公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.07.07 (木)

原発安全対策、国民に明確に示せ 櫻井よしこ

原発安全対策、国民に明確に示せ

櫻井よしこ

 

6月27日、菅直人首相は細野豪志首相補佐官を原発事故収束・再発防止担当相に任命した。「原発事故を収められないようなら、政治家を辞める」と語る氏は6月24日、シンクタンク「国家基本問題研究所」主催のセミナー「放射線被害の虚実」で、「福島第一原発の各原子炉に対するコントロールの度合いは確実に上がっている」と強調した。

たとえば、いまは原発から20キロの同心円で警戒区域を区切っているが、原子炉内に窒素を注入し水素の割合を下げ、水素爆発の可能性をゼロにした段階で、避難先から自宅に戻れる対策も取り得る、7月17日までにそれを達成したいと語った。

大雑把に言えば、原発は徐々にコントロールされつつある。だが、後述するように、氏を含む現政権の発表情報に信頼を置くことは難しい。だからこそ、原発事故担当相となった氏と、原発を所管する海江田万里経済産業相には肝に銘じてほしい。福島が国際社会に与えた衝撃はチェルノブイリよりもはるかに深刻で、対日不信がこれほど高まったのは、東京電力の悪しき体質と共に、菅首相以下、拙劣極まる民主党の対応が原因だということを。

福島の事故は当初、放出された放射性物質の量でチェルノブイリの一割にとどまり、両者を同列視するのは、日本に不公平だと見られていた。だが、東電と民主党政権の負の相乗効果で、いまや専門家らは、福島はチェルノブイリよりも深刻な影響を国際社会に及ぼしていると言う。

国際社会は福島の原発事故から学び取り、原発の安全性を高めようと必死だが、国際社会が驚く日本の異常さの第一が、東電の体質である。巨大なエネルギーを発する原子力には、十分な警戒と準備と慎重さが必要だが、東電はそれを欠いている。まず、経営者の中に、原子力発電の現場を経験した人物が一人もいなかった。専門的知識を欠くためか、過酷事故対策(severe accident management)も周知徹底されていなかった。とすれば、彼らの専門は何なのか。原発行政を司る政界対策の専門家集団と考えて差し支えないだろう。そう考えれば、事故後の拙劣な対処策も納得がいくのである。

無能と断じられた日本政府

今回の事故の深刻な山場となった1号機の水素爆発には予兆があった。東電が原子力災害対策特別措置法(原災法)15条に基づく特定事象発生を経産省に通報した3月12日午前1時20分にそれは明らかだった。15条事態は、原子炉内に注水出来ず冷却機能を失うことに代表される重大な原子力緊急事態発生の警告である。最速の動きで安全確保の手を打たなければならないにも拘わらず、東電は動いていない。その日の午前7時とされた首相の現地視察への対応を優先したとしか思えない。

その頃、官邸では高温の水蒸気を外部に逃がすベントを行い、原子炉建屋内の圧力を早く下げるべきだとの意見で一致し、午前1時半に海江田氏が東電に指示を出した。ちなみにベントをするか否かは、第一義的には事業者の判断である。

首相が現地視察を決めると、東電はより一層、首相の動きに振り回される。午前6時過ぎ、自衛隊機で現場に向かった首相は午前7時19分、現地の免震重要棟に入った。

このときすでに深刻な事態が1号機で起きていた。原子炉内の核燃料が津波到達後わずか4時間でメルトダウンを始め、津波到達後約15時間20分、12日の午前6時50分には大半が溶融し、圧力容器の底に崩れ落ちていたのだ。首相の現場視察で東電幹部の事故対策の手が止まっていたのは、丁度この頃だったのだ。

東電の事故の見通しは悉く甘く、危機意識を欠いたとしかいえないその対応は許されない。同時に政府の対応が状況を悪化させたのも確かだ。国際原子力機関(IAEA)は、6月20~21日の非公開事務レベル作業部会で菅政権の政治介入が現場に無用の混乱を招いたと指摘した(『産経新聞』6月22日)。

また、日本政府の情報公開を著しく不透明としたうえで、「しかし、日本政府が情報を隠していたとの証拠はない。日本政府には情報がなかったのだ」と分析した。

日本政府は事態を把握しきれていなかった、無能だと断じたのだ。

政府の事故対処の最大の欠陥は決定と対策の遅さにある。たとえば、細野氏は現在原発の汚染水対策に最大の力を注いでおり、汚染水問題が終わったら、次に校庭や道路などの汚染土壌の問題に取り組み、その次に使用済み核燃料の再処理問題に取り組むと述べた。しかし、これらは同時進行で取り組むべきことだ。とりわけ、汚染水と汚染土壌は国民生活に直結する問題で、段階を踏んで取り組む余裕はない。地方自治体も住民も、政府判断を待ち切れずに、自ら土壌の表面を削り取り、道路の洗浄を始めているのである。

こうした指摘に細野氏は「これら全てを一気に問題提起しても国民に受け入れてもらえない」と述べたが、国民の理解を深めるよう説明するのが、民主主義における政治家の責任である。

原子力行政の非科学性

官邸発信情報のもうひとつの欠陥は、科学的整合性と事実の裏付けに欠けることだ。一例が浜岡原発停止要請だ。菅首相は、今後30年以内にマグニチュード8程度の東海地震が発生する確率は87%であるから停止を要請すると言い、他方、他の原発は安全だと言う。その根拠は「安全だという見解」を首相も経産大臣も持っているからというものだ。支持率上昇を狙ったこの対策を国際社会は日本国の原子力行政の非科学性を象徴するものとしてとらえただろう。

ドービル・サミットでの首相発言も、日本への世界の信頼を損なうものだった。首相は2020年代の早い時期に再生可能エネルギーを全発電量の20%に引き上げると述べたが、これを風力発電で達成する場合、日本列島の全海岸地域に風力機を設置しても間に合わない。首相が具体的に言及した1,000万戸の住宅に太陽光パネルを設置する方法でも全く、達成出来ない。一国の首相は出鱈目を言ってはならないのである。

細野氏は首相を「非常に冷静」と評価するが、氏の役割は、菅首相の支持率狙いの出鱈目に巻き込まれることなく、眼前に迫る夏の電力危機を乗り越えることだ。国民を信頼して情報を開示し、なんとしてでも国民に見える形で原発の安全性を高めることだ。東電も、東電と足並みを揃えてきた原子力安全委員会も政府も、国民の信頼に足りないいま、日本の原発の安全性を高めるために、新たな第三者としての国際社会の協力を得ることも真剣に考え、日本の未来のエネルギー戦略として、原発と再生可能エネルギーのベストミックスを描くことだ。

『週刊新潮』 2011年7月7日号
日本ルネッサンス 第467回