「一国平和」に似た「一国脱原発」 遠藤浩一
「一国平和」に似た「一国脱原発」 震災下の8・15
拓殖大学大学院教授・遠藤浩一
昭和20年9月2日、降伏文書に署名調印した重光葵外相(東久邇内閣)はその前日に心境をこう詠んでいる(『重光葵手記』)。
神国の栄え行くなる一里塚
ならぬ堪忍する日の来りぬ
敗戦前後の焦燥と虚脱の中で、この人は比較的冷静で、国体を護持し、祖国を再建するには「ならぬ堪忍」、すなわちポツダム宣言の履行徹底が肝要であると思い極めていた。
≪自主的憲法改正図った重光≫
自主的な憲法改正についてもこれを当然とし、とりわけ統帥権の独立を排して軍政の一元化をはからねばならぬと考えた。言うまでもなくこの時、重光は、軍事力そのものを否定したわけではない。軍事力の運用システムを自由民主体制に相応(ふさわ)しいものに改めねばならないと構想したのである。
しかし、同時に彼は、左翼勢力が占領軍(重光はこの時点では正しく「敵」と表記している)に乗ずるかたちで、「左傾的憲法改正」を要求してくることを懸念した。敵や左翼に付け込まれぬためにも、自主的に憲法を改めなければならない、としたのである。
が、“敵”は、重光が想定する以上に強(したた)か(かつ愚か)だった。自主的改定を潰し、日本を徹底的に屈服させるための道具としての新憲法を制定させた。それは、「諸国民の公正と信義」は信頼に値するものだけれども、日本国及び日本人は信用できない、したがって、軍事力そのものを放棄すべし、という思想で覆われたものだった。
ここから軍事力自体の否定を背骨とする平和主義が跋扈(ばっこ)し始めることとなる。左翼がこれを最大限に活用したことは言うまでもない。もちろん、彼らは世界中すべての軍事力を否定したわけではなく、ソ連などの共産主義国家や日本が共産化したのちの軍事力については積極的に肯定した。
≪非対称性に戦後の欺瞞あり≫
こうした非対称性にこそ、戦後平和主義の欺瞞(ぎまん)と限界があるのだといわなければならない。
もっとも、これは日本だけの病ではなかった。米ソ冷戦期には、世界のあちこちで、「反核運動」なるものが繰り広げられたものだが、それは、専ら言論の自由が保証される西側社会における動きであって、赤の広場や天安門広場ではそうした運動は不可能だった。つまり、それは平和運動に名を借りた一方的な政治宣伝運動にほかならなかったのである。
軍事力それ自体は中性であって、善でも悪でもない。行使する主体によって善にも悪にもなりうる。身も蓋もない言い方をするならば、核兵器をはじめとする軍事力は、自国にとっては善だが、他国のそれは悪である。立場が替われば善と悪は入れ替わる。
そうした善悪中性の装置について、その是非をあえてあげつらい、運動化していく背景には、必ず別の政治的動機が潜んでいる。これらの政治運動が挫折してきたのは、特定の地域においてのみ成立する偏頗(へんぱ)なものでしかなかったからである。
冷戦期の平和主義は左翼全体主義の道具だったが、我(わ)が国では“保守本流”もこれに取り込まれて、一国平和主義の袋小路に迷い込んでしまった。自分の国さえ軍事力を放棄すれば平和は担保される、自分の国さえ平和ならそれでいいという処世術を、少なからぬ日本人は共有してきた。
さて、このところ何かと喧(やかま)しい「脱原発」スローガンも、かつての「平和主義」スローガンと構造が似ている。軍事力が中性であるのと同様、原子力もそれ自体は中性である。
≪ならぬ堪忍は原発との共存?≫
千年に一度の自然災害によって福島第1原子力発電所が大きな被害を受け、放射性物質が拡散するという異常事態の中で、私どもは今、心理的パニック状態に陥っている。得体(えたい)のしれない恐怖の中で、原子力発電を運用してきたシステムをいかに構築し直すかではなく、原発それ自体を否定することで安らぎを得ようとしている。
原発そのものを否定しようというのなら、世界中すべての原発が対象となる筈(はず)である。が、ドイツやイタリア、スイス(といった旧敗戦国や中立国)が前のめりになって、「脱原発」へと進むのを尻目に、アメリカやフランス、中国、韓国は止めようとはしない。ここでも非対称性が存在する。要するに、「脱原発」も所詮、特定の地域で叫ばれる偏頗なスローガンでしかないのである。諸国民の原発は信頼できるが、日本人のそれは信用できないという欺瞞と矛盾に、我々(われわれ)日本人は耐え続けることができるだろうか?
大震災後の日本人が迫られている「ならぬ堪忍」は、原子力発電を諦めることなのか、それとも、今回得た教訓を基にこれと共存していくことなのか。
スローガンではなく、真剣かつ冷静な検討が求められている。(えんどう こういち)
8月10日付産経新聞朝刊「正論」