農業と心中のTPP反対は愚だ 屋山太郎
農業と心中のTPP反対は愚だ
評論家 屋山太郎
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に参加するかどうかで、与党の民主党が割れている。TPPをめぐる党内の会合で、山田正彦前農水相は191人の署名を集めて、強い反対論を展開していた。言論界でも、東谷暁氏らが「平成の開国が国を滅ぼす」式の反対論を唱えている。
貿易協定の歴史に理念あり
農水族、農水官僚も含めて、この人たちは世界の安全や経済の成長がどういう枠組みで発展してきたのか考えたことがあるのか。
第一次大戦も第二次大戦も、開戦に至った動機は、各国が経済的利益を追求した結果、ブロック経済の独善に陥り、傷を深めたからだ。この反省に立って戦後、GATT(関税および貿易に関する一般協定、後のWTO=世界貿易機関)がつくられて、各国が共通の貿易ルールを設定し、経済活動の輪を広げていくことになった。
交渉は、東京ラウンド、ウルグアイ・ラウンド、ドーハ・ラウンドなどと名付けられ、一回の交渉に約10年を費やして、貿易自由化を徐々に進めてきた。先進国と途上国が貿易を自由化しようというのであるから、交易条件が異なり過ぎて、うまくは進まない。
ウルグアイ・ラウンドは農業の自由化問題で行き詰まった。1993年、日本は細川護煕政権時代にコメの関税化を呑(の)む大英断を下した。これが予定通りに進行すれば、現在の800%のコメ関税は漸次、引き下げられ、今頃は関税ゼロが実現していたかもしれない。だが、続いて行われたドーハ・ラウンドで農業問題が進展せずに、交渉は打ち切りとなった。
国際潮流に完全に乗り遅れた
一方で、農業以外の分野で貿易を進めたいという国や農業を含んでも妥協の余地がある国が、互いに貿易協定を結ぶ風潮が強まってきた。交易の態様によって、EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)と形は変わるが、日本は農業部門がほとんど自由化を拒否しているので、農業が支障にならないFTAばかりだ。完全に世界の潮流に乗り遅れている。貿易のGDP(国内総生産)に占める割合は、先進諸国の集まり、OECD(経済協力開発機構)34カ国中最低となっているのだ。
私はかつて、ジュネーブのWTOで貿易交渉を取材したことがあるが、同じ農産品を抱えていても市場を広げた方が得をするということを悟った。貿易は、比較優位の品物が世界に広まり、世界中の人が最良の物を最も安い価格で手に入れられるのが理想である。
日本の農水官僚や農業団体、族議員は将来の利益を見ず、自由化といえば闇雲(やみくも)に反対するだけだ。バナナを自由化しようとしたときには、青森県のリンゴ農家が大反対した。リンゴが売れなくなるというのだ。だが、自由化に踏み切ると、青森リンゴの改良が進んで多種類のリンゴを供給するようになった。今では台湾や中国に輸出され国内消費も格段に増えた。
アメリカンチェリーの輸入自由化に当たっても、山形県を中心とする産地が猛反対したが、今や、山形産サクランボは「高級品化」を遂げる一方、米国のサクランボも大粒化している。日本のサクランボの生産額は、あるシンクタンクの試算によれば、この17年間で1・5倍に増えている。
東谷氏は、米韓FTAは多分、発効しないと述べていた。米韓が発効しないから日本も焦るなという理屈は奇妙だ。が、オバマ米大統領は、国賓として訪米した韓国の李明博大統領との間で米韓関係を経済・貿易分野も含めた「多元的戦略同盟」に格上げすることで合意した。韓国は協定発効後、5年間で農業対策を講ずることになる。同じ経済基盤に立つことは安全保障上も重要な意味がある。
米韓FTAで日本空洞化加速
日本はTPPへの反対理由として、自国の「農業保護」しか見ていないが、韓国は自動車、テレビなど非農業部門の生産性や所得が上がってこそ、自国農産物の消費も増えるのだと理解している。
日本がTPPに加盟するもう一つの意味がある。米韓同盟が経済を加えた多重性を追求しているごとく、米国を中心に太平洋を取り巻く国々との連携を強化し、安全保障の効果を高めることだ。
米韓FTAの発効を機に、円高に伴う日本企業の韓国への流出は加速するだろう。日本企業が韓国で製造して米国に売る場合、関税の2・5%はなくなるからだ。加えて、日本の法人税率が40%なのに対し韓国の法人税率は24%、電力料金は日本の4割と安い。
コメを守ることは日本経済を守ることにならない。農業分野では蔬菜(そさい)、果樹で自立している農家は少なくない。成功している分野ほど国や農協が口を出していない。土木業からの新規参入の希望は多いから、参入を自由にするための農地法の改正が不可欠である。
コメ問題の解決法は二つある。一つは規模拡大する農家に厚い補助をすること。二つ目はコメの品種改良を行う一方、関税を自ら引き下げていくことだ。こうした農業構造の流れを阻害しているのは農協の存在と知るべきだろう。(ややま たろう)
10月18日付産経新聞朝刊「正論」