公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.10.27 (土)

許せぬ拉致担当相「猫の目人事」 西岡力

 許せぬ拉致担当相「猫の目人事」

東京基督教大学教授・西岡力    

 拉致問題担当相を兼務し、命をかけてこの問題に取り組むと公言した田中慶秋法相が、就任1カ月足らずで辞任に追い込まれた。外国系企業から献金を受け、暴力団との交際があったうえ、国会出席を逃げたのだから当然とはいえ、このあっけなさ、言葉の軽さは何なのか。しかも、今年1月に担当相に就いて以来、精力的に動いてきた松原仁氏を突然、田中氏に代えての、この結末である。同氏の後任の担当相は藤村修官房長官が兼務するという。民主党政権になって何と8人目である。

 ≪本気度疑われる田中法相辞任≫

 拉致被害者家族会の代表らは次のようにコメントした。

 「茶番劇みたい。こういう場面を長く見ていると、首相が本当に拉致問題を解決する意思があるのか疑ってしまう。問題を積極的に動かしてくれる人ならば、誰でもいい。担当相を置かなくても首相が直轄でやってくれれば、それでいい」(飯塚繁雄代表)

 「短い期間で交代すると、北朝鮮はしばらく(交渉を)見合わせる。解決が延びてしまうので、残念だ」(横田滋さん)

 「ただうんざりしている。どうして、こんなにコロコロ代わるのか。何を信じていいのか分からない」(横田早紀江さん)

 筆者も全く同感である。

 拉致問題担当相は平成18年、安倍晋三首相が新設した。拉致問題に長く取り組んできた安倍氏は就任するや、全閣僚が参加する拉致問題対策本部をつくり、首相を本部長とし、専属の事務局を内閣官房に置いて独自予算を付けた。対策本部は民主党政権になって改組され、本部長である首相、官房長官、外相、担当相の4人構成に縮小されたが、専属事務局、独自予算の体制は継承された。

 ≪一貫性あった自公政権時代≫

 自公政権時代、担当相は官房長官が兼任し、担当の首相補佐官が置かれた。安倍、福田康夫、麻生太郎と3代の首相にわたって、中山恭子氏(現参議院議員)が補佐官を務め、官房長官交代に伴い担当相が代わっても、取り組みには一貫性があった。中山氏は当初、補佐官と事務局長を兼ねた(福田政権末期の2カ月間は担当相に就任)。官房長官が担当相を兼ね、内閣方針を各省庁に徹底しやすい態勢で、官房機密費という情報予算も臨機応変に使えた。

 政権が民主党に交代するや、担当相は、国家公安委員長か法相の兼任となり、「政治主導」の看板が反映されてか、事務局長も務めることになった。初代担当相は中井洽氏だった。ベテラン議員らしい政治力もあり、予算を倍増させて、増額分の多くを情報費に使うとされた。だが、情報費を一般予算化してしまったことで匿名性、機動性の面で動きにくくなり、結局、情報費の予算執行率は5割を切る状態が続いている。中井氏と事務局との一体感が生まれない中で鳩山由紀夫首相が退陣すると、菅直人政権は就任わずか1年の中井担当相を交代させた。

 そこから猫の目人事が始まる。2代目の柳田稔氏が法相としての失言により2カ月で辞めた後、菅首相は、「たちあがれ日本」との連立を狙って2カ月ほど仙谷由人官房長官に兼任させ、連立交渉が不首尾に終わるや、兼務を解いて中野寛成氏を起用した。

 事務局との一体感も生まれ安定した仕事ぶりを見せていた中野氏は、次の野田佳彦政権成立とともに山岡賢次氏に交代させられた。野田人事の失敗の始まりだった。拉致問題にはほとんど関わっていない山岡氏は、担当副大臣に国土交通副大臣の松原仁氏を持ってきたが、マルチ商法問題などで問責決議を受けて4カ月で退任する。後継したのが松原氏だ。

 ≪官邸、北統一戦線部と接触?≫

 松原氏はさすが専門家だけあって、就任以来、「ご家族が亡くなってから拉致被害者が戻ってきても拉致問題の解決にならない。しかし、北朝鮮が死亡していると言っている人間が、仮に生きているということがあっても、責任は問わない」という的確なメッセージを北朝鮮に発信し続け、意思疎通のルート作りに動いた。

 野田首相はしかし、松原氏を外した別ルートで北朝鮮の統一戦線部と接触したという。拉致を棚上げにし戦没者遺骨問題などで日本の支援や制裁解除を狙う謀略機関である。今、拉致問題を議題とする局長級協議の早期開始を求める日本に、首相は約束を守れと北朝鮮が迫っているという。

 圧力をかけつつ拉致被害者の帰還などを実現させた場合のみ、支援や制裁解除で応じる「行動対行動」を貫くことが対北交渉の鉄則だ。野田首相は閣内でそう唱えてきた松原氏を切り、田中氏を後釜に据えた。野田官邸には、中山補佐官のような人物がいないばかりか、親北と目される議員が今回、補佐官に任命された。

 最近、野田書簡が北朝鮮に送られたという情報が流れているが、人気取りの次元で拉致問題を利用するのなら、野田政権は拉致を軽視したという批判のみならず、国民の命と国の主権を蔑(ないがし)ろにしたとの非難をも浴びるだろう。(にしおか つとむ)
10月26日付産経新聞朝刊「正論」