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2011.12.24 (土)

拉致問題で制裁変える必要なし 東京基督教大学教授・西岡力

 拉致問題で制裁変える必要なし

 東京基督教大学教授・西岡力  

 北朝鮮の独裁者、金正日総書記が死んだ。世界中から無辜(むこ)の民を拉致し数十年抑留し続けている事件の首謀者だった。父親の金日成氏死後、人民への配給を停止し人口の約15%の350万人を餓死させながら、核、ミサイル開発と韓国への政治工作を続けてきた。

 ≪金正日氏は指令出した張本人≫

 1974年、後継者に指名されると、いわゆる「唯一指導体制」を治安機関、党、軍、政府、工作機関、社会全般に構築し、それ以前の朝鮮労働党による一党独裁を金父子個人独裁に変質させた。表向きは金日成氏を偉大な首領としながらも、労働党の公式機構を無視し、全ての情報が自身にのみ集まり、全ての幹部が自らの指示だけを実行し、少しでも己の権威に逆らう者は、地位の高低に関係なく家族連座制で政治犯として処罰する、過酷な体制を築いた。

 外国人拉致も、このような個人独裁体制成立の過程で、金正日氏の指令によって世界規模で行われたテロ行為だった。金正日氏は76年に新しい対南工作の方針を示す演説を行い、その中で、エリートを長期間教育して「指導核心工作員」を養成しなければならないとし、「指導核心工作員」は「日本に行けば日本人に、中国に行けば中国人に、カンボジアに行けばカンボジア人になり、言語、習慣、職業問題を合法的に解決できなければならない」と理由を述べて、「そのため、外国人の教官を連れてこい」と拉致指令を出した。

 ≪指令翌年、翌々年に被害集中≫

 日本政府が認定している拉致被害者17人のうち13人は、その翌年の77年、翌々年の78年の2年間に拉致されている。拉致の対象となったのは、筆者らの調査では、日本を加えて少なくとも12カ国・地域に上っていることが判明している。そのうち、日本と韓国を除く10カ国・地域(タイ、レバノン、ルーマニア、マカオ=現中国特別行政区、シンガポール、マレーシア、ヨルダン、フランス、オランダ、イタリア)からの拉致はすべて77、78の両年に起きている。

 昨年、日本を訪れた大韓航空機爆破テロ(87年)の実行犯の元北朝鮮工作員、金賢姫氏に筆者が直接、尋ねたところ、「金正日の現地化指令については、工作機関の教官からよく聞いていました。私たちが1期生です」という具体的な証言を得た。彼女は平壌外国語大学日本語学科の学生だった80年に、「指導核心工作員」として養成されるべく選抜されている。

 76年の拉致指令を受けて、77、78の両年に世界規模で拉致が行われ、被害者を教官とするための朝鮮語教育や政治教育が行われたうえで、80年から「指導核心工作員」候補が選ばれたのである。

 「工作員の現地化」と関連して元統一戦線部幹部の張哲賢氏は、「現地化は大人になってからでは難しいので、全世界から子供を拉致したが、情緒的な安定を欠いてしまい工作員として使えず失敗、その後、金正日氏は『シバジ』すなわち外国人の男性と北朝鮮の工作員女性の間で子どもを産ませて、その子どもを母親である北朝鮮工作員が育てるよう指示した」と、驚くべき証言をしている。

 2002年9月、テロとの戦いの一環として、北朝鮮を含むテロ支援国家による大量破壊兵器保有の阻止を目標に掲げたブッシュ前米政権の強大な軍事的圧力に脅えた金正日氏は、日本からの多額の資金提供の約束と引き換えに、拉致を認めるという決断をした。

 だが、その際にも、横田めぐみさんや田口八重子さんが死亡したとの嘘の通報をし、偽の遺骨や偽造死亡診断書などを出してきた。「唯一指導体制」のグロテスクな個人独裁政権においては、独裁者本人の決裁がない限り、その責任を認めることはできない。そこで帰国させれば金正日氏の拉致指令を暴露される恐れがある被害者は全員、死亡とされたのである。

 ≪首謀者を継いだ金正恩氏?≫

 筆者らはこれまで、一度、死亡と通報された被害者たちを助け出すためには、北朝鮮に強い圧力をかけ続け、金正日氏本人を追い込むしかない、と主張してきた。

 金正日氏が死んだ今、北朝鮮の政権が息子の金正恩氏による個人独裁体制に順調に移行するかどうかは不透明だ。1994年の金日成氏死後、北朝鮮は核問題などで融和姿勢を装い、だまされた日米韓は大量の食糧と重油などを支援した。金正恩氏の後継体制が安定するには、住民らに配る食糧がどうしても必要だから、同じ詐欺的政策に出てくる可能性は高い。

 日本にとって、拉致命令を下した帳本人の金正日氏の死は、人質を取って立てこもるテロ集団の首謀者が逮捕されないまま病死し、息子が首謀者を継いだに等しく、人質全員解放という譲れない課題が進展したことにはならない。

 したがって、金正恩体制が口で何を言おうと、こちらから先に制裁を緩めたり支援をしたりしてはならない。彼らが、被害者を返すという具体的行動を取るまで圧力を継続し、父親による悪事を認めざる得ないところまで、息子を追い込むほかない。従来の方針を変える必要は全くないのである。(にしおか つとむ)

12月23日付産経新聞朝刊「正論」