公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.10.14 (金)

未来開く大戦略語れ 櫻井よしこ

未来開く大戦略語れ

 櫻井よしこ  

 10月11日、野田佳彦首相が11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)が政権の「ヤマ」だと語った。それまでに環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)と税と社会保障の一体改革に結論を出すという。

 野田政権の喫緊の課題には武器輸出三原則の見直しもある。前原誠司政調会長が米国講演で主張したように、同三原則の見直しなしには日本の防衛産業は国際的な共同開発に参加できず、技術革新からも取り残される。

 政権発足からひと月余り、党内融和優先で事実上何もしない「安全運転」を止めて、APECを皮切りに野田政権らしさを打ち出すというが、日本にとっては民主党政権の下でずっと危機の「ヤマ」が続いていることを、首相は忘れてはならない。

 国家機能を失ったかのような日本の事態は深刻で、課題は重い。融和策で乗り切ることなどできないと、首相は心せよ。

 小手先の融和策の弊害は、日米安保体制を揺るがし、国益を損ね続ける普天間飛行場移設問題に明らかだ。

 「国外・県外移設」公約の間違いを認識した鳩山由紀夫元首相は、2009年12月には記者団に「辺野古は生きている」と語り始め、移転先は辺野古に戻すしかない旨、記者発表しようとした。だが社民党が反対し、政権基盤を失うことを危惧した北沢俊美防衛相が首相を説得し、記者会見を取り止めた。結局、鳩山政権は翌年5月まで方針転換できず、辞任に追い込まれた。

 菅直人政権下の武器輸出三原則も同様だ。2010年12月、民主党は同三原則見直しを防衛計画の大綱に明記するはずだった。自民党も実現できなかった課題を民主党が解決していれば、自民党の存在感は完全に失われていただろう。

 だが、またもや社民党が反対し、民主党は妥協した。北沢防衛相は 「大事なものを犠牲にしてでも、3分の2(の議席確保)を取れ」(「朝日新聞」10年12月8日朝刊)と、菅首相に助言したが、大事なものを犠牲にした鳩山・菅両政権は何ひとつ成し遂げられずに終わった。

 民主主義は数の論理の上に成り立つが、価値観が守られて初めて、数に意味が生まれ、その意義も評価される。民主主義においては価値観こそ最も大事で、価値観なき融和など、どこまで行っても不毛なのだ。

 首相は、日本が守り続けるべき価値観に目を向け、不毛は何も生み出さないことを、くれぐれも心に刻みつけよ。そのうえで、私たちの信ずる民主主義体制を脅かす力が、日本周辺で日々、強大化している事実に備えよ。対応を間違えることの許されないこの状況を読みとって、戦略を構築せよ。

 辛亥革命から100年、胡錦濤国家主席は10月9日、「中華民族の偉大な復興」との表現を23回も繰り返して演説した。「愛国主義の偉大な旗印」「愛国主義は全民族を動員し、結果として中華振興のために奮闘させる強大な精神力」と謳(うた)い上げ、「平和的な方式での統一実現」は「台湾同胞を含む全中国人民の根本的な利益に最も合致する」として、中台統一への決意を見せた。

 台湾の現状は危うい。2040年頃には西太平洋とインド洋から米海軍を排除するとの長期戦略を描く中国は、異常な軍拡をいまも続行中だ。日本列島、沖縄諸島、台湾、フィリピンを結ぶ第一列島線の確保に自信を見せ、尖閣諸島周辺の日本領海を度々侵犯する。南シナ海の領有権も傲慢に主張する。台湾海峡の軍事バランスはすでに中国優位に傾いている。米国は中国の軍事力を自国への脅威と認めるが、台湾海峡、南シナ海、そして東シナ海も尖閣諸島も、秩序の維持には米国の揺るがぬ関与が必要だ。

 にも拘(かか)わらず、米国は台湾の求めていた最新鋭戦闘機F16C/D66機は売却しないと決定した。米国議会は、中国への過剰な配慮を反映したこの決定が中国を誤解させかねないと激しく批判したが、中国はさぞ、自信を深めていることだろう。

 台湾はこの局面で、米国の決定は台湾の安全を揺るがすとして怒るべきだった。だが、馬英九総統は大人しく納得し、怒ったのは中国のほうだった。張志軍外務次官が米国の駐中国ロック大使を9月21日深夜に呼びつけ、「強烈に憤慨しており断固反対する」「誤った決定を撤回せよ」と言い渡したが、まるで逆ではないか。

 今回、台湾も米国も明らかに対中融和策で失敗した。今回の失敗は、あるいは、後にひとつの大きな転換点と位置づけられるかもしれないほど深刻である。

 財政赤字に苦しむ米国は今後10年間、大幅な国防費削減を迫られる。アフガンから撤退し、中東への関与を最小にとどめ、台湾、南シナ海におけるプレゼンスの低下が予想される。つまり、中国を誤解させる安全保障上の空白が生まれやすい状況なのだ。その危険な局面の最前線に位置するのが日本である。率先して、国際社会の常識に基づく中国牽制(けんせい)の政治的軍事的枠組みを、米国、インド、豪州などとの連携で作らなければならない。

 大戦略を踏まえて初めて、TPPや武器輸出三原則の緩和など個々の政策が日本の未来の可能性を開くことに有機的につながっていく。大戦略の基盤となるのが自国の歴史と価値観への信頼であるのはいうまでもない。首相の靖国参拝への姿勢が厳しく問われる理由もそこにあるのである。

10月13日付産経新聞朝刊「野田首相に申す」