求む、価値観説き品格ある首相 平川祐弘
求む、価値観説き品格ある首相
比較文化史家・東京大学名誉教授 平川祐弘
■求む、価値観説き品格ある首相
2001年9月11日以後、米国は変った。テロリズムの元凶は地球上のどこに潜伏しようが、必ず見つけ出して殺す。その正義の大原則を貫徹した。この10年来、飛行場で靴まで脱がされるが、そんなチェックも甘んじて受けた米国民はそれだけ対テロ戦争への協力も本気だったのだ。だからこそ、国際テロ組織アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディンが殺害されるや、手放しで歓喜したのだ。相手がテロリストであれ、人の死をあんなに喜んでいいのかと私は複雑な気がした。タリバンが将来、核兵器を手に入れたとき、どうなるのか心配だ。ただし米国の過剰反応を懸念はするものの、米国が内向きになって、アジアから手を引かれてはさらに困る。
◆日米とも「・11」で変わった
11年3月11日以後、日本も変った。菅直人左翼政権の下であったが、日本人は日米同盟の重要性を再認識した。米軍が「トモダチ作戦」に動くや、日本人は支援に感謝した。鳩山由紀夫前首相が傷つけた日米の絆の修復にほっとしたのである。自衛隊には国民はかつてない感謝を示した。古風な言い方をすれば、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉」ずる防衛力が日本にある。国難に立ち向かう頼もしい国軍がいる。ありがたい。自衛隊に対する信頼はかつてなく高い。
だからといって、わが国を大東亜戦争下のような挙国一致体制にしないでもらいたい。わが国の新聞記者の多くは昭和10年代は軍部に、20年代は占領軍に、安保闘争以後は社会主義勢力に色目を使った。良心面しているが、新聞人は心のどこかで怯(おび)えていたのだ。軍部や革命勢力に対する恐怖心が心の隅にあって、一部大新聞は戦前は右翼日本主義の、戦後は左翼進歩主義のお先棒を担いだのだ。
それにしても、なぜ新聞は今回もまた揃(そろ)いも揃って政府のスポークスマンと化したのか。福島原発事故で当局は、戦時下の大本営報道部同様、正確な発表をしなかった。私が問題としたいのは政府・東電・保安院の情報管制のペースになぜ新聞テレビが知ってか知らずか乗ってしまったのか、だ。
◆命捧げた人祀り責任者厳罰に
原発建屋爆発後、外国から電話があり、「いま、風はフクシマから東京方向へ吹いている。大丈夫か」と心配してくれた。私は最初は日本側の発表をナイーブに信じていたから、外国から案じてくれる人の言葉を「風評被害」と内心で憫笑(びんしょう)した。だが後で見ると、枝野幸男官房長官、西山英彦原子力安全・保安院審議官(当事)の発表より外国報道の方が事件の核心をついていた。憫笑すべきは「メルトダウンはない」と口走って「報道ナショナリスト」ぶりを発揮した人の方だった。日本政府に対する信頼はかつてなく低い。
この際、国民の深層意識の変化に政党も留意してもらいたい。新内閣には何党であれ、自らの命を延ばすことが自己目的化している人は、首班に選んでほしくない。日本を品位ある国にしてほしい。新内閣はまず他人のために自己の命を犠牲にした人の霊を弔っていただきたい。水門を閉めようとして殉職した消防団員、津波警報を最後まで放送して死んだ役場職員、そうした義人を国や地方自治体は必ず祀(まつ)っていただきたい。自衛隊員に殉職者がいるなら靖国神社や護国神社に祀るべきだろう。
その際、新首相には言いにくいことも言っていただきたい。人はいざという時、命を捨てる覚悟がなければならぬ、ということを。そして、公のために身を犠牲にした人は敬意をもって遇せねばならぬ、ということを。それは、炎上するビルに突入して殉職したニューヨークの消防士についても同様である。大震災は命の尊さを教えたが、同時に保身や延命だけが全てでないことも教えてくれた。
日本人が真に守るべき価値は何なのか。そのことを率直に説く人に首相になっていただきたい。そして、犠牲者を弔う一方で、事故の責任者も厳罰に処してもらいたい。けじめをつけることが大切だ。今回の原発事故は天災であると同時に人災である。その人災の真実を明確にして、責任者はパージ(職務追放)すべきである。
◆禍転じて福となす政治家必要
敗戦は尊王攘夷の軍部を切る機会となり、日本は昭和20年、開国和親に転じ、明治維新以来の国是である「知識ヲ世界ニ求メル」平和的近代化路線に復帰した。私たちが選択した発展モデルは欧米民主主義であり、その健全性を疑う人は少ない。中国とも和して同ぜぬ関係を維持すべきだが、政治現代化の範を中国に求めようとは誰も思うまい。太子党の新指導者は中国人民を動員し毛沢東崇拝の愛国行進曲の大合唱をやっている。そんな北京に朝貢することが正しい歴史認識だと思う小沢一派は、さっさと消えるがいい。「ペテン師」も困るが、「トラスト・ミー」と嘘をつく男はもっと困る。
民主党指導者は日本の品格を傷つけた。震災後のわが国には禍を転じて福となす政治家が必要だ。日本人が国難に際して心の深層で感じた価値観に訴えることこそが次の首相には大切なのである。(ひらかわ すけひろ)
7月19日付産経新聞朝刊「正論」