公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2012.12.05 (水)

3年前の失敗繰り返さぬために 遠藤浩一

 3年前の失敗繰り返さぬために

 評論家、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一  

  

 

 選挙というものは、人間の弱点を体現している。

 この世に完全無欠な人間はいない。間違いだらけの人間の意思を集約した「民意」なるものは、したがって無謬(むびゅう)ではない。

 ≪問われる有権者の「反省」≫

 民意にも、いや民意であるがゆえに、過誤があることを前提として、選挙という民主主義の装置を運転していかなければならないのだが、多くの人は、いともたやすく民意は無謬だとの錯覚に陥る。

 そこで民意に阿諛(あゆ)し追従するのが民主主義だと勘違いする手合いが出てくる。あるいは、民意の弱点を巧妙に利用して権力を操作しようという輩(やから)が後を絶たない。

 3年前の衆議院議員選挙で、民意は、あきらかに誤った判断をした。民主党に3年余も政権を担当させてしまった事態について、私ども有権者は(民主党に票を投じていようといまいと)深く反省しなければならない。誤った判断をしたならば反省し、次の選挙の教訓とする-これが、弱点だらけの民主主義を運営していくにあたっての要諦である。

 つまり、今回の総選挙のテーマは「反省」ということになる。「未来」を名乗る政党が急拵(ごしら)えで出てきた。民主党政権下で失敗が明らかになった子ども手当もどきの政策を性懲りもなく打ち出している。この人たちは反省という言葉を知らぬらしい。いや、反省を知らぬのは有権者の方で、何度でも過ちを犯すだろうと高をくくって、似たような釣餌をぶら下げたのかもしれない。

 この党の売り物は「卒原発」だそうだが、嘉田由紀子代表はテレビ番組で、原子力規制委員会が安全性を担保し、政府が必要と判断した場合は再稼働を容認する、と現実的な見解を示した。おや、この人は一味違うのかなと思いきや、批判に晒(さら)されると「(再稼働は)困難だし、必要性もない」、あっさり撤回してしまった。この瞬間に、「卒原発」が選挙向けのスローガンでしかないことが明らかになった。選挙期間中の思いつき発言で進退窮まった鳩山由紀夫元首相の姿が二重写しに思い出された。

 ≪原発の是非を今問うは性急≫

 福島の原子力発電所事故の記憶が生々しく残っているいま、性急に中長期的政策としての原子力発電の是非を民意に問うのは、適切ではない。原発反対派がいまこそ民意に問うべしと攻勢に出ているのは、民意が動揺しているうちに煽(あお)るだけ煽れということだろう。

 ヒトラーの下で大衆宣伝戦を指揮したゲッベルスは、魚が水を必要とするように都市住民はセンセーションを必要としている、と言い放ったものだが、センセーショナリズムに支配された選挙で、政党党首や候補者の言葉はどんどん過激になる。それが独走すれば、政治は柔軟性と安定性を失う。これも3年前の選挙の教訓である。

 当面の安心と将来の安定を両立させるのが政治の役割であるにもかかわらず、「未来」を標榜(ひょうぼう)するこの政党は(そして他の多くの政党も)、当面の「安心」について空虚なスローガンを叫ぶだけで、代替エネルギーについての説得力ある提案はない。

 問われるべきは、脱(卒)原発か否かではなく、資源なきわが国のエネルギー戦略をどうするかという具体的政策である。成長力を担保しつつ、いかに安全を確かなものにしていくかという難題について、どの党が比較的誠実な姿勢を提示しているのか、有権者は冷静に検討しなければならない。

 ≪総合政策と実現力を争点に≫

 みどりの風は3人の前衆院議員を日本未来の党に合流させるものの、当選すれば復党させる方針だという。「二重党籍で選挙を戦ってもらう」(谷岡郁子共同代表)のだそうな。反原発を前面に押し出して稼げるだけ票を稼ごうという魂胆が見え透いている。現行選挙制度の悪用であり、選挙互助会と批判される所以(ゆえん)である。

 もっとも、綱領なき民主党も実態は選挙互助会に近かった。選挙互助会をつけあがらせたという失敗を繰り返してはなるまい。

 衆議院議員総選挙は政権選択選挙である。複雑で多岐にわたる問題を処理していく政権としてどういう政党の枠組みが相応(ふさわ)しいのかが問われる選挙である。当然のことながら、原発や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の是非などシングル・イシューを争点にしてはならない。国防・安全保障も含め、総合的な政策の妥当性、そしてその実現能力の有無が争点なのである。

 政策実現能力という意味で、選挙後の政権構想について、特に自民党は維新の会などとの協力について、もう少し積極的に方向性を示すべきではないか。有権者もそうした動きを判断材料にする必要がある。合従連衡は選挙後の話というわけにはいかない。

 繰り返す。この選挙で問われているのは有権者自身の反省である。センセーショナリズムとの闘いは、(政治家ももちろんそうだが)有権者こそが引き受けなければならない試練と言わなければならない。(えんどう こういち)

 

12月4日付産経新聞朝刊「正論」