中国の脅威を前に国防軍の必要性 櫻井よしこ
中国の脅威を前に国防軍の必要性
櫻井よしこ
12月16日の衆議院選挙は、日本周辺に押し寄せる危機に、自主独立国としての日本が如何に対処するか、その基本方針を問う選挙であってほしい。各政党は経済やエネルギー問題とともに、わが国の国防体制の脆弱性を是正する方途を語らなければならない。しかし、民主党も一部メディアも自民党と安倍晋三総裁の「国防軍創設」論への批判を強めながら、国防体制の全体像は語ろうとしない。その種の議論は中国の実情を見ればこの上なく的外れだ。
これから10年続く習近平体制が日本に及ぼす脅威の深刻さは11月の中国共産党大会での胡錦濤、習近平両氏の演説から見えてくる。
胡氏は「中国の特色ある社会主義の法体系を整え」「最も広範な愛国統一戦線を固める」と強調し、偉大な中華民族の復興実現のために、「興国の魂」に基づいて、民族の精神と時代の精神を大いに発揚し、中国共産党が「イデオロギー工作の指導権と主導権をしっかり握」ることが重要だと繰り返した。「国防と軍の近代化において一大発展」を遂げ、2020年までに「高度の機械化と情報化という歴史的任務」を達成する。海洋、宇宙、サイバーを重視し、平時において軍事力を積極的に活用し、軍事闘争への備えを絶えず広げ深めるという戦略を延々と語った。
習氏も大会最終日に、胡氏に呼応して演説し、「党」という言葉を20回も口にした。翌々日の党中央軍事委員会拡大会議では「軍事闘争の準備を最優先」すると演説した。
中国共産党総書記に選ばれると同時に、党中央軍事委員会主席に就任し、政権発足初日から、胡錦濤、江沢民両前任者に較べてより強い権力を手にした習氏の、強気発言を受ける形で人民解放軍が顕著な動きを見せた。
理解し難い細野氏の発言
・中国初の空母「遼寧」の発着艦試験が11月25日に行われ、中国共産党機関紙「人民日報」がその「成功」を大きく報じた。少し前には東海艦隊と南海艦隊が東シナ海と南シナ海で、尖閣などを念頭に置いたと考えられる軍事演習を行ったと、中国国営中央テレビが報道した。
・南シナ海、台湾、インドの北部カシミール地方と北東部の州の2つの地域を全て中国領として描いた図柄の旅券を発行した。
・国家海洋局の劉賜貴局長が尖閣周辺海域での海洋監視船の活動を無期限に継続すると発言し、中国海軍が多数の現役軍艦を国家海洋局に譲渡すると発表した。
・中国軍事科学学会常務理事の羅援少将が「釣魚島(尖閣諸島)問題の解決は、中国の軍事力の最終的増大にかかっている」と発言した。
これらは習体制下の中国が東シナ海、尖閣、南シナ海に文字どおり侵略的展開を続けるという意思表示と見るべきだ。そしてこのまま行けば、2030年までに日中の軍事力の差は1対10に広がる。
日本は急いで国防体制を見直さなければならない。いま自衛隊は憲法上も法律上も多くの制約に縛られており、尖閣諸島の守りにさえも支障が出かねないのが実態だ。それらの法的制約を根本的に見直すことが急がれる。軍事力の整備拡充も欠かせず、防衛予算の顕著な増額が必要だ。
自民党は国の在り方について研究して、今年4月に憲法改正草案を公表し、国防軍創設を掲げた。安倍総裁は防衛予算の大幅増を提案した。そのどちらも正しいと私は思う。ところが未だ憲法改正試案もまとめきれていない民主党が「国防軍」について、野田佳彦首相、細野豪志政調会長が揃って的外れな発言をしているのはどうしたことか。
野田首相は「(国防軍創設を公約としたことについて)すぐにでもできること、可能なことを盛り込んだと安倍総裁は言うが、そう簡単にできることなのか」などと批判した。
安倍氏は国防軍創設を「すぐにできること」と発言したわけではあるまい。民主主義の手続きを踏んで行うと明言している。論点をずらして国防軍構想を批判することは、首相自ら日本の危機を招くに等しい。
細野氏の発言も理解し難い。11月25日のNHK「日曜討論」で、氏は、民主党の防衛政策は自民党の基盤的防衛力整備の考え方から転換して、動的防衛力の考えを進めてきたと胸を張った。氏は同件について12日の衆議院予算委員会で森本敏防衛大臣から、自民党との差についてざっと以下のような発言を引き出した。
自民党時代は周辺の脅威に直接対応するというより、標準装備の部隊を満遍なく配備し、必要最小限度の防衛力で抑止力を働かせようとした。民主党はその考えから脱却して部隊の動的運用に切り換えた。これは特に南西方面の島嶼防衛に有効的だという説明だ。
言葉のトリック
細野氏は民主党の防衛政策擁護に走る余り、動的防衛力をもち上げるが、果たして同構想はそれほど立派なものか。本来なら大幅に増やすべき防衛予算を殆ど前年度と同水準に据え置き、艦船も戦闘機も潜水艦も予算不足という理由で、防衛大綱に描かれた装備の充実さえ心許ないのが現状だ。仕様がないので、普段北の方に展開している部隊を、危機のときに急遽南西方面に移動させるというのが動的防衛力構想の一側面である。
同件について、長島昭久防衛副大臣らの努力は承知しているつもりだが、それでも戦力を拡大せず、削減傾向に据え置いたままの動的防衛力構想は多分に言葉のトリックだ。国民は鳩山由紀夫氏以降の民主党の安保政策の出鱈目さを忘れてはいない。その大きな失敗の前で、表現上のトリックとしての動的防衛力に胸を張る姿はどう考えてもおかしい。
細野氏はこうも語っている。
「最近、中国の友人やアメリカの友人と話す機会がありました。(中略)アメリカからもかなり強い懸念が表明されています」
「国防軍」と日本がいえば、中国は勿論自らの異常な軍拡は棚に上げて懸念を表明するだろう。米国内にも抵抗感を抱く人は必ずいるだろう。
しかし、中国はともかく米国には、日本がまともな国防軍とまともな自主独立国を目指して努力することに賛成する人々も多い。細野氏にはそういう人々との交流はないのか。というより、細野氏には中国の脅威が目に入らないのだろうか。
氏は「国防軍の議論は国民世論から言っても、実態論から言っても、相当遊離した話」と語ったが、いまアジア諸国の最大の課題は膨張中国への対処である。領土領海を奪われつつあるアジア諸国と同じく、日本も主権をかけた争いの真っ只中に否応なしに立たされている。そうした状況下で野田、細野両氏の国防軍創設への非難は日本のみならずアジア全体が直面する危機への認識を欠いたものだ。日本の主権を守る健全な精神と、その精神を支える国防軍の創設こそ必要なのである。
『週刊新潮』 日本ルネッサンス
2012年12月6日号 第537回