから世界中が高齢化していくわけですから、日本がそれをうまく舵取りできれば、世界のモデルになり得ます。それが日本の新たな強さを生み、国内だけでなく世界中で、例えばさまざまなビジネスチャンスを生み出していくことになると思います。

今回の震災は、日本があらゆる問題や課題の先進国であることを強く認識させる契機になったと思います。日本は世界に先駆けて、先駆的社会を建設できる機会を与えられたわけです。これに成功すれば、日本の国自身が、世界の課題を解決する世界のソリューションセンターになり得るのです。課題を解決するところから、さまざまなバリューが生まれ、それを次の経済成長のチャンスにつなげていく。今までのような大量生産の大衆消費社会とは一味違う次元で経済成長を求めるチャンスが、日本には訪れていると確信しています。そういう意味で、今回の震災の被災地である東北こそを、そうした先駆的社会の地域にしていき、世界が求めるフロンティアを開く国として日本をアピールしていくべきだと思います。

そして、四つ目の課題は原発です。現段階において、原発の問題とは人災だったと総括できるようになりました。しかし、原発事故に衝撃を受けて、このまま日本が原発をやめたところで、近隣諸国はどんどん原発をつくっていくわけですから、やはり日本は原発事故の経験者として、世界の原発の安全性にどうやって貢献するかということに真剣に取り組んでいく国際的責務があると思います。

それから、5番目の課題はTPP(環太平洋連携構想)加入と経済成長力です。TPPと聞くと、アメリカの秩序に入ると連想するかもしれませんが、より正確な情報が得られるにつれ、そういう見方は事実誤認だったことが明らかになっています。逆に、日本が日本らしい国を目指していく上で、重要な手段になるというTPP興国論を私は提案しています。特に今回、大きな震災を経験した日本は、これから世界に対して提示できる、いろいろなバリューを生み出す立場にあります。日本人が課題解決を通じて生み出していく日本新秩序を世界新秩序へと反映させていく場としてTPPを捉えてもいいと思います。日本が国際スタンダードの形成に携わる滅多にないチャンスをTPPは与えてくれるはずです。それは、海外で稼ぎ、国内に雇用を生む成長パターンを強化することになるでしょう。

そして最後に6番目の課題が財政の問題です。(菅直人前政権の)復興構想会議で最初に議論されたのが復興増税でしたが、これはおかしいと思います。復興事業は将来世代に向けて新たな東北を建設するものです。建設国債の考え方で、将来にわたって少しずつ負担を分かち合うことが公平ではないでしょうか。実は、日本には十分なお金がすでにあります。概算で国内に2700兆~2800兆円の金融資産と250兆円の対外純資産があります。昨年3月末の日銀の資金循環統計では、家計の個人金融資産が1400兆円から1500兆円。このほか金融機関以外に、民間非金融法人、一般の事業会社で800兆円ぐらいの金融資産があり、政府も500兆円ぐらい持っていますから、合わせて2700兆~2800兆円になります。復興財源のファイナンスは、こうした資産全体の運用の中で、その資産選択の構成、つまり、つまりポートフォリオの中身をどう変えるかということで、十分に賄えます。

さらに、日本は世界最大の対外純債権国であり、その額は約250兆円あります。それに対して、アメリカは世界最大の対外純債務国で、同じぐらいの250兆円の純債務となっています。ところが、日本は世界最大の純債権国であるにもかかわらず、アメリカのような有利な運用ができていないのです。アメリカは対外資産のほうが対外債務よりもずっと小さいのに、その小さい方の資産運用でプラスの利益を得ています。つまり、海外に支払う金利や配当よりも、海外から受け取る金利や配当のほうが上回っているわけです。それに比べて、現状では日本は世界最大の対外純債権国といっても、利回りの良い運用をしているわけではありません。ならば、国内でより有為な資産の活用をすべきです。その運用機会として、復興を考えるべきです。国債発行で復興財源を調達した場合に何が起きるか。日本の金融資産のポートフォリオの内容が変更される結果として、対外純債権がその分減るといった調整がなされることになります。

ここで、財政運営に必要な三つの区別を提案します。まず一つ目は財政規律の世界と震災対応の世界との区別をしっかりすべきだと思っています。これまでの財政規律は平時の議論で、今の震災復興は有事なのです。平時の日本の財政規律の問題とは、社会保障の財源が足りなくて、赤字国債を発行してきたことにほかなりません。もちろん90年代の無駄な公共事業の問題もありますが、もっと深刻なのは、消費税増税を回避するあまり、社会保障の負担を将来世代にツケ回して、将来に資産を残さない赤字国債をたくさん発行してしまったことです。この問題についてケジメをつけるのが財政規律の問題であって、有事の震災復興の財源は別の世界として区別すべきだと思っています。

2番目は赤字国債と建設国債の区別であります。特例公債法案が毎年度、国会で議決されます。財政法上、赤字国債は禁止されているため、毎年、特例で例外的に認めるという法律です。親が飲み食いしてできた借金の返済を子や孫にツケ回しているというのが赤字国債です。一方、建設国債は将来に資産を残すために発行する国債です。家でいうと、住宅ローンみたいなもので、その住宅を子や孫の代まで使わせるような住宅であれば、60年という長い年月をかけて償還されてもいいということになります。建設国債は財政法上も正当化されています。

日本では国債の償還は60年かけて行うというルールになっており、いわば二~三世代かけて国の借金の返済負担が継続する形で、年々の償還負担がより軽いものになっています。しかし、それは、負担に見合う受益が将来世代にも及ぶ建設国債を前提にした考え方だったはずです。ところが、70年代に日本が初めて赤字国債を本格的に発行した時、これも60年の償還ルールの世界に入れてしまったのです。これは論理的につじつまの合わないものです。この二つの世界はちゃんと区別しなければなりません。

そして、三つ目がコストとバリューの区別です。従来の金融市場では、運用とは一定の有利運用を意味しますが、震災は助け合いという、市場での有利性の追求とは異なるバリューを生み出しました。今回、震災復興のための個人向け国債が発行されることになりましたが、従来の有利運用とは異なる価値があることの結果として、非常に売れ行きがいいわけです。この考え方を活用し、「助け合い公債」を仕組む、あるいは、専ら復興事業に充てられるファンドをつくり、その財源を債券として調達する、そこに政府も出資する、あるいは、寄付なども赤十字社に義援金の使い道を任せるという出し方ではなく、復興の個別の具体的な事業と直結させて、寄付のバリューを目に見えるようにする。そのような工夫でファイナンスをやれば、従来の金融とは違う論理でお金が動くと思います。

しかし、今の政府がやったことは、復興構想会議を開いて、最初に議論したのが復興増税でした。復興国債を出して、5年や10年という短い期間で、つまり今の世代の間で償還しようという議論が最初に出たわけです。そのために、かなりの増税が要るという、非常にバカげた議論でした。将来にツケだけを残す60年償還の赤字国債を社会保障で膨らませておきながら、将来に新しい東北という貴重な資産を残す復興財源については今の世代で増税によって賄おうという考え方は転倒しています。

いずれにしても、日本は海外にお金を供給して、有利な運用ができていない。日本の有する2700兆~2800兆円の金融資産のポートフォリオを、被災地向けに1%動かすだけで27兆~28兆円も出てくる。それはポートフォリオを変えるだけでのことで、余計なお金が海外に出ている分がへこみます。日本が世界に余計なお金を出して、バブルの一原因にもなっているわけですから、これはむしろ望ましいことです。増税の議論ばかりせず、日本人がすでに持っている2800兆円の資産をいかに有効活用するか、まさに知恵と工夫が問われているはずです。成熟した経済において、十分な蓄積を持つ日本経済では、それが成り立ちます。デフレ脱却のためにマネーを国内で回していくためには、何よりもそれが必要であるということを申し上げたい。

櫻井 非常に多岐にわたるご提案をいただきましたが、それだけ大きな問題をこの3・11は私たちに突き付けたのだと思います。西本さんのお話は、地元が生き返るにはやはり生活環境が整わなければいけない、生活環境というのは、そこに職があって、買い物にも行けて、ということだろうと思います。生きていける基盤をつくるということは、藤井さんの列島強靭化論にも入っているわけで、それを大きな枠組みの中で、どういう方向で運営したらいいかというのが、松田さんのお話だったろうと思います。

東北3県の再生には、私は今までの戦後の日本の考え方を大転換させる必要があると思っています。政府が何かをしてくれなければならないというところから、やっぱり私たちは抜け出す必要があるのではないかと。日本人の良さは、自分たちで何かをしなければならないというのが基本にあったことだと思います。もう起きてしまったこの災害に対して、われわれがどうやって自主的に取り組んでいくかという発想を持たない限りは、この困難を乗り越えることは難しいだろうと私は思っています。

西本 私も大賛成で、まず自分たちが変えないと、行政も国も変わらないと常々思っています。原発に関しても、絶対に原子力が嫌だと言っているわけではありません。というのも、原子力のお膝元の双葉郡では人口の約6割がそこで働いているのです。東京電力で働いているのではなくても、掃除に行ったり、お弁当をつくったりして、原発にどこかで関係する職場で働いています。

だから、なにがなんでも原発に反対しているわけではないのです。これから先、廃炉になっても、私たちは一生、あそこで生活していく以上は、原発とお付き合いしなければいけないのです。だから原子力や原発とどう付き合うかということを、私たちは考えなくてはいけない。

双葉郡8町村の中でも、地域や個人で温度差がかなりあるのも確かです。双葉町、大熊町は放射能がひどくて、恐らくもう二度と戻れないかと住民の多くは思っています。そこの人たちの話を聞くと、もう前に進みたいから、中間処理施設が嫌だというのではないという人もいます。

原発と仲良く何十年先も付き合っていかなければならないのに、後る向きの発想ばかりしていては絶対ダメだと思うので、いろいろな企画を私も出しました。それで、双葉町や大熊町の住民たちも少しずつ受け入れるようになってきたので、少し時間はかかっても、いい方向には行くのでないかと思っています。国や行政が何かをしてくれるのを待っているのではなく、まず住民が、自分たちはこうしたいと声を大にして言っていかないと、何も変わらないと思っています。

櫻井 私が現地を見ても、前向きに生きようという空気を感じます。ですから、この波を捕まえて、再生していくことが非常に大事なのですが、その場合に大きな妨げの一つは原発や放射能に対する理解が欠けているということではないでしょうか。

西本 地元住民は、原発は絶対に大丈夫だと思っていましたが、知れば知るほど、勉強不足だったと実感しています。国と東京電力から与えられた情報を鵜呑みにして、自分たちの知恵で、自分たちの感性で知ろうという努力はほとんどしてこなかったのです。

国から出ている内部被曝の安全基準で1年間20ミリシーベルトという数字がありますが、そのレベルまで達していない地域は広野町など警戒区域の中でもたくさんあります。もちろん危険な場所もありますが、安全な地域もあるのです。でも、多くの人たちは、放射能というとすぐに命が危ないと思ってしまいます。いつも不思議に思うのは、放射能という物体は一つなのに、いろいろな先生がいろいろな学説を出していることです。だから、安心できる放射能もあるのだということを、国が責任を持って私たちにも全国の人にもきちんとした数字で伝えてほしいと思います。

今、若い人たちに本当に安心だよと言っても、子どもを連れては絶対帰ってきてくれません。100人中95人は帰ってきません。それはこの1年間に、放射能は怖いというマスコミ情報だけを信じているからです。私も不勉強でしたが、少し学ぶだけで、飛行機に乗ると被曝する放射線量は今の広野町より高いとか、CTスキャンで浴びる被曝量は川内町より高いといったことが分かってきます。風評被害もたくさんありますから、マスコミも不安をあおるばかりでなく、みんなが安心できる確かな情報をもっと流してほしいと思います。若い人たちに帰ってもらわないふるさとなんて、絶対成り立ちません。お年寄りに年金だけ払って、収入がない町は、絶対生きてくことはできないのです。だから、そういう人たちに正しい放射能の知識を持ってもらいたいです。

最後に今回、来るべきXデーの話を聞いて、震災体験者として伝えておきたいのは、道路を見直してくださいということです。私は避難して、あちらこちらを歩きましたが、そのときに、道路の大切さをものすごく感じました。逃げる道がなかったのです。地元には高速道路と国道と県道と鉄道がありましたが、すべて国が押さえて、物資やお医者さんの輸送に使っていたため、私たちが避難する道路がなかったのです。私たちはまるで難民が移動するようにダラダラと何十キロも歩きました。今の時代にそういうことをやって避難したのです。道路は、ある意味で水よりも大切でした。道路がないと、水もお医者さんも自衛隊も入っていけないのです。逃げる道路がないと、生きていくことはできないと思います。

今回の震災で被災した私たちは、世界で類を見ないような経験をしました。ですから、生き残った私たちの声に耳をしっかり傾けて、十分な備えをしてほしいと思います。

櫻井 被災した東日本の再生に関しては、お金をとにかく回すことだというご提案がありましたが、復興のためにどういった計画をしたらいいのでしょうか。

藤井 まずインフラの整備です。これは迅速に復旧する必要があります。特に鉄道は今、第三セクターみたいな恰好ですから手つかずの状態ですが、すぐにでも国がお金を出して、復旧すべきです。それから、それぞれの被災地において、例えば役所など公共的な建物を現場で建てていく。バラックでも半ば許すような状況にしていく必要があります。そうすると、そこで生業がいくばくかでも戻ってきます。さらに農業や漁業については、迅速に整備をしていくのが基本です。そして、そこに投資をする企業に対しては投資減税を徹底的にやっていくということです。

計画を立てるのは大事ではありますが、基本計画というものは、まず復旧をベースに考えていかなければいけません。重要なポイントは、人間のやることですから、必ず失敗するところも出ると理解することです。失敗しても、それでいいと私は考えます。バラックでも、そこで生業があるのだったらいいじゃないですか。とにかくそこの土地を殺さないように、日本人全員が考えていくことが大事だと思います。

戦後、日本はどうやって立ち上がったかというと、りっぱな計画を立てたところもあったかもしれませんけど、多くはバラックから始めたのです。「復興するぞ!」という強い思いを全部結集しながら、不細工な出来ではあったかもしれませんが、それがだんだん出来上がって、戦後復興を成し遂げたのです。

当然ながら、ボタンを掛け違えて、都市計画的には市街地再開発を後でしないといけないところもありましたが、それを恐れていては何も前進しません。後で市街地再開発をするのは大変だから、もうしばらく我慢して、きちんとした計画を立ててからやりましょうと国が言ったら、現場にいる人たちはやる気がなくなります。ですから、とにかくバラックからでもいいからみんなで力を集めて始めましょうと号令をかけるのが、本当のリーダーの考えることだと思います。

櫻井 今、国会で一番問題になっている復興財源に関しては、国内にある金融資産を動かすだけで財源は確保できるとのことですが、現実は増税路線に傾いています。なぜ国内に眠る莫大な金融資産を動かせないのでしょうか。それは政治の問題なのですか。

松田 恐らく財務省は、私の言ったような議論が分かっていたとしても、とにかく厳しいところにラインを設定しないと、財源がどんどん食われてしまうと危惧しているのだと思います。赤字国債に関する歯止めもできてないし、消費税も上げられるかどうか分かりません。そういう状況で建設国債ならいいだろうとなると、財政規律の歯止めがどこにも効かなくなってしまうと恐れているのだと思います。それに、復興増税でもなんでも、取れるときには税金を取ってしまおうと考えているのでしょう。財政の収支を預かることに責任を持った彼らの理屈でいうと、それが合理的な判断になっていると思います。残念なことに、優秀な人が財務省に集まり過ぎて、彼らを凌駕する力のある人が政治家にいないということが最大の問題だと思います。

震災や災害が起きて増税をした国は、諸外国では存在しないはずです。そういうときは、借金でやるのが当たり前です。かつて関東大震災のときに震災手形を出して、それがその後の昭和恐慌の遠因になった、だから今回も借金を残す形での復興はすべきでないと主張する大蔵省の大先輩もいます。しかし、当時の日本の資本蓄積の状況と、今とでは、全く違います。今、日本は十分なストックがあるわけで、それをどうやって賢く使うかを考えるべきです。

日本人は世界でトップクラスの知恵や技術を持っているのに、社会が抱える課題の解決にきちんと向き合って、個々の知恵や技術を有機的にネットワーク化させ、バリューを構築していくという力が欠けていると思います。これだけ潤沢な資産ストックを日本人は汗水垂らして、積み上げてきたのに、それを有益に活用できていないのは、もったいない気がしてなりません。

会場からの質問 中央政府に意思決定と財源等の権限を全部集中させるという、明治以来あまり変わっていない行政の仕組みに、もう限界があるのではないかという印象を受けました。地域主権または道州制を導入することがその解決にはならないでしょうか。

松田 平時と有事で使い分けが必要かと思います。平時なら、例えば福祉や地域再生などはもっと思い切って地域に権限を与えてもいいと思いますが、今回の震災のような有事への対応は、まさに国の役割だと思います。自衛隊や海上保安庁などもそうですが、国の力を集中投入してやらなければいけないものは、国が責任を持ってやるべきです。私は逆に、国があまりにも機能していないと思っています。

本当は国がもっとやらなければいけないことがたくさんあります。しかし、国がやらなくてもいいことをたくさんやっている。やらなくていいものをどんどん地域に下ろして、現場で解決してもらう。日本はそれだけの成熟国家なのですから、現場の判断でやってもらうということがもっとできるはずです。強くすべきなのは国家と現場だと思います。そのことを基本の一つとして、国の形も考えなければいけないと思っています。

道州制がその答えかどうかは分かりません。東北で言えば、仙台に巨大な集積をつくって、その裾野を広くするというのが、道州制のエコノミクスです。結果的にいろいろなものが仙台だけに吸収され、ほかの地域が衰退する可能性もあります。ですから、道州制が全国一律に正しい答えなのか、もう少し考える必要があると思います。

質問 国民の一人ひとり、そして私自身が今の日本を変えようとするのに、何をしたらいいかを教えていただきたいと思います。

櫻井 日本が再生するには日本人はどうしたらいいかということの中には、瓦礫の問題があります。現地に行ってみると、山のような瓦礫があちこちに残っているわけですが、これを全国の47都道府県で引き受けなければならないにもかかわらず、放射能が怖いと言って、ものすごい抗議が来るらしいのです。

国民の70%以上が、この瓦礫を引き受けてもいいじゃないかと考えているにもかかわらず、反対派の声の大きい人がメールを出したり、集会をしたりして、行政がそれに歯向かうことができないために前に進みません。瓦礫に含まれている放射能なんて、ほとんど無視して構わないくらいのものです。

こうした風評被害をどのようになくしていくかという問題もあります。福島に行ってみると、これからお嫁に行けなくなるのではないかと本気で心配している若い女性が大勢いるのです。このへんからクリアしていくために、私たち自身が、まず事実を見つめることから始めないといけないと思います。冷静に考えること、そして、あくまでも自分のことだけではなく、公のことを考える。自分よりももっと困っている福島の人、宮城の人、岩手の人がいるのだから、少々我慢しても助けようというようなところから、始めなければならないと思います。

もう一つは、やはり国家としての脆弱性を乗り越えていくために、日本国の在り方をもう一回考える必要があると思います。これは国基研をつくった原点に帰っていくのですが、戦後の日本は国家ではないのです。

今の政治家は国民の顔色を見ながら政治をやる、世論政治なのです。国家のための政治ではありません。なすべきことを、なぜ正々堂々と言えないのでしょうか。例えば、原発はどうしても必要だと言えないのでしょうか。今、原発はほとんど全部止まりそうになっています。しかし、エネルギーをどうするのかと真剣に考えたときに、やはり原発は必要だと正論を言う勇気を私たちが持つべきであるし、正論を政治に言わせなければいけないと思っています。そのためには、抽象的なことですけれども、私たちが立派な日本人に立ち戻るしかないのだろうと思います。この大災害を一つの契機として、私たちは世界に誇れる日本をつくり直してみせる。そうした心意気を持ちたいと思います。

(文責・編集部)