公益財団法人 国家基本問題研究所
https://jinf.jp/

役員論文

  • HOME
  • 役員論文
  • 専守防衛ではサイバー戦争に敗ける 櫻井よしこ
2012.02.23 (木)

専守防衛ではサイバー戦争に敗ける 櫻井よしこ

専守防衛ではサイバー戦争に敗ける

 櫻井よしこ  

 「このままでは日本は戦いに負けます。21世紀の戦い、サイバー戦争には完全な勝利か惨めな敗北しかありません。人類のこれまでの戦争のように8割は負けたが2割は勝った、または7割と3割の勝敗、もしくは日露戦争のように、ギリギリの勝利などというものはありません。サイバー戦争の恐ろしさはその点にあるのです」

 こう語るのは陸上自衛隊でサイバー戦部隊「システム防護隊」初代隊長を務めた伊東寛氏である。氏は07年に退官し、現在ラックホールディングス株式会社サイバーセキュリティ研究所所長を務める。

 昨年9月に三菱重工をはじめ日本の防衛産業の中枢企業がサイバー攻撃を受けていたと報じられたが、対日サイバー攻撃はすでに10年以上前から始まっていたとも指摘する。

 2000年前後に顕著になった米国や日本企業に対するサイバー攻撃を、米国は国家的危機ととらえて対策を講じた。片や日本は危機に目をつぶり、被害を隠し、結果、十分な対策をとれずにきたと伊東氏は指摘し、サイバー問題の専門家として、日本の現状を危ぶむ。

 「20世紀の戦争は制空権を持つ側が勝ちましたが、21世紀はサイバー空間を制する側が勝つのです。サイバーは従来の戦争の概念を全くといってよいほど変えたのですが、それに対して、先進国中、最も備えの整っていないのは日本です」

 サイバー戦争の特徴は、まず、攻撃の事実そのものをすぐには探知しにくいことだ。いわんや攻撃を仕掛けた犯人の特定はもっと難しい。

 攻撃側は攻撃の仕組みが実際に作動し始めるまで十分な時間がある。他方、攻撃された側は、それが判明した時点ですでに多大な被害を受け、能力を奪われてしまっている可能性が高い。つまり、サイバー戦争においては必ず、攻撃側が有利で、守るだけの側は決して勝てない。必ず敗れるのだ。

「愛国の攻撃」

 サイバー戦のもうひとつの特徴は、国家でなく個人が仕掛けることの出来る戦争であることだ。戦争はもはや軍人だけが行うものではなくなった。このことは、21世紀の戦争はコントロールが利きにくいことを意味する。軍隊を動かすに当たっては、国も軍も、当然慎重になる。なぜなら、一旦、戦争となれば、多くの兵士の命と国民の命が犠牲になりかねず、そのうえ莫大なコストがかかる。

 しかし、サイバー戦争では、有能なハッカーが、一人または少数で、自分の身を危険に晒すこともなく、莫大なコストをかけることもなく攻撃を仕掛けることが出来る。後述するグルジアの事例に見られるように、多くの市民がその戦いに参加するという現象も起きている。この意味で21世紀は戦争勃発の危険性の高い世紀だと、伊東氏は強調する。

 グルジアの事例とは、08年8月、ロシアがグルジアに軍事侵攻すると、戦闘に呼応してグルジアの大統領府、議会、外務省、国防省、メディアなど国家中枢部へのサイバー攻撃が行われたケースだ。氏の著書『「第5の戦場」サイバー戦の脅威』(祥伝社新書)にはざっと以下のようにまとめられている。

 サイバー攻撃はロシア軍の攻撃ではなく、オンライン・パルチザンと自称したロシアの愛国ハッカーたちが行ったと結論づけられた。グルジア人ハッカーも応戦したが、グルジア側の情報交換サイトがロシア側の攻撃を受け、グルジア側は連携プレーが出来ず、敗北した。ロシア軍は全く、手を染めていないように見えたが、しかし、ロシアの愛国ハッカーをそそのかした可能性もあると指摘されている。

 ネットに溢れる「愛国の攻撃」と聞けば、私たちはすぐに愛国無罪を掲げて反日デモをする中国の若者たちを連想する。21世紀のサイバー戦争では中国人ハッカーたちが日本攻撃で「愛国心」を満足させるという悪夢の構図も浮かんでくる。

 日本、そして米国へのサイバー攻撃の大半が中国によると言われるが、中国はそのように批判されても仕方がない。それを衝撃的に示したのが1999年に発表された『超限戦』だった。世界で注目を浴びた同書は喬良、王湘穂の2人の空軍大佐が書いたもので、中国人民解放軍の考え方を反映していると考えてよい書である。そこで両大佐は、米国との戦争を念頭に、中国の軍事力では勝てないとして、勝つためにはテロ、生物・化学兵器、心理戦などあらゆる手段、戦術を用いるべきだと書いている。サイバー攻撃はその重要な手段のひとつと位置づけられている。事実、中国はサイバー戦力充実のために種々の手を打ってきた。伊東氏が語る。

 「軍の能力だけでは不十分なのです。要員の養成が間に合わず、民間の優秀な人間を会社ごと軍に組み入れるのです。必要が生ずれば社長を隊長にする形で、民間会社をそっくり軍の指揮下に置くわけです」

「核による報復」

 米国はこの事態を正しく「戦争」と定義した。2011年7月に発表された国防総省の報告、「サイバー戦略」には、米国が受けた攻撃の度合いと被害の深刻さに応じて、サイバー攻撃にとどまらず、ミサイルなど通常戦力による武力報復も辞さないと明記されている。具体的にどの程度の攻撃がミサイルによる報復につながるかは書かれていないが、凄まじい決意である。それだけ危機感が深いのだが、それは米国に限らない。かつてロシアは「核による報復」まで言及したと伊東氏は指摘する。

 それでも中国のサイバー攻撃はやまないのである。日本以外の国々は中国同様、攻撃と防御の両面から全力を投じてサイバー戦への備えを整えつつあるが、日本ひとり、動きが非常に鈍い。
「まず、基本的な考え方が異なります。サイバー攻撃を受けたら、それに対処するのは、どの国でも、軍が中心です。しかし、わが国の自衛隊にその任務は与えられていません」

 他国は戦争と見做して軍が対処する。中国による日本へのサイバー攻撃は、人民解放軍総参謀部第3部が担当していることが明らかになっている。第3部の要員は13万人にも上る。凄まじい構えではないか。

 米国もロシアも日本周辺の北朝鮮も韓国もサイバー攻撃を戦争と位置づけているが、当然である。日本だけが自らの置かれた立場と国家としての脆弱性に気がついていないのである。この危機感のなさは現行憲法に由来すると伊東氏は喝破した。
「日本は専守防衛の国です。自衛隊が出動するにしても、防衛出動が必要で、そのためには物理的な破壊や損傷を伴う武力攻撃がなければなりません。サイバー攻撃にはそれがありませんから、対象外なのです」

 このままでは日本は本当に敗北する。

『週刊新潮』 2012年2月23日
日本ルネッサンス 第498回