公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.05.24 (火)

富士に復興を見たフランス大使 平川祐弘

富士に復興を見たフランス大使

比較文化史家・東京大学名誉教授 平川祐弘

 

「日本は民度が高いから、大震災の被災地でも混乱が起きません」とテレビで米国人が言った。米国では天変地異に続き、掠奪(りゃくだつ)が起こるらしい。1978年、「米東部で大雪」という天候の予報に続き「ボルティモアでは消防車輌の出動も難しく、しかじかの地域では掠奪放火が発生するだろう」という暴動の予報が出た。

 かねて「風が吹けば桶(おけ)屋が儲(もう)かる」とは聞いていたが、それはあくまで冗談で「大雪が降れば掠奪が起こる」という連鎖反応がよもや文明国で起ころうとは思わなかった。だが予報は2種類とも見事に的中、ガラスを割られ荒らされた商店と憤慨する黒人店主の大きな写真が翌々日の新聞に出た。

 よほど印象的だったとみえ、家内もその大雪の日の写真を憶(おぼ)えていた。「こんな予報を出すから、物を盗らなきゃ損という気分になるんだ。天災と違い、こんな人災の予報はしない方がいい」と私が言ったら、米国人に「危険発生が経験則で予測されるのに報道しなければ、それこそ責任怠慢だ」と言い返された。

 ≪関東大震災に似る外国人報告≫

 どうもお国柄が違う。フランス革命といった暴動は日本では起こらない(そういう暴動を起こさないから日本人は遅れているというのが日本のフランス礼讃(らいさん)仏文学者の言い分だったが、さすがに近頃は言わなくなった)。

 中国の記者は東北の被災地を見て「瑟縮中的温暖微笑」(寒くて縮こまっている中でも暖かい微笑がある)と感心しつつ報じた。そんな筆致が嬉(うれ)しい。今回の外国人記者の一連の現地報告が関東大震災の報告と似ていることに私は驚かされた。

 ポール・クローデルは20世紀フランスの大詩人だが、知日派外交官でもあった。大正12年、東京の大使館で関東大震災に襲われた。地震のない国の出身だから恐怖も強かった。

 「突然、戸がはずれる。箪笥(たんす)ががたがた揺れ始め、窓ガラスはぎしぎし音を立てる。手で時計のつまみを取り時刻を確かめる間にも、大きな揺れが鎖をはずされたように猛(たけ)り狂う。行き着くところがどこかまったくわからない。鼻の孔(あな)がかゆくなったときみたいなもので、くしゃみですむか命取りになるか、見当もつかない」

 そして、クローデルは日本では人間は自分自身にではなくカミガミに属する大地の上に生きているとあらためて感じ、日本人の神道的な宗教的心性はこうした自然環境に由来する、と考えた。

 ≪炎の街横切ったクローデル≫

 9月1日、大使公邸は倒壊しなかったが、在日フランス人の最大の居留地である横浜は被害甚大、湘南には津波が押し寄せた。避暑先の娘も心配だ。クローデル大使は自動車で出かけたが、多摩川の橋は渡れない。夜通し歩いて未明に横浜に入ると、居留地は瓦礫(がれき)の山である。小舟で沖のフランス船に行き情報を集め、陸に戻りフランス人の遺体に礼し、炎の燃え立つ横浜を後にした。大津波にあやうくさらわれるところだった娘に逗子で再会、両腕に抱きしめた。

 「そのとき海はなんと美しかったか。そして空高く見えるのはまぎれもない富士山だ。孤高で静謐(せいひつ)な富士山が君臨していた」

 帰京の途次、「廃墟(はいきょ)となり灰の砂漠と化した東京」を見た、「だがそこでは慎(つつ)ましいが、熱気に満ちた建設者たちの群れがすでに動き始めている」。驚愕(きょうがく)したのは竹橋に帰り着いたらフランス大使館が類焼で跡形もなく、詩人としてのライフ・ワーク『繻子(しゅす)の靴』の原稿も灰と化していたことだ。

 クローデルの生々しい震災報告はフランス外務省にも送られたが、そんな切実な体験はクローデル『朝日の中の黒鳥』(講談社学術文庫)に収められた『炎の街を横切って』などに出ている。今度の震災で辛抱強い東北の人はわずかの援助にも感謝するが、同じ、いじらしい情景がフランス大使の報告にすでに如実(にょじつ)に現れている。

 ≪敗戦でも変わらぬ崇高な光景≫

 クローデルは日本が降伏したときも、この破局から日本は再生できないのではないかと危惧(きぐ)した。日本のこの没落の責任は軍部にあるとしたが、そう述べた後、(ナチス・ドイツと同盟を結んだ日本帝国の敗北を祝賀するフランス人は多かったに相違ないが)それでも、クローデルは「主ハ諸国ノ民ヲ不滅ノモノトサレタ」と日本の再生を強く願った。

 クローデルは仏紙、フィガロ上で、日本とその文化を愛惜し、「しかし、だからといって、冬の夕闇の中からくっきりと浮かび上がる富士山の姿が人間の目に指し示された最も崇高な光景の一つであることに変わりはない」とも述べた。

 クローデルは関東大震災から復興した日本を思い浮かべ、日本が敗戦の廃墟からよみがえることを信じた。かつて生きていた娘と再会したとき、湘南の浜辺で遠くに富士山が見えた。原爆投下の報に接したときも、日本の不滅を信じるクローデルの心の目にはやはり皇居のお濠(ほり)端から遠くに見える富士山が思い浮かんだのである。(ひらかわ すけひろ)

5月23日付産経新聞朝刊「正論」