公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

役員論文

2011.06.22 (水)

自民は大臣ポストに釣られるな 遠藤浩一

自民は大臣ポストに釣られるな

遠藤浩一

 

≪大連立に乗らなかった吉田茂≫

 昭和22年4月25日、新憲法下初の総選挙で社会党が第一党に躍り出ると、西尾末廣書記長の口から「そいつぁえらいこっちゃあ」という一言が漏れた。

 社会党に政権担当能力がないことを弁(わきま)えていた西尾は、第二党の自由党を率いる吉田茂に大連立を打診し、「総理大臣は必ずしも第一党でなければならないということはない」と、“吉田首班”容認にまで踏み込んだ。まず連立政権に参加し、その過程で与党としての訓練を積むべきだというのが、西尾の考えだった。

 これに対し、吉田はもう一枚老獪(ろうかい)だった。第一党に政権を譲り自らは下野するのが「憲政の常道」であると主張し、党内にくすぶる連立参加論を抑える一方(当時から“大臣病症候群”が見られたらしい)、社会党に対しては「容共左派と手を切れ」と迫った。むろん無理難題であることを百も承知で敢(あ)えてふっかけたのである。

 一旦は社会党に政権を担当させても早晩行き詰まるに決まっているから、ここは野党としての筋を通して、満を持して政権を奪還すればいい、というのが吉田の肚(はら)だった。

 結局、「大連立」は成らず、社会、民主、国民協同の3党による中道・左翼連立政権が成立するも、片山(社会)-芦田(民主)両内閣は1年半で瓦解(がかい)する。この間、国民の間では保守政権復活への期待が高まり、昭和24年1月の総選挙で、(自由党改め)民主自由党は264議席を獲得して、圧勝する。

 ≪恋々とせず返り咲けたと伴睦≫

 吉田の番頭役(自由党幹事長)として対社会党折衝に臨んだ大野伴睦は、「政権に恋々としなかったことが、かえって国民全体の信任を獲得、次に堂々と第一党になりえた」と振り返っている。

 60余年前の経験から、今日の自由民主党が政略上学ぶべきことは、はっきりしている。大臣ポストの1つや2つに釣られてはならないということである。政権を奪還するという目的を達成するために自民党が採るべき選択肢は、野党としての筋を通して政権に恋々としないこと、これ以外にない。

 茶番のような菅直人首相による退陣表明のあと、一旦は高まった大連立熱が自民党内で急速に冷めつつあるのは、自由党以来の遺伝子が残っているということか。それはそれで結構なのだが、事はそう単純ではない。今日の状況は、自民党をして専ら政略上の要請をもって判断せしめることを許してはいないからである。

 「大連立」の掛け声の下、大臣ポストに群がろうとすれば、その浅ましさはただちに見透かされるだろうし、所詮、オール与党体制(ないしその変形)の構築だから、議会が狎(な)れ合い、機能停止状態に陥る危険性もある。

 他方、「筋を通す」と言えば聞こえはいいけれども、野党が被災地の復旧・復興に非協力的な態度をとりつづけたならば、これまた有権者の批判を浴びることになりかねない。特に衆参“ねじれ”状況にある以上、野党の責任は重く、国民はその行動を注視している。自民党としても、判断が難しいところだと思う。

 ≪民主党との狎れ合いは禁物≫

 筆者は、いくつかの条件が整えば「大連立」(閣外協力が望ましい)も当面の選択肢として有効と考えている。すなわち、(イ)期間は半年から最長でも1年以内(ロ)連立解消後はただちに解散・総選挙を断行して国民の信を問う(ハ)取り組む課題は、(1)被災者救済と被災地復旧(2)緊急不可欠の復興策策定と実行(3)福島第1原発の事故処理(4)選挙管理、の4つに絞る-という条件である。

 一部に、与野党が協力体制を構築して、復興・原発対策のみならず、税と社会保障の一体改革から選挙制度、憲法にいたるまで議論すべきだという意見もあるが、これは邪道だ。こうした基本的な、しかも大きな問題を処理するには、現在の議会構成には重大な欠陥があるからである。

 平成21年総選挙においては、どの政党もこうした問題についてまじめに政策提起をしたとは言い難い。特に、子ども手当、高校無償化、高速道路無料化、農家への戸別所得補償などのバラマキ政策を羅列する一方で、増税を否定して政権を獲得した現民主党政権は、莫大(ばくだい)な財源を要する復興策や経済再建策、一体改革を策定する適格性を欠いている。本格的な政策について国会で検討する前に、政党が真剣に政策を練り上げ、提示したうえで民意を問うことが、必須の条件となる。

 また、早期の解散・総選挙含みで「大連立」を認めるということにすれば、与野党の狎れ合いも一定程度抑制できるだろう。

 つまり、前掲諸条件の最後に示した「選挙管理」とは、なるべく早く解散・総選挙が実施できるよう被災地の復旧を急ぐことにほかならない。そこにこそ「大連立」の意義がある。被災地に配慮したフリをして、「選挙なんてやってる場合か」と嘯(うそぶ)くのは“御為倒(おためごか)し”以外の何ものでもない。(えんどう こういち)

6月21日付産経新聞朝刊「正論」