公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.06.27 (月)

アジアに充満する中国脅威論 櫻井よしこ

アジアに充満する中国脅威論

櫻井よしこ

 

6月5日までの3日間、シンガポールで開催されたアジア安全保障会議は、アジア、ユーラシアで先鋭化するであろう米中の対立関係を 浮き彫りにした。そこに見えたのは、中国に対する怖れが強い警戒心となって、米国接近を加速するアジア諸国の姿でもあった。

30ヵ 国以上の防衛閣僚らが出席する同会議は英国の国際戦略研究所(IISS)が主催し、そ の時々の世界の軍事情勢を映し出してきた。10年目の今年、世界情勢を象徴していたのは、リー・クアンユー公共政策大学院のマーブバニ院長によるゲーツ米国防長官への問いと答えだった。

マーブバニ氏はこう尋ねたのだ。

「ゲーツ長官、我々は皆、この地域に米国が存在し続け米軍駐留を維持し続けるとの発言に心を打たれました。しかし、経済原理からして、米国の軍事支出は減 り、中国のそれが増えるとき、当地域の軍事状況も変化を迫られます。米国の影響力低下が懸念される中、5年後も米国がこの地域にとど まり秩序を守ってくれると考えてよいのでしょうか」

ゲーツ長官の基調講演は3日間の会議の中日に行われ、マーブバニ氏の質問は講演に続く質疑の最後の問いだった。小国シンガポールの 知識人は、事実上、米国に、アジアを守り続けて欲しいと訴えたに等しい。

長官は答えた。

「答えはシンプルです。5年後、当地域における米国の影響力は現在より強まることはあっても弱まることはありません。そのことに私 は100ドルを賭けましょう」

会場は爆笑に包まれたが、右のやりとりほど、アジアで起きつつある「衝撃的かつ驚くべき変化」「米国とより強い軍事的協力を打ち立 てたいという切望の広がり」(ゲーツ長官演説)を表現していたものはない。

「海空戦」

基調講演で長官は米国の目標を4点にまとめた。①自由で開放された貿易、②国際法の遵守と各国の権利と責任に基づく秩序、③海、 空、宇宙、サイバー空間へのアクセスの自由、④紛争の平和的解決、である。

長官は米国のアジアへのコミットの証しとして東日本大震災での日本との協力を例に挙げた。震災発生から24時間以内に米国は「トモダチ 作戦」を開始、ピー ク時には2万4,000の軍人、空母2隻を含む24隻の艦船、190機の航空機を派遣したと語り、日本、韓国、インド、豪州、シンガポール、ベトナムなど との個別の協力関係を詳述したうえで、米国がアジアにおける軍事力の強化に努めること、米軍は北東アジア、東南アジア、インド洋に展 開し続けることを強調 したのだ。

米軍は戦略的、質的改善策によって以前にも増して強力であると強調しつつ、長官は、米軍は海洋及び通信におけ る接近拒否問題に直面していると語った。米軍 を特定の地域から遠ざけるために高度な技術を駆使した、新たな妨害作戦が行われていることを指摘し、対して米国は「海空戦(エア・シーバトル)」という新 戦術を構築したと述べる。

名指しは避けたが、いずれも中国を念頭においた発言だった。無論長官は中国に「前向きかつ協力的で総合的な関係」構築を呼びかけ、 軍相互の関係を強化する必要性も強調した。

講演後の質疑応答では、高まる中国の脅威の前で、ゲーツ長官の答えよりも、30ヵ国余りの専門家や政府関係者の質問がアジア諸国の本音を表していて興味深い。わかり易くするために質問に多少の注釈を加えて幾つか紹介してみる。

◎米軍に対する接近拒否は、中国の台湾侵攻において最も懸念されるが、米国は対処出来るのか。
◎中国艦船はベトナムの石油資源探査船のケーブルを切断し、フィリピン領有の岩礁に構造物を建築した。この問題をどう解決出来る か。
◎中国が強める対米接近拒否能力にどう立ち向かうか。
◎米国はある種のサイバー攻撃は戦争行為と見做すとの方針を定めたが、中国を起点とする夥しい対米サイバー攻撃に対応出来るのか。

次々に発せられる問いはどれもみな、中国への不信と反発と怖れから生まれていた。いまやアジアには中国脅威論が充満しているのである。

中国に厳しい視線が注がれる中で、中国人参加者も問うた。復旦大学の呉心伯(ウーシンボ)副院長は以下のように反問かつ反撃した。

米中関係深化の妨げとなっているのが米国の台湾への武器売却であり、中国近海における米国の軍事的及び情報収集活動である。米国は世界 のどの地域にも自由 に接近出来ることを当然視するが、中国にとって米国の活動は恫喝的かつ押しつけがましく映る。米国は大国として自らを律し、弱小国に対して繊細でなければならない。こうした点に米国が配慮することが、米中の軍事的信頼関係を醸成する上で欠かせない。

対中国で国際社会が連携

呉氏の対米批判は、実は全て、中国自身にはね返ってくる性質のものだ。しかし、中国はそうは考えない。それにしてもゲーツ長官の回答は明快だった。

「米国の行動は全て国際法に則ったもので、海洋及び空における行動は諸国の領海、領空のルールを遵守したうえで行われている。いま この議論で重視すべきことは透明性の一語に尽きる」

軍事力を増強するにしても、意図と目的を明らかにしさえすれば、他国の懸念は招かないと、長官はごく当然の主張をした。国際法を無視し、透明性を欠く中国は反論できない。

日本に当てはめれば、なぜ中国は沖縄本島と宮古島の間を大艦隊を組んで航行するのか。なぜ、尖閣諸島や東シナ海の領有権を主張し、なぜ 沖縄も中国領だと言 うのか。大海軍を作り上げたうえで武力で奪う気なのか。意図をはっきりさせよ、ということになる。ゲーツ長官の透明性の強調は、至極納得のいくことだ。

そのあとの問いが、冒頭で紹介したマーブバニ氏の、米国はずっとアジアにいてくれるのかというもので、これを以てゲーツ長官への質疑応答が終わったのだ。

翌日、中国の梁光烈国防相が演説し、冒頭で「核心的利益は尊重されなければならない」「第三国を狙った同盟関係は許されない」などと強調した。対中国で国際社会が連携する状況への強い警戒心を抱きつつ、中国外交の最重要の柱である核心的利益、台湾、チベット、南シナ海には第三国の干渉を許さない、という柱は断固として守る姿勢である。しかし中国が強硬な対外政策を維持することは各国の警戒体制を強化させるだけである。外交巧者の中国はすでに外交における柔軟性を増しつつある。その背後で国内を固めるために苛烈な弾圧が行われているのが現状である。

『週刊新潮』 2011年6月23日号
日本ルネッサンス 第465回