公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.11.15 (火)

野田氏は米陣営滑り込みセーフ 田久保忠衛

野田氏は米陣営滑り込みセーフ

 杏林大学名誉教授・田久保忠衛  

 目を充血させながら、戦後最大の決断をした(産経新聞)揚げ句に、「交渉参加に向けて関係国との協議に入る」との表現を絞り出した上で、野田佳彦首相はハワイの会議に臨んだ。オバマ米大統領ら各国首脳との会談、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)9カ国首脳会議、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合で、日本の苦渋に満ちた選択がどれだけの同情を呼んだか。それよりハワイを舞台に浮上したのは、米中両国間の思惑の相違であろう。

 ◆ハワイで浮上した米中の相違

 オバマ大統領は中国の胡錦濤国家主席との会談では厳しい言葉で人民元の改革、知的財産権問題をめぐり米議会のいら立ちが高まっていると伝えたほか、南シナ海などにおける航行の自由についても意見交換をした。胡主席は「互いの懸案を尊重し、微妙な問題に適切に対処したい」と例によって余韻のある言葉で応じたようだ。

 米国が主導するTPPに招かれなかったと中国は公に不満を表明し、東南アジア諸国連合(ASEAN)に日中韓3カ国を加えた13カ国の自由貿易協定(FTA)を重視する姿勢を示した。野田首相は辛うじて米陣営に滑り込んだ。13日朝のテレビ番組「日曜討論」でみんなの党代表が唯一人、「TPP交渉参加はむしろ遅きに失した」と発言し、他の出席者はキョトンとしていたが、ハワイの常識では東京の少数意見が多数派だ。

 自民党は早急に党としての見解を統一しないと、深刻な事態にならないだろうか。TPP反対の立場を鮮明にしてきた大島理森副総裁は、「首相には準備もなければ覚悟もない。説明も共感もない。首相の資質が問われる」と述べたが、これはそっくり野田首相を激励する言葉にしていい。

 ◆自民党、正三角形論に傾く?

 気になるのは、谷垣禎一総裁が12日に京都府連の総会で「TPPは日米FTAに限りなく近い意味を持つ。米国と組み過ぎて中国やアジアをオミット(除外)する形になったら、日本のためによくない」とぶったくだりである。経済を念頭に置いた発言であろうが、中国には「政経分離」は通用しない。TPP 反対にのめり込んでいくと、鳩山由紀夫元首相や小沢一郎・民主党元代表らの日米中「正三角関係」に重なっていかないだろうか。野田首相は米国に接近し、自民党は中国に接近する奇妙な互い違いが起こりかねない。

 いまから14年前に、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官が自著、『ザ・グランド・チェスボード』でこう述べている。

 「中国が大国として登場してきたことで、地政戦略上、極めて重要な課題が生まれている。民主国になり、自由市場経済になった中国を、アジアの協力の枠組みの中に取り込むことができれば最高の結果だと言える。しかし、民主主義への道を歩まないまま、経済力と軍事力が増大していけばどうなるか。近隣諸国が何を望み、どう考えようとも『大中華圏』が登場し、それを防ごうとすれば中国との対立が激化するだろう。そうなれば日米関係も緊張する(米国が中国封じ込めを進めたときに、日本がそれに追随することを望むとはかぎらない)。日本政府がアジアにおける日本の役割についての考え方を大転換させかねず、最悪の場合には米国がアジアから撤退せざるを得なくなる」

 これは、米側の懸念をかなり反映していると思う。とすると、TPPや米軍普天間飛行場の移転に関する野田首相の姿勢は「生ぬるい」と批判するのが、本来の自民党的主張ではないのか。

 ◆陰謀論的TPP反対に閉口

 TPP反対論の中には、国益の立場から冷静に経済的利害得失を論じるまっとうな議論のほかに、「米国による陰謀説」に基づいているとしか考えられないおどろおどろしい流説があり、閉口する。米国にはどこの国も考える戦略、戦術はあろうが、日本の国体まで揺るがすような陰謀がTPPに秘められているかどうか。かつて日本の左翼運動の指導者で転向を何度も試みた故清水幾太郎氏に、その理由を直接、訊ねたことがある。

 彼は「戦前軍部に反対し、戦後は左翼と言われ、いまは核武装論を唱えている私は一貫していると信じている。それは反米の一点です」と明言した。反米のイデオロギー、反米、嫌米感情とTPP反対論は峻別しなければならない。

 いわゆる西側の穏健な対中政策は毛沢東以来の中国保守派によって、「和平演変」だと反発を受けた。平和的に体制の転覆を企てる陰謀だというのである。ニクソン大統領以来、米政府が対中政策の基本に据えてきたエンゲージメント(関与)政策も国際社会のあらゆる面における中国の参入を求めてきたから、「和平演変」と考えてよかろう。しかし、改革開放によって豊かになった中国にとり、この言葉は死語になったはずだ。中国をあらゆる面で国際的常識に従わせるエンゲージメント政策の一環としてTPPを考えれば、「米国と組み過ぎ」という発想にはならないはずである。(たくぼ ただえ)

11月15日付産経新聞朝刊「正論」