公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.04.13 (水)

政権による政治的人災 櫻井よしこ

政権による政治的人災

櫻井よしこ

 事故発生からひと月が過ぎて、原発は制御に向かうかわりに、チェルノブイリと同じ「レベル7」という最悪の評価を下されるに至った。菅直人首相の下、政府は、スリーマイル島原発の事故と同じレベル5にとどまるとの見方から「最悪」事態の認識へと後退を迫られた。

 被災地の住民避難も、同心円的に20キロ圏から一律避難させる方針をやめ、風向き、地形、放射線量によって危険地域を特定する方式へと切り替えた。結果、新たに5自治体が計画的避難区域に指定され、住民は1カ月を目途に避難するよう求められた。

 この切り替え自体は合理的で評価するが、危険地域の指定が十分かといえば、疑問が残る。

 2002年までの18年間、日米両国のGE原子力関連会社に勤務した佐藤暁(さとし)氏が行った調査は衝撃的だ。氏は4月4日の夕方に東京を出発、翌朝7時まで約14時間かけて、東北自動車道で埼玉、栃木、福島市と走り、折り返して磐越自動車道経由で四ツ倉に到達、常磐自動車道で戻った。約 270キロの全行程で5キロごとに放射線レベルと地面の汚染を測定した。

 内陸部を走る東北自動車道沿いの町や村は、川口ジャンクションを起点に120キロを過ぎて以降、全行程で数値は上昇し続けた。

 ただし、数値は日によって変化するため、4日から5日にかけての数値だけに基づく判断は危険である。それでも、一連の数値は政府の従来の発表とは明らかに異なる状況、つまり、放射線濃度の高い地域が原発から半径20キロもしくは30キロ圏をこえて広範囲に広がっている可能性を示すものだったという事実には注目せざるを得ない。

 氏の調査結果を見ると、現在被災者の避難先となっていて、原発から50キロ以上も離れている複数の市も、国際放射線防護委員会の基準値を厳しくとれば非居住区域の範疇(はんちゅう)に入っている。

 原発に比較的近い場所に安全地域がある一方で、遠く離れた場所にも危険地域が広がっているのだ。この意味で11日に政府が危険地域指定の基準を変更したのは適切だった。

 原発、放射線との闘いで、菅政権は後退に次ぐ後退である。第一の理由は事故の実態を正確に読みとることができなかったことにある。正確に事態を把握できない限り、事態の解決はあり得ない。その意味で今回の原発事故の本質は菅政権による政治的人災である。

 政治的人災は現在も続き、日本の国益を蝕(むしば)み、日本の未来の可能性を削り取りつつある。世紀の事故となったこの原発惨事に関して、正確な情報を出し得ていないことが、日本に対する内外の不信を必要以上に高めている。チェルノブイリの事故に並べられ、技術立国としての日本の評価も傷つけられつつある。

                   ◇

 正確で迅速な情報公開こそ、この種の被害を最小にとどめ、信頼をつなぎとめるが、情報公開を標榜(ひょうぼう)してきた菅直人首相は、それをしていない。

 国際社会の対日評価が悪化する中、被災者の暮らしの立て直しについて、国の方針も施策も明確ではなく、遅々として進んでいない。これも政治的人災である。

 地震発生当初より、救援を求める側も、救援の手を差し伸べる側も、驚くべき忍耐力と自己規律、他者への配慮という日本精神を発揮して一様に内外の賞讃をあびた。人類が初めて体験する大災害に直面して、国民は本当に立派な人々であることが証明された。

 国民がこぞって求めているのは大きな指針である。その指針を貫徹する政府の決意と具体策である。政府に対して信頼の念を寄せることができるだけで、国民の心には安心感が広がるであろうし、心強い支えとなる。

 だが、菅首相のこのひと月間の言動は、このままでは首相には恐らく未来永劫(えいごう)、国民の期待に応えることはできないと思わせる。首相は野心満々の個人ではあっても、国家を動かす「知」を欠いているからだ。日本の近代国家建設に貢献した伊藤博文は「国に組織ありて而して後国始めて始動す」と書いた。国の組織は即(すなわ)ち制度である。「制度とは国に生命を与え、これを動かすもの」である(『伊藤博文-知の政治家』瀧井一博、中公新書)。

 たしかに首相は大災害発生以降19もの新たな会議を作った。多すぎるが、それが日本国の制度の土台とつながっていれば、それなりに機能するのかもしれない。しかし、首相は自らの友人、知人を中心に組織を作り、日本最大のシンクタンクであり、国家制度の中核をなす官僚組織を組み込むことができないでいる。結果、首相の考えも指示も思いつきの次元にとどまり折角(せっかく)の新組織が機能しないのだ。

 指導者や国家を信ずることができるとき、国民はどれほど強い力を発揮することか。私たちは現在の自分に直接つながる身近な歴史を通して実感しているはずだ。関東大震災も大東亜戦争の敗戦も乗り越えて復興を成し遂げたのは、大目的と指導者への信頼があったからであろう。

 庶民から政治家まで、破壊と飢えからの立ち直りという眼前の試練にも拘(かか)わらず、日本国全体の課題を各々の立場で考え、国難に挑み続けた。暮らしの立て直しを、国民は、国という大きな枠組みの中において捉えた。その大きな枠組みを政治家が示した。

 西岡武夫参院議長は菅首相の対処を見て、図らずも、「いつまで会議をしているのか」と問うた。首相は会議を重ねるかわりに我欲を捨てて、国民と国家のために働け。それができなければ首相を続ける意味はない。
4月13日付産経新聞朝刊【櫻井よしこ 菅首相に申す】