公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.04.11 (月)

試験不正あり得ない一高の空気 平川祐弘

試験不正あり得ない一高の空気

比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘

 

 ≪登用の公正脅かした携帯悪用≫

 試験は公平であるべきだ。高校2年生にも一流大学を受験させ、合格者は飛び級させるがいい。だが、「出る杭(くい)は打つ」式の戦後日本の平等主義は、飛び級を認めない。世界の大国でこんな非能率な教育は日本だけだ。フランスの競争試験では同点合格者がいれば若い方を採る。こんな裁定で大学院生が東大法学部助教授を蹴(け)落として留学生試験に合格したときは、「これがフランスのエリート主義か」と小気味よかった。

 試験にもお国柄が反映する。イタリア中部ペルージャで受けたイタリア語教授資格試験では、4時間の筆記の途中で給仕が注文取りに現れた。私はカプチーノにしたが「スパゲティ」と大声で頼む者がいて教室が爆笑した。

 試験に落ちたことのない人より落ちた人の方が多い。だから、世間の声に耳をかすと、試験制度は悪(あ)し様(ざま)に言われる。しかし、特権階級の子孫が引き続き統治する貴族支配や、中国の身内贔屓(ひいき)の「太子党」支配より、試験による人材登用の方が公正である。

 携帯電話の悪用はその公正をおびやかした。ところで、そのカンニングにも国柄や時代は表れる。女子高生がガーターを直すふりをしてスカートをたくし上げる。若い試験監督が目をそらす隙に、靴下留めに書いておいた模範解答を写す。これは昔のフランスの情景だが、今の若者はガーターが何かも知るまい。四書五経と註釈をびっしり毛筆で写した下着を着込んだ科挙受験者は清朝中国にいた。この官吏登用試験で不正を働いた者は死罪に処せられた。

 ≪入試監督で答案すり替え発見≫

 40年前、東大入試で隣席の答案を取って名前を消し、そこに自分の名前を書いて提出しようとした者が捕まった。答案をすり替えられた者が仰天して声を上げ、試験監督だった私は2人を事務所へ連行した。気も動顛(どうてん)している被害者の方が犯人と勘違いされ、気の毒なことをしたが、悪さをした男が翌年また受験できると聞いて、釈然としなかった。

 公正とは何か。フランスではセンター試験に相当するバカロレアに口述試験がある。日本人は筆記は公正で、口述は地区の数人の試験官の主観で採点が左右されるから不公正だと考える。しかし、試験がないから口述の訓練をしない日本の若者は自己表現が拙劣だ。日本語を上手に話せない者が英語で上手に話せるはずもない。それどころか異性に申し込みもできず結婚率の低下をもたらしている。わが国では目先の小さな公平にこだわるあまり、大局的に非常な教育的損失を重ねている。

 旧制一高では入試に英語書き取りがあり、日本人英語教師が分担して受験場をまわって問題を朗読した。そのとき私はalcoholのhを間違えた。それが翌昭和24年、新制東大になると英語書き取りは地方出身の受験生に不利だという正義の主張が罷(まか)り通り、50年近くディクテーション(書き取り)は廃止されたままだった。

 大学入試に書き取りがなければ中高の英語教育でもヒアリングやスピーキングに重点を置かなくなる。さすがにそれはいけないとセンター試験で書き取りも復活したが、日本人の発音だと個人差があるなどと公正を期し、英語を母語とする人に録音させ機械で流すという大袈裟(おおげさ)なことをしている。

 ≪消えたノブレス・オブリージュ≫

 最後に、占領軍とそれに迎合した国内勢力によって潰された第一高等学校にふれたい。旧制一高のようなエリート教育を敗戦後の日本は意図的に排除した。それだから、「ノブレス・オブリージュ」の精神そのものが高級官僚からも消えた。一高と新制東大と何が違ったのか。私は二つながら体験したが、両者の相違を語り得る人はもはや多くない。あえてその思い出を語らせていただく。

 旧制一高には、選ばれた少数者はその責任を担うという気概があった。その品位は何によって示されたかというと、学期試験に際しカンニングがあり得ないという雰囲気によってである。一高では他の生徒に告発され、生徒自治会がカンニングと認定し、学校当局に報告すれば、不正行為をした生徒は自動的に処分された。誇るべき一高の学生自治であった。後の政治化した新制東大の学生自治とはおよそ別物である。

 ところが、新制東大ではクラスの雰囲気ががらりと変わった。我慢ならなかったのが学期試験でカンニングが出たことで、それを教師が処分した間はまだ良かった。やがて見て見ぬふりをする監督が現れた。さらに悲惨なのは政治化した学生自治会に支配され、試験で不正を働いた学生であろうと学部当局が一方的に処分できなくなった時期があったことである。恥ずかしい事ながら1969年の東大紛争後数年間続いた。

 「戦後民主主義世代」といえば聞こえはいい。だが、そんな団塊世代の闘士や卒業生たちの中から私利や不正を働く者や、保身がすべてに優先する政治家、官僚が前よりも多く輩出したのは、当然のことではあるまいか。(ひらかわ すけひろ)
3月9日付産経新聞朝刊「正論」