亡命チベット人が暮らすダラムサラの静かな闇の中で 櫻井よしこ
亡命チベット人が暮らすダラムサラの静かな闇の中で
櫻井よしこ
インド北部のヒマーチャル・プラデシュ州のダラムサラは、美しい自然に慣れている日本人の私にも、人間と自然が混然一体となってつくり出す精神世界の美を強く印象づけた。
チベット亡命政府のあるダラムサラは標高2,000メートルの高地である。インドへの出張と合わせて4泊5日の旅程だったため、ダライ・ラマ法王14世のおられる天空の街にいたのは1泊2日、わずか18時間にすぎなかった。
到着後すぐに法王、ついでロブサン・センゲ首相にお会いし、その後デキ・チョヤン外相やペンパ・ツェリン国会議長らとの遅い夕食会をすませて宿舎のザンバラホテルに入ったのは23時近かった。ホテルは部屋の広さを除けばすべてが簡素のひと言に尽きる。備品は見事なほど必要最小限にとどまり、シャワーは水だった。亡命してきたチベットの人びとが本当に質素な暮らしをしているのがうかがえる。
翌朝は7時に出発だ。私は4時を回る頃に起き出して、テラスに出た。眼下はダラムサラで最も美しいといわれるカングラ渓谷のはずだが、天空の星々と三日月の光の下、すべてが静かな闇の中に沈んでいた。人工の光がほとんどないために、星が本当に間近で澄んだ光を発している。私はテラスの椅子に座り、冷気の中で天空を眺めた。こんなに近くで、こんなに長く、星を見続けたのは何年ぶりだろうか。
時折、柔らかな風が吹き渡る。水の音が風に乗って聞こえてくる。ガガル空港から急勾配の道を上がってくる間に幾筋もの川が目に入った。いずれも豊かな水量をたたえていた。インダス川、メコン河、揚子江などをはじめ、少なくとも10本の大河の源流はヒマラヤ山脈で生まれている。中国も東南アジアもインドも、その恩恵を受けている。亡命政府の位置するヒマーチャル・プラデシュという州の名前は、ヒマラヤの麓という意味だそうだ。亡命チベット人はまさに彼らの故郷である母なるヒマラヤの水の音に包まれて暮らしているのだ。
6時前、東の空に明るみが差し始めた。私は合掌し、祈りを捧げた。家族や知人、縁ある人々の健康と幸福とともに、チベットの人々のために祈った。
祈りはどんな人にとっても自然な行為であろうが、中国共産党はこうした人間の感情の自然な発露としての祈りを許さない。彼らは宗教心を認めず、力ずくで排除しようとする。だが、宗教心は、突き詰めていえば人間の心奥の自然への畏敬と感謝、人間の知力をはるかに超える森羅万象の前で慎ましやかに生きようと願う心が基本になっている、と私は思う。わが身の小ささを認識し、優れた先人の教えに導かれて、自らの生をできるだけ意味あるものとし、感謝して生きたいと願う心だ。
こうした人間の心情の発露を封じ込め、抹殺することは不可能であろうに、苛烈な弾圧のかたちで続く中国政府のチベット仏教抹殺の努力は、どこまでいっても無益で虚しい。
そんなことを考えていると、風が読経の声を運んできた。
「6時からシッキムの地震の犠牲者のために祈りが捧げられます。ダラムサラの僧だけでなくたくさんのチベット人が参加して、法王と共に祈ります」と、前夜聞いたことを思い出した。
9月18日、インド北部で発生したシッキム地震はマグニチュード6・9で、少なくとも140人を含む多くの犠牲者が出た。
3階建てホテルの屋上に上がると、谷の向かい側に大きな僧院があり、すでに多勢の人々が集まっているのが見えた。チベットの人々の1日は祈りに始まり、祈りに終わる。チベット人は人間を信じ、その信頼の上に穏やかな社会と国をつくってきた。彼らの価値観が大事にされ、その価値観に基づいた国が再生されるよう、支援するのがアジアの大国の日本の役割である。
『週刊ダイヤモンド』 2011年10月15日号
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