中華帝国維持に耐えられるのか 渡辺利夫
中華帝国維持に耐えられるのか
拓殖大学学長・渡辺利夫
◆漢族王朝の興亡は壮大な神話
日本人は中国についてある壮大な「神話」に呪縛されているのではないか。ユーラシア大陸の広大な国土の上に巨大な漢族社会が形成され、ここを舞台に幾多の王朝が盛衰し悠久の歴史が紡がれてきたという神話である。
四方を海で囲まれ外敵の侵入を受けることなく同一の国土の中で同質社会を営んできた日本の歴史は、歴史教科書が教えるような時代区分にしたがって順次展開されてきたといっていい。しかし、そうした日本史の「刷り込み」によって中国史をみては危うい。
中華人民共和国は清(大清帝国)の後裔(こうえい)である。清は漢族王朝の明を倒した満族が打ち立てた、外来政権である。康煕帝、雍正帝の時代を経て乾隆帝の時代に最盛期を迎えた。モンゴル、新疆ウイグル、チベットなどはこの時期に清に組み込まれ、中国史上最大の版図となった。面積で測れば清は明の3倍に近い。
モンゴル族、ウイグル族、チベット族は人種、宗教、言語において漢族とはまるで異質である。清を樹立したのが遊牧騎馬民族の満族であり、その支配下で異民族が清の中に包摂された。そういう歴史の骨格を眺めるにつけても、日本史の感覚からは及びもつかない茫漠(ぼうばく)たる世界がここにはある。
この中国を中国たらしめたものは、1つには、新たに君臨した満族が儒学と漢字を重用し伝統的な科挙制度を導入するなど、熟度の高い漢族文明に同化したからである。2つには、清が伝統中国において根強い「華夷秩序」を希薄化させ、異民族に包容的に対応したことが重要性をもつ。
◆外来の満族が築いた一大版図
華夷秩序とは、「礼」に基づく道義の序列において中心部にあるのが中華であり、中華から外方に向かって同心円的に広がり、外縁に位置する民族ほど序列が低いとみる価値観念である。明はこの華夷秩序を原理主義的なまでに高めた王朝であった。対照的に、清は人種、宗教、言語の多様性を容認する「分治的」な対応をもって異民族支配に臨んだ。清の皇帝はチベット仏教、イスラム教の保護者でもあった。
そうでなければ、あれほど広大な国土と多様な民族を包含する一大版図を築くことはできなかったからだ。古代ローマ帝国がそうであったように、である。要するに清は漢族と満族との、また彼らと異民族との政治的妥協の上に成立した凝集力の弱い政体であった。かつての中国とは巨大で茫々(ぼうぼう)たる存在であったといっていい。
この中国を強固な政治的統合体へと変容させたものが「西洋の衝撃」である。アヘン戦争以来、国土が西欧列強により蚕食されていく悲劇を目の当たりにして、自らも列強の主権国家観念を導入し、堅牢(けんろう)な統一国家たらざれば将来はないとする危機意識に中国はようやく目覚めたのである。
華夷秩序と並ぶ伝統中国の秩序観念に「冊封体制」がある。「華」の礼式に服し、その見返りに王位や爵位を与えられて民の統治を委ねられるという固有の国際秩序観念である。朝鮮とベトナムなどが冊封体制の下におかれた。しかし清仏戦争と日清戦争での敗北により冊封体制は消滅を余儀なくされた。孫文の辛亥革命によって清が崩壊したのは、その存在意義が失(う)せてしまったからである。
◆五族共和は漢ナショナリズム
新たに擁すべきは、近代国際法秩序に則(のっと)った政治的凝集力をもつ主権国家であった。凝集力をつくりだすものはナショナリズムである。孫文の唱導する「五族共和」がそのスローガンであったが、内実は「漢族ヲ以テ中心トナシ満蒙回藏四族ヲ全部我等ニ同化セシム」、つまりは「中華」ナショナリズムであった。中華ナショナリズムが主権国家内の異民族の自立を許容するはずがない。現在の共産党政権のスローガンも「中華振興」である。他方、同化政策が強まるほど、分治に親しんできた異民族の方に独立志向が強まるのも他面の政治力学である。
暴力によって抑圧されたチベット族の怨讐はますます深く彼らの心中に埋め込まれている。2009年ウイグル暴動は当局の発表で197人、亡命ウイグル族の世界ウイグル会議の報告では3000人の死者を出す惨劇となった。ウイグル族はトルコ系イスラム教徒が圧倒的多数を占める。
北アフリカや中東のイスラム諸国であたかも感染症のごとく広がりつつある反体制運動は、いずれ中国の異民族にも伝播(でんぱ)しよう。独裁政権打倒を叫ぶ北アフリカ民衆の姿を描き出す海外サイト映像がチベット族、ウイグル族の間で出回り始めたという。胡錦濤政権の神経も昂(たかぶ)っていよう。
異民族を暴力で抑え込んで中国は文字通りの帝国主義国家となったが、「帝国維持のコスト」はいよいよ高い。コストを支払うには高成長が必要だが、これも限界に近づきつつある。それに、ほどなくやってくる少子高齢化の社会的負担ひとつを取り上げてみるだけでも、財政的余裕など枯渇し始めれば、一瞬のものに過ぎない。(わたなべ としお)
3月11日付産経新聞朝刊「正論」