公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.07.12 (木)

後悔しても反省しない中国人 櫻井よしこ 

後悔しても反省しない中国人

 櫻井よしこ  

過日、常磐線の「スーパーひたち」に乗るために上野駅に向かった。13時発の列車を待っていると、「大変ご迷惑をおかけします。大変申し訳ありません」という放送があった。人身事故発生で電車の到着が大幅に遅れ、折り返し運転も同様に遅れるという説明だった。

詳しい事情はわからないにしても、本当に気の毒だ。ホームにいたかなりの数の人々は皆、こうした事故や悲劇に思いを巡らせたことだろう。各々、携帯電話で必要な連絡をしたりし、静かに電車を待ち続けた。

結論からいうと、電車は30分余り遅れて出発したのだが、その間に幾度お詫び放送が繰り返されたことだろう。電車が発車してからも尚、これでもかというほど続いた。この明らかに過剰な謝罪に、やがて私は、居心地の悪さを感じ始めた。事故は必ずしもJR側の非で起こったのではないであろうに、なぜこうも「深くお詫びします」と、JR側が繰り返すのか。

こんなに謝る民族が日本の他に存在するのだろうか。ここまで謝っては、謝らない国だらけの国際社会ではどうなるのか。謝らない国々の中で不必要なまでに謝り続けるのは、謝罪の適正基準を超えて、精神の卑屈さ、物言えぬ怯えにつながるのではないかなどと考え始めてしまった。そして坂東忠信氏の『新・通訳捜査官』(経済界新書)を想い出した。

坂東氏は警視庁巡査を皮切りに交番、機動隊勤務を経て、中国語の通訳捜査官として活躍、心臓疾患のために2003年に警視庁を退いた。氏は現職時代1000回以上の取り調べに立ち会ったという。氏が相対した中国人は犯罪者だけではなく、捜査に協力した留学生などまともな中国人も多い。そのまともな中国人も含めて、氏が描いた中国人像は、常磐線事故でひたすら謝り続ける日本人とは鮮やかな対極をなしている。日本人と中国人はこれほど違うということを、氏は生々しい事例をまじえつつ、書いている。

中国式抗弁

国際社会や安全保障も所詮、人間の為す業だ。日本人と中国人のこの埋めようのない感性の違いを知ることなしに、日本の前に立ち塞がる中国との問題を解くことは難しい。

氏の中国語通訳捜査官としての経験から見えてくることのひとつが、日本人と中国人にとっての「反省」の意味の違いである。犯人取り調べの最終段階で刑事は、「最後に言いたいことはあるか」とお定まりの質問をするそうだ。これは裁判でも同様だ。裁判官は必ず結審の場で、被告人に、最後の発言の機会を与え、心情を語らせようとする。

日本人ならこの場面で、大概、自分の行為に関する反省の思いを述べ、被害者に対して済まないという気持ちを表現する。しかし、1000件以上の取り調べで本当に反省する中国人には殆ど会ったことがないと坂東氏はいう。彼らは後悔はするが、反省はしないというのだ。

後悔とは、あのタイミングで外出しなければ捕まらなかったのに外出したために逮捕された、そのことを後悔するという類のことだそうだ。被害を与えた店側に対して何も言うことはないのかと、刑事が憮然として尋ねると、中国人被疑者はこう語ったという。

「私もたいへんなんです。どうか私のこと(事情)もよくわかってくれと、お店の人に伝えてください」

中国人にとって、反省とは「するもの」ではなく、相手側に「させるもの」なのだといってよいだろう。

反省しないだけではない。彼らは絶対に自分の罪を認めない。余りに思いがけない中国式抗弁に、坂東氏は自分の中国語がおかしいのではないかと疑ったことも少なくないという。小さな事例を紹介してみよう。

スーパーで鮮魚をバッグに入れて支払いをせずに出たところで捕まりかけ、店員を殴って逃走を図った福建人の男はこう言ったそうだ。

「私は盗んでいません。だって私、魚、嫌いですから。何かの間違いです」

別の福建人の女は、レジを素通りしてデパートの外に出て捕まったときこう言ったそうだ。

「店外レジがあると思ったのよ」

もう一例、或る会社経営者が初めて採用した中国人女性に15万円を貸した。彼女は続いて別の借金を申し入れた。経営者が怪しんで事情を尋ねると、彼女は怪しまれたことを怒り、こう言ったという。

「だいたいそれは私のカネよ!」

つまり、後で返済するといっているのだから、それは自分のカネだという理屈である。

この程度のこと、と軽く見てよい状況ではないのが現実だ。警察庁の発表では2011年に確定された外国人犯罪のうち、中国人によるものが圧倒的に多い。外国人による強盗の35%、窃盗の50%、侵入窃盗の85%、詐欺の58%、万引きの35%、クレジットカードなどの偽造の83%は、中国人の犯罪である。

3つの原因

こうした罪を犯す中国人は、特別に凶悪な人間ではなく、いわゆる「普通の中国人」が多いとも坂東氏は指摘する。日本人なら強盗をするまでには、家族との対立や社会での軋轢、恨みなど、人には言えないいくつかの悩みや段階を経て犯罪に走る場合が多いのに対して、中国人は普通の状態からいきなり重犯罪に走るケースが多いという。

それには3つの原因があると氏は分析している。①日本では親類などのしがらみがないために異邦人として行動する、②罪を犯してもそれに対する罰の恐怖が日本では感じられない、③密入国や不法滞在は被害者が特定出来ないために、犯罪とは考えていないこと、である。

②に関しては、刑務所に送られる中国人が全く日本の警察を恐れていないだけでなく、「病院代はタダ、体の不具合は日本の先進医療で完治させて帰ろう」という意識を共有しており、実際に彼らのために高額医療費を東京都が私たちの税金で払ったケースが幾例も紹介されている。

かつて中国人犯罪者は日本で荒稼ぎして、大金を中国に持ち帰る者が多かったが、現在は、日本定住志向が強まり、「如何にして日本に滞在し続けるか」に工夫を凝らしているとの指摘も切実だ。

実際に日本に住む外国人はかつて、朝鮮半島の人々が最も多かったが、いまや中国人が最大グループを形成し、その数は増えつつある。

しかし、在日中国人のすべてがおかしな人でないのは確かだ。すばらしい人々が多いのも事実だ。だからこそ、何につけても反省し、謝り続ける日本人と、何につけても反省せず決して謝らない中国人とが、互恵の形で折り合い、良い関係を築くには、まず私たち日本人が過剰な反省と謝罪という精神の卑屈さから抜け出さなければならないだろう。

『週刊新潮』 2012年7月12日号
日本ルネッサンス 第517回