ソウル新市長誕生は韓国の左傾化 櫻井よしこ
ソウル新市長誕生は韓国の左傾化
櫻井よしこ
10月26日投開票のソウル市長選挙で無所属の朴元淳(パクウォンスン)氏が、与党ハンナラ党の羅卿?(ナギョンウォン)氏を破って当選した。この結果を評論家の柳根一(ユグンイル)氏は「純血左派」が年来の「宿主」を差し置いて主人公になったと評した。左派そのものの人々が政党や政権を背後から動かすのではなく、自らが直接表舞台に躍り出たというのだ。
ソウル市長選は来年4月の国会議員選挙、12月の大統領選挙の行方を占うといわれるが、そうであるなら、韓国の政治の中枢は来年、完全に左派勢力に握られることになる。
朴氏は菅直人前首相と同じく運動家である。菅氏は弁理士だが朴氏は弁護士だ。両氏の思想信条も似通っていて、自国には厳しいが北朝鮮には寛容だ。菅氏は「政権交代をめざす市民の会」に巨額の献金を行うことで、北朝鮮とのつながりが深いと見られる「市民の党」を事実上援助してきた。朴氏は、2010年に北朝鮮が韓国の哨戒艦天安号を攻撃し沈没させた責任は、北朝鮮を刺激した李明博政権にあると語り、あからさまな北朝鮮擁護の姿勢を見せた。
北朝鮮も朴氏の選挙に肩入れした。26日の「産経新聞」で加藤達也記者は、「韓国の革新政権誕生を後押ししたい北朝鮮も市長選に“介入”をもくろんだ」として、北朝鮮が連日市長選を報じ、投票直前の24日には一挙に20本の記事を報道したと報じた。その中で北朝鮮は朴氏の対立候補の羅氏を「『腐敗の頭目』と呼び、日本の自衛隊関連行事に参加していたことなどを挙げて非難」した。
革新市長誕生のプロセスを批判するのは韓国切っての言論人、趙甲済(チョウカブチェ)氏だ。投票当日の午後、朴候補陣営が緊急会見し、「午後4時現在、朴候補が薄氷ながら(僅差ながら)負けている」「現時点で非常状況を宣言した。自陣営に投票を督励する」と檄をとばしたことへの批判である。
落選運動も展開
その時点での出口調査は朴候補優勢を示していたにも拘わらず、正反対の情報を流して投票を促したことは重大な選挙法違反だというのだ。
桜美林大学客員教授の洪?(ホンヒヨン)氏は朴氏の「学歴詐称」に言及した。
「投票当日、投票所に中央選挙管理委員会の指示で、紙が貼り出されました。朴候補の学歴の訂正文です。彼はずっとソウル大学法学部中退と自称してきましたが、実は法学部には入ってもいなかった。彼はソウル大学社会学系の学部に入りましたが、2ヵ月余りで除籍されています。無事に最初の1年を修了していれば2年生で法学部や政治学部を選択出来たでしょうが、そこまで行きついてもいない。そこで、学歴詐称を投票所の紙で訂正する。他の国でこんなことが通用するでしょうか」
だが、いまや氏は韓国の首都の長だ。氏がここまで辿りついた手法の一端が『ろうそくデモを越えて 韓国社会はどこに行くのか』{川瀬俊治、文京洙(ムンギョンス)編、東方出版}に記されている。立命館大学国際関係学部教授の文京洙氏の問いに答えて朴氏は市民運動団体、参与連帯について語る。
運動ではまず法治主義に基づき、「非民主主義的な法」を新法に変える。次に新法を正しく実践させるために告発、訴訟運動を展開するというものだ。朴氏は右の運動を法案制定、法改正、告訴告発、公益的訴訟の4段階で説明し、96~00年の4年間に78の法案を請願し、半分が可決、成立した旨述べている。
参与連帯は情報公開運動にも熱心だ。一株株主を増やし、情報公開を請求し、訴訟に持ち込む手法である。結果、SKグループの崔泰源(チェテウォン)会長、新東亜グループの崔淳永(チェスニョン)氏、現代自動車の鄭夢九(チョンモング)会長らが逮捕され、三星の李健煕(イゴニ)会長は起訴されたとの事例を示し、「韓国の財閥が様変わりしました」と誇る。参与連帯は00年に特定候補者に的を絞って落選運動も展開し、狙った候補者の「90%以上」を落選させた。舌を巻くほどのプロの運動家なのだ。
参与連帯の仕事を後進に譲ったあと、氏は「美しい財団」「美しい店」を次々に作った。美しい財団創設の目的は運動継続のための資金集めだ。これを朴氏は「1%分かち合い運動」とも呼び、収入や利益の1%分の寄付を募る。韓国宮廷ドラマ「チャングムの誓い」で人気の李英愛(イヨンエ)氏が「チャングム……」の出演料を全額寄付し、李明博大統領がソウル市長時代の4年間の給与全額を寄付したほどの成功をおさめた。
リサイクルショップの美しい店は、人気の高い女優や俳優が衣装を寄付したりして、これまた成功した。
こうして朴氏の手元には潤沢な資金が流れ込んだ。参与連帯を支える左派的思想がそれだけ、韓国社会に浸透しているのだ。その流れの中で03年、遂に「参与政府」を名乗る盧武鉉政権が誕生した。朴氏が前掲書で語っている。
「参与政府の下では市民団体に所属した人々が政府にたくさん入りました。(中略)国家人権委員会のような機関は、実際は市民団体の機関といっていいくらいです。(中略)以前には政府と闘争した人々が国家公務員になったのです。各種委員会を通して、市民運動をした人々が国家の意志決定にたくさん参加するようになりました」
「日本希望製作所」を開設
私はつい菅氏や仙谷由人氏らの政権を連想してしまうが、この状態を朴氏は「この間(盧武鉉政権の時期)は一つ釜の飯を食べるような関係になってしまった」と描写する。革新的市民運動と極左政権といっても過言ではない盧武鉉政権が一体化したといっているのだ。
それでも朴氏は満足せず、希望製作所を作った。これは地方自治体の首長や公務員をはじめ、社会の先頭に立つべき人々を教育し、一定方向に導いていくことを旨とする組織だ。政権と「一つ釜の飯を食べる」ことで市民運動は満足する反面、さらなる目標を忘れてしまう。それでは不十分で、もっと革新的、革命的な政策を推進し、社会を根本的に変えなければならないという考えだ。氏にとって革新や革命に終わりはないのだ。こうした年来の言動から、「純血左派」と断じられる氏は、00年に3ヵ月間日本を訪れた際の感慨を、こう語っている。
「生協の方々を見れば概して全共闘世代の人々が(日本の)各分野に広がっていったように見受けられます。(中略)ただし新しい世代を、運動に情熱を持った世代としてつくり出すことにはやや失敗したのではないか、と感じました」
そのためか、「新しいアジェンダを引き続き生産して提起し、また大衆を突き動かして」いく必要性を強調する朴氏は、07年、民主党参議院議員の大河原雅子氏の東京都千代田区飯田橋にある事務所内に「日本希望製作所」を開設済みだ。ソウル新市長と来年選ばれる韓国の次期指導者の対日政策は生易しいものではないと心すべきだろう。
『週刊新潮』 2011年11月10日号
日本ルネッサンス 第484回