国防の危機! 尖閣を護れ 櫻井よしこ
国防の危機! 尖閣を護れ
櫻井よしこ
尖閣諸島問題で日本に問われているのは、主権の基盤である国土を守る気迫と、最終的に武力をもって戦ってでも守り通す気概があるのかということだ。
領土問題は主権問題でありその余の問題とは決定的に性質が異る。国を取るか取られるかの瀬戸際に立ついまこそ、日本は領土を防衛する究極の気迫と力を現実の形にすべきである。
日本と同様、中国に領土を奪われ、或いは奪われかねない状況の東南アジア諸国の体験から明らかなのは、話し合いだけでは問題は解決しないということだ。軍事力で自国領土を守り通す気概があったとしても、力が不十分なら中国は平然と領土を奪うのだ。
尖閣、竹島、北方領土のすべてで日本外交は惨憺たる敗北を重ねてきた。決然たる国家意思で向き合わなければならない主権問題を、双方の主張を足して二で割って落とし所を探すような外交に終始してきたからだ。主権問題は商取引きではない。にも拘らず最初から妥協点を探ることしかしなかったのが日本外交だ。
対照的なのが中国だ。日本に対してだけではなく、すべての周辺諸国の領土を武力で奪ってきた。戦後、軍事力で国土を広げた唯一の国が中国だという事実を忘れてはならない。
尖閣諸島国有化に動く日本政府に、温家宝首相は10日、「主権と領土問題では、中国政府と人民は絶対に半歩も譲らない」と、人さし指を突き立てて猛反発した。
人民解放軍機関紙「解放軍報」も「われわれには国の領土主権を守る決意と能力がある」として「日本政府に厳かに警告」した。軍事行動に踏み出す可能性を示唆したのである。
李克強副首相は翌日、日本を「ファシズム」にたとえて、「戦後の国際秩序に対する挑戦」とまで詰った。
中国の反日デモは日中国交正常化以来最大規模となったが、中国政府は押さえ込まなかった。領土が「奪われる」のを中国政府も人民も見過ごしはしないとの意思表示だ。事態の先に戦いを見据える「構え」を取ったのだ。日中関係はいまや有事と言うべきだ。
野田政権の対応にはその種の危機感が感じられない。民主党は「話し合えばわかる」「日本側が冷静に対処すれば、やがて事態は鎮静化する」と考えるのだ。
首相は当初、石原慎太郎都知事の船だまりや灯台整備に関する要望を受け入れる方針だった。他方、岡田克也副総理および玄葉光一郎外相以下外務省は中国の怒りを怖れた。特に外務省内では、魚釣島に残されている日本国領有の痕跡さえ消し去るべきだとの信じ難い議論まで行ったという。彼らの国家観なき対中恐怖感に首相も囚われ、政府は摩擦回避に走った。藤村修官房長官は尖閣諸島の現状に変化はなく以前と同じだと、会見で語った。
この局面で内閣のスポークスマンが語るべきことは、尖閣諸島は紛れもない日本の領土で、中国の反発こそ理に適わないということ、日本は領土防衛に必要なすべての措置を講じる決意だということだったはずだ。
しかし、官房長官は、くずれた豆腐のように芯のない声で「国有化しても現状は何も変わりません」と語った。それならなぜ、国有化したのか。藤村氏にこの恥ずかしくも気概のない発言をさせたのは岡田氏、玄葉氏、彼らに耳打ちした外務省であろう。
「A2/AD」戦略
一体、外務省に外交を担う資格はあるのか。彼らは中国の意図の正しい分析も、傍若無人な中国へのアジア各国の対応の研究も、怠ってきた。南シナ海での中国の行動を東シナ海に結びつけて事前に手を打つこともしてこなかった。
中国は1974年以来約40年間、南シナ海で剥き出しの力による恫喝外交を展開してきた。74年に南ベトナム(当時)と戦い西沙諸島を奪ったのも、95年にフィリピンから南沙諸島のミスチーフ環礁を奪ったのも、相手国に中国と渡り合う軍事力がなく、米軍も介入する余裕のないことを見越しての侵略行為だった。
その結果、西沙諸島に2,600メートルの本格的な滑走路が完成、南沙諸島ミスチーフ環礁には対空砲も対艦砲もヘリポートも備え、大型艦船用の突堤も完備した鉄筋コンクリートの軍事施設が完成した。いずれも中国の重要な軍事拠点となった。
力で奪えるのなら、有無をいわさず奪うという、東南アジアの小国でさえ冷静に見極めている中国外交の本質を見きれていないのは、わが国外務省だけだ。
中国が完成を目指す大戦略は「接近阻止・領域拒否」(Anti-Access/Area Denial=A2/AD)と呼ばれる。
接近阻止(A2)とは小笠原諸島を起点に西太平洋ほぼすべてを包み込んで豪州北部までのびる第2列島線内で、中国が軍事展開するとき、米軍の介入を許さない戦略である。主としてミサイルと海軍力で米海軍が同海域に接近すること自体を許さないとするものだ。
領域拒否(AD)は日本列島から台湾、フィリピンを結ぶ第1列島線の海域で米軍が自由に展開出来ないよう阻止する戦略である。主に、中国国内の基地から、ミサイル、攻撃機などを発射、発進させる。駆逐艦、ミサイル艇、潜水艦も中国本土から発進する。
「A2/AD」戦略のギラつく野望を見れば、南シナ海、東シナ海、そして尖閣もすべて自国領だと主張する中国の本気度が伝わってくる。彼らは間違いなくすべて奪う気だ。こうした中国の野望をマレーシアは早くから警戒した。南シナ海侵略の動きに対して、自国の領土領海防護の手を打ってきた。85年には南沙諸島海域のラヤンラヤン島という長さ約7キロ、幅約2キロの環礁に人工島を造成、滑走路を建設し海軍を常駐させた(『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力』川村純彦、小学館101新書)。
92年、中国が南シナ海、東シナ海すべてに中国領有を宣言する領海法を作ったとき、マレーシア国軍参謀総長は「これは戦争だ」と述べた。事の本質を見事に喝破しているではないか。
以来マレーシアは眼前の海に駆逐艦、哨戒機、潜水艦などを、中国は国家海洋局の海監総隊旗艦「海監83号」などを投入し続ける。
2010年、南沙諸島最南端のジェームズ暗礁に中国が「中国最南端の領土」と刻んだ石碑を投入すると、猛反発したマレーシアが同海域で潜水艦演習を行い、ボルネオ島のコタキナバルに航空基地を建設し、ナジブ首相が駐屯する軍人を慰問した(前掲書)。
川村氏はマレーシアの一連の動きを「日本が尖閣に自衛隊を常駐させ、総理大臣が慰問したと同じこと」と書いている。
日米が協力し合えば
さらに小さいパラオも戦っている。今年3月末、中国船がパラオの領海を侵犯した。漁船を装っていたが大型の船外機を何基も備えており、工作船の可能性が高かった。パラオの警備艇を見て逃走した「漁船」に警備艇が発砲して船員1人が死亡、沖合の母船は自ら放火して炎上し、パラオは中国人25名を逮捕した。人口2万人、自前の軍隊も持たない小国パラオが中国政府から「漁民」1人につき1,000ドルの罰金をとった上で17日間拘留し、釈放した。小国といえども気迫で中国の領海侵犯に立ち向かったのだ。
ただパラオは中国の言う第2列島線上にあり、中国は同国を戦略上非常に重要な国と見做している。今回は退いたが中国が諦めることはないだろう。日米共にパラオの事情に無関心であってはならないゆえんだ。
アジア・太平洋戦略でパラオ同様重要な戦略的位置を占めるのが尖閣諸島だ。
豊かな海底資源は日本の貴重な宝である。同時に、高さ約360メートルの尖閣一の高い山は中国監視の鋭い目となる。そこに自衛隊の高性能のレーダーを置けば、日本の排他的経済水域の彼方まで、中国船の動きが手にとるようにわかる。わが国最南端の宮古島のレーダーに魚釣島のレーダーを加えることで、対中監視網をかなり広げられる。
逆に中国に奪われる場合、米第7艦隊も海上自衛隊も台湾海峡に近づくのは容易ではなく、中国による台湾併合の環境が整うだろう。南シナ海の入り口にある台湾を奪われれば、日米両軍は容易に南シナ海に入れず東南アジア諸国は中国の圧力を受けざるを得ない。こうして見ると、尖閣諸島こそアジア・太平洋の平和と秩序のために決定的に重要な戦略拠点なのである。
この島を日本が守り通すには、まずなによりも最速で尖閣諸島に海保の力を結集させ、中国人の上陸を許さないことだ。南シナ海での中国の領土略取は漁民を装う男たちが上陸するところから始まった。また、78年には数百隻の武装中国船が尖閣諸島に押し寄せた。中国人が大挙して押し寄せ上陸するケースも十分考えられる。その事態に備えて、最速で警察部隊を尖閣諸島に駐屯させなければならない。
少し離れた沖合には海上自衛隊の艦船を万一に備えて配備しておくことも忘れてはならない。
尖閣諸島に日本人による守りの体制を作ると同時に現在編成中の来年度予算を基本的に組み直さなければならない。民主党は来年度も防衛予算を大幅に削減する方針だ。中国の軍拡に備えるべく、アジア・太平洋諸国全体が軍拡を急ぐ中、日本のみ軍縮に徹するのは危険である。弱さや隙を見せることが中国の侵入を誘う。そんな愚かな政策は日本国民と日本国、さらにアジア全体に対する責任放棄である。首相は予算配分を改め、防衛予算を大幅に増やすべきだ。
中国人民解放軍第2砲兵部隊が7月24日、新型ICBM「東風(DF)41」の試射を行ったと、8月末に報じられた。DF41は固体燃料式の大陸間弾道ミサイルで射程1万7,000キロ、米本土のすべてを狙う能力がある。南及び東シナ海での覇権を打ちたてるために、中国の前に立ち塞がる米国に対抗可能な強力なミサイルの実戦配備に、中国は近づきつつある。
しかし、日米が協力し合えば、中国抑止の力は十分に構築できる。そのために、防衛費をふやし、日米安保体制の下で南西諸島の守りを固めるべくオスプレイ配備を急ぐのだ。集団的自衛権の行使にも踏み切り、自衛隊を国軍にして国防力を充実させるための憲法改正論議を始めるのだ。
主権と領土は戦っても守り抜くという国家意思を多層的に顕示するときである。
『週刊新潮』 2012年9月27日号
日本ルネッサンス 拡大版 第527回