公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.08.09 (木)

美智子さまが深められた日台の絆 櫻井よしこ

美智子さまが深められた日台の絆

 櫻井よしこ  

年2回出版の『台湾歌壇』154輯が、7月、台湾から送られてきた。同歌壇は台湾の日本語世代の歌人、呉建堂氏が『台北歌壇』として1968年に創設したのが始まりである。

呉氏は26年生まれ、旧制台北高校から台湾大学医学部に進み、71年には熊本大学医学部より学位を授与されている。多くの病院の院長を務めた氏は、まさに文武両道の人だった。剣道八段教士、第3回世界剣道選手権大会で個人3位の栄誉を手にするなど、見事な実績を残した。

呉氏から台北歌壇を受けつぎ、「台湾歌壇に正名した」のが蔡焜燦氏である。蔡氏は台湾歌壇の巻頭でこう書いている。

「所謂日本語世代の人々の集いだけでは先細って行く懸念がありましたが、歌壇の存在を知って、日本を愛し日本語を学んでいる若い人達が自発的に入会しており、日本の方々の加入も増えています。真に喜ばしい事です」

蔡氏は司馬太郎氏が『台湾紀行』で「老台北」と呼んだ日台の架け橋そのものといってよい人物だ。

台湾といえば、去年の東日本大震災でどれほどの援助の手を日本に差し伸べてくれたかがすぐに想起される。この154輯にも震災当時、台湾歌壇の人々が日本に届けとばかりに詠んだ歌が紹介されている。

「国難の地震と津波に襲はるる/祖国護れと若人励ます」と歌ったのは蔡さんだった。その言葉どおりに多くの人々が寄付だけでなく実際に日本に来て、被災地に入り、寒さの中、援助活動をしてくれた。

林聿修氏は、「遠き日の母国日本の被災地に/桜早よ咲け幸ともなひて」と願った。「桜早よ咲け幸ともなひて」、これこそ日本国民全員の思いだった。林さんと日本人の気持はぴったり重なっている。

台湾人の熱い想いに日本人が励まされ、心からの感謝を表わしたのに対し、劉心心氏はこう詠んだ。
「『ありがとう台湾』といふこの言葉/永久に伝へむ子へまた子へと」

真の皇室外交

これほど日本によくしてくれる台湾に対して、日本外務省は一周年の追悼式典で非礼を働いた。日本政府は台湾代表を、国名を読み上げられて献花する指名献花ではなく、一般参加者と同列に扱ったのである。心ある日本人はおよそ皆、日本政府の措置に立腹し、台湾の人々は深く傷ついた。だが、この傷をいやしたのが皇室だったことが、台湾歌壇に書かれている。

4月19日、天皇皇后両陛下ご主催の春の園遊会に駐日代表の馮寄台氏が招かれた。72年の日中国交正常化に伴う日台国交断絶以来、初めてのお招きだった。両陛下は馮代表に親しくお声をかけられた。園遊会の一部始終は台湾で大々的に報じられ、台湾国民の感動を誘った。

園遊会での一連の出来事に、なぜ、台湾人はこれほど感動するのか。なぜ、72年に一方的に国交を断絶されたことを恨まないのか。台湾歌壇はその理由として日台の長い歴史と深い交流を、明治天皇、昭和天皇のエピソードとして、また、今上陛下と皇后にまつわる物語として紹介している。以下に一部のみ要約する。

剣道の達人の呉氏は67年、東京で開催された国際親善剣道大会で皇太子妃美智子さまと出会った。以来ご縁は続き、93年、『台湾万葉集』を出版した呉氏がその一冊を皇后陛下となられた美智子さまに献上した。ちなみに『台湾万葉集』は、台湾歌壇の同人の歌を編纂したものである。

歌集の献上から間もなく、宮内庁の藤森昭一長官(当時)の丁寧な礼状が届いた。「先生にお礼を申し上げるように」との美智子さまの思し召しを受けてのことだった。しばらくして、同長官の第二信が届き、こう書かれていた。

《去る5月10日、皇后陛下のお召しがあり、同月9日付の朝日新聞の〈折々のうた〉欄に、過日先生から献上された、『台湾万葉集』所載の先生のお歌がとりあげられていることを指摘され、そのことを先生にお知らせするようにとのことでありました。『台湾万葉集』所収の歌は、その後引き続き紹介され、19首に及びましたが、皇后陛下は、〈新聞をコピーし、先生にお送りするように〉とのことでありますので、ここに同封してお送り申し上げます》

皇后美智子さまの、なんと隅々まで心配りの行き届いておられることか。美智子さまが、お会いする一人一人について実によくお心にとめ、記憶していて下さることは多くの人々が語っているが、朝日新聞にまで目を通されての、このこまやかなお気遣いには心底、感動する。

日本と台湾の運命は重なる

大事なことは、これらの交流がみな、日台外交関係が断絶された政治空白の中で行われていたことだ。政治が両国と両国民を隔てても、皇室の存在が日台の絆となって、両国と両国民をしっかりつなぎとめている。この実績があればこそ、台湾の人々は馮代表の園遊会へのご招待をこの上なく喜ばしいこととして歓迎したのである。世に外国を訪ね歩くことが皇室外交であるかのように考える人々がいるが、皇室の、目立たずとも、こうした配慮と深い思いやりこそ、どんな派手な外交も及ばない真の皇室外交であろう。

台湾歌壇の最新号を手にした同じ頃、台湾の元駐日代表である許世楷氏ご夫妻と旧交をあたためる機会があった。台湾は今年1月の総統選挙で国民党の馬英九氏が52%の得票率で再選された。しかし、5月20日の就任式までに支持率は急落し、7月現在15%台にまで落ち込んでいる。支持率急落の原因は、対中外交における顕著な変化だという。たとえば、選挙期間中、在任中は中国とは平和協議という政治交渉はしないと公約していた。しかし、当選後は、政治協議はしないが、政治的交渉の余地があると言い始めた。中国の台湾併合への野望は明らかで、台湾が対中融和策を鮮明にすれば、中国はさらに一歩も二歩も踏み出すだろう。

万が一、台湾の現状維持が危うくなるとき、日本はどこまで何をしてくれるのかと、私との席で許氏が問うたのは当然であろう。

日本と台湾の運命は重なるのであり、日本は台湾のために出来得るすべてをしなければならない。そのことは現在進行中の世界戦略の大変化とも合致する。

西太平洋とインド洋における新しい大戦略は、豪州北部のダーウィン、西部のパース、インドネシアの南方沖の豪州所有のココス島に出現しつつある米軍の拠点と、インドをつなげれば、自ずと見えてくる。その大戦略に当然日本も東南アジアも加わっている。地球儀でよく見てほしい。地政学上、台湾こそアジア・太平洋の安全保障の要なのである。そのことを確認すれば、許氏への答えも自ずと明らかである。日台の絆を改めて感じたのだった。

『週刊新潮』 2012年8月9日号
日本ルネッサンス 第521回