公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.05.28 (土)

「政争発言」は首相の延命助ける 遠藤浩一

「政争発言」は首相の延命助ける

拓殖大学大学院教授・遠藤浩一

 

 某テレビ番組に出演した復興構想会議議長が、英国のマクドナルド内閣(1931年)などを引き合いに、「かつての日本は政友会・憲政会の二大政党が政争を繰り返したが、偉大な国は、国家的危機に際して挙国一致で対応してきた。日本も政争などしている場合ではない」と託宣して、野党議員から「政治学の講義ではなく、復興会議では具体策について議論してほしい」と窘(たしな)められていた。

 復興構想会議については、「理念的な問題に多くの時間が割かれて、議論が拡散気味だ」という指摘も聞かれるが、要路を、政治家ではなく政治学者が占めるこの会議に、果たして、相応の構想力や実行力を期待することは可能だろうか?

 ≪政治主導という名の素人主導≫

 同会議は復興の諸施策に関する決定権を持つわけではなく、「復興に向けた指針策定のための復興構想について幅広く議論を行」い、その結果を「復興に関する指針等に反映させるもの」(4月11日の閣議決定)でしかないということだし、諮問した官邸周辺では「政治主導という名の素人主導」が罷(まか)り通っている状況だから、端(はな)から具体策を望む方が間違いなのかもしれない。

 そもそも、「政争などしている場合ではない」という一見中立に聞こえる発言が、政争の一方の当事者、すなわち復興を政権延命に利用しようとして憚(はばか)らぬ菅直人首相に与(くみ)したものであることを見落としてはならない。

 むろん、歴史や過去の経験に学ぶにしくはない。人間は過去の蓄積の上に今を生きるものである。大正から昭和初期にかけてのわが国二大政党が政党間ないし政党内部の政争に明け暮れ、政党政治そのものを衰退させていったという事実は否定できない。

 関東大震災も、政争の最中に起こっている。大正12(1923)年8月末に病没した加藤友三郎首相の後任として大命を拝した山本権兵衛は当初、挙国一致内閣の発足を目指したものの、各党派の思惑が入り乱れて難航した。しかし、9月1日の大震災を見ると、「内閣は一日も曠(むな)しくすべからず」と、一気に組閣し、内相に後藤新平を指名するとともに、急遽(きゅうきょ)設置した帝都復興院院長を兼摂させた。

 ≪首相が交代しても復興は成った≫

 後藤は当初、復興予算40億円という“大風呂敷”を広げたが、批判にあい、11月下旬に8億7600万円の復興計画を策定する。が、これも帝都復興審議会(総裁=山本権兵衛)で議論されるうちに大幅に減額されてしまう。背景には後藤と政友会との対立があった。山本を奏薦した元老、西園寺公望は審議会をリードできない首相の無能を詰(なじ)った。山本は、4カ月後の12月27日、虎ノ門事件(摂政宮狙撃事件)の責任をとって辞任し、後継首班は清浦奎吾枢密院議長が担うこととなる。

 さて、一連の経緯で注目すべきは、大幅に減額されたとはいえ、この復興策によって東京が近代都市として再生したこと、首相はこの間、わずか4カ月で交代していることである。われわれがいま歴史に学ぶべきは、政争を経ても、あるいは首相が短期間で交代しても、なお逞(たくま)しく復興を実現したというその事実だろう。

 後藤はこの間、党派間の争いについて、(1)正当なる武器をもって行うべし(2)互いに対敵を尊重すべし(3)終始誠意を以て一貫すべし(4)公益のためには党派観念を去り自己利益を犠牲にすべし-、と注文を付けている。政党との争いに疲れ果てた心情が窺(うかが)えるが、逆にいえば、こうした要件が満たされるならば、党派間競争はむしろ積極的に展開されるべきもの、ということにもなる。

 ≪有能な内閣も重要な「工程」≫

 身も蓋もない言い方になるが、政治家とは政争に生きることを本分とする人々である。彼らに政争をやめろと説いたとて詮無きことだろう。いま、復興策を策定する当事者に求められるのは、「政争はやめよ」とお説教することではなく、政争を引き受けつつ具体的・実体的な復興を推進するリーダーシップである。そこには、泥水を啜(すす)っても石を食(は)んでも成し遂げるという強靱(きょうじん)な意志と力が求められる。となると、この大事業はやはり、政治家こそが担うべきではないのか。

 「復興に向けた指針策定」は、あくまでも内閣(政治家)の責任においてなされなければならない。問題は、その内閣に当事者能力があるかどうかである。権力欲は旺盛だが、場当たり的な対応を繰り返し、徒(いたずら)に現場を混乱させるだけの指導者に対して交代を促す動きを、「政争」という一言で片付けることはできまい。これは「公益」を実現しようという衝動である。

 この危機に際して、挙国一致内閣は依然として有力な選択肢の一つと考えられるが、菅氏自身がその最大の障害となっていることを忘れてはならない。より有能で誠実な内閣をつくることも、復興に向けた重要な「工程」の一つなのである。(えんどう こういち)
5月27日付産経新聞朝刊「正論」