自国民救出する気概と手段持て 渡辺利夫
終戦67年 単身世帯の急増は亡国への道だ
拓殖大学総長・学長 渡辺利夫
1979年のイラン革命の最中、追放されたパーレビ国王の入国を米国が認めたことに激怒した革命派学生が、テヘランの米大使館を占拠、米外交官を含む53人を人質に取り、444日後に解放に至った事件のことが思い起こされる。当時、私はイスラム研究に携わる親友から、人質たちはこの間、憔悴(しょうすい)することなく、むしろ意気は軒高であったと聞かされた。「米国がわれわれを見捨てるはずがない」と、国家に対する信頼を失った者が誰もいなかったからだという。
≪国、我見捨てずの信頼ありや≫
事実、カーター米大統領は陸海空軍、海兵隊4軍の力を結集して救出作戦を展開、これが失敗に帰するや第2の救出作戦に打って出ようとした。その矢先に国王が死去し、占拠の論拠を失った反体制派が米国と合意して人質解放となったというのが顛末(てんまつ)であった。
77年9月に起こった日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件に遭遇した日本人乗客、96年12月に発生し4カ月余続いたペルー日本大使公邸占拠事件で人質となった多数の日本人のうち、「日本政府が事件解決のために全力を尽くしてくれるに違いない」、そう考えた人が何人いたであろうか。
前者では、福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と言い犯人の要求を丸飲みして事を収め、後者では、橋本龍太郎首相が「平和的解決」を求めてフジモリ大統領の支援を訴えるのみ、結局は大統領の果断により特殊部隊の公邸突入をもってようやく人質は解放となった。卑劣な犯罪に対しては屈辱的な対応を余儀なくされ、さもなくば他国の救出作戦に全面的に頼るしか、日本という国家には自国民を救出する術がない。国家というものの存在のありようが最も鮮明に表出されるのは、そういう劇的な状況においてである。
北朝鮮による拉致被害者は、日本政府の認定によれば、17人である。北朝鮮側は、拉致は13人、うち5人が帰国、残りの8人は死亡としており、これで「拉致はすべて解決済み」という立場を崩す気配はまったくない。私の同僚の荒木和博教授を代表とする特定失踪者問題調査会によれば、拉致の可能性のある失踪者は約470人に及ぶというではないか。
≪国民運動で腰を上げた政府≫
大韓航空機爆破事件が起こって、金正日総書記の指令により115人の乗客をミャンマー上空で爆死させたという事実が、逮捕された北朝鮮の金賢姫(キム・ヒョンヒ)・特殊工作員によって語られ、2カ月後の88年3月26日に当時の国家公安委員長の梶山静六氏が参院予算委員会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」だと公言した。それ以前のことは問わないにせよ、少なくとも日本政府の責任者によるこの公式発言以降に行われた、断固たる意思を欠いた微温的な制裁措置発動、供与の理由に乏しいコメ支援など、日本政府には外交的瑕疵(かし)が多々あったといわねばならない。
唯一の進展が2002年9月17日の小泉純一郎首相の訪朝により日朝首脳会談が行われ、この会談を通じて金正日氏が13人の拉致を認め謝罪、生存者5人が同年10月15日、一時帰国を条件に日本への帰朝が可能になったことである。凄惨(せいさん)な拉致の事実の重大性に気づかされて湧き起こった国民運動に、政府も重い腰を上げざるをえなかったのであろう、ここでは強い意思をみせて、一時帰国だから5人を帰せという北朝鮮の要求をはねのけた。04年5月22日、再度の小泉訪朝により、同日中に蓮池・地村夫妻の子供、7月18日には曽我ひとみさんの家族の帰国も叶(かな)った。しかし、8人死亡の論拠は不自然な捏造以外の何ものでもない。真実はいまなお不明のままである。
≪友よ、全員解放へ心を繋ごう≫
小泉訪朝により事態が進展したのは、被害者家族、横田滋、早紀江夫妻や飯塚繁雄氏たちの、悲劇の事態を知らされて震えるほどの怒りを満身にこめ、なお静かに訥々訴えるあの語りと所作の中に、自国民を救うことのできない日本という国家への不信を国民が共有し、国民運動が大きく盛り上がったからであろう。運動の昂揚(こうよう)に北朝鮮と朝鮮総連が怯(ひる)み、日本政府の前進に道を開いたのである。
日本という国家は家族会と国民運動によって辛くも「救出」されたかのごとくであった。しかし、昂揚は一時的なものに過ぎなかったのか。政府も国民も、次々と繰り出される中国、韓国の攻勢に威圧され、拉致被害も遠い過去へと押しやられつつあるかにみえる。
ダッカ事件、ペルー事件が起こっても、卑劣と非情においてこれ以上もない北朝鮮の明白な国家犯罪を前にしても、自国民救出のための気概と手段を持ち合わせない国家が国家といえるか。小泉訪朝によって署名された日朝平壌宣言なるものには拉致の2文字さえ書き込まれていない。日本には犯罪国家を追い込む外交手段が欠如しているのである。未(いま)だ帰還叶わぬ国人(くにびと)に頭を垂れ、深い贖罪(しょくざい)を心に秘めて非情な彼の国に抗せんとする友よ、いまひとたび、心を繋(つな)ぎ合わせようではないか。(わたなべ としお)
10月16日付産経新聞朝刊「正論」