公益財団法人 国家基本問題研究所
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役員論文

2011.04.22 (金)

国家と共同体を心に刻みつけた 渡辺利夫 

国家と共同体を心に刻みつけた

拓殖大学学長・渡辺利夫

 

 私の上半身にはいくつもの火傷(やけど)の痕がある。大戦時の空襲により真っ赤に燃える甲府の街を恐怖に震え逃げ惑いながら負った火傷である。母の里に避難した後、我(わ)が家のあった辺りに戻った私の目の前に広がっていたのは、2つの地場の百貨店が黒く焼け爛(ただ)れて立っているだけ、他は延々の焼け野原であった。

 東日本大震災、津波が黒く巨大なエネルギーの塊となって太平洋側の町や村を次々と飲み込み吐き捨て残していった瓦礫(がれき)の山は、幼少期の経験と二重写しとなって私のトラウマを呼び戻す。「第2の敗戦」である。

 大震災以前、多くの日本人は国家と共同体に価値を求めず、自由な個として生きることを善しとする気分の中に漂っていた。国家とは口にしにくいから市民社会と言い、国民とも言いにくいので市民と言うような気分である。地球市民などという迷妄の用語を弄ぶ政治家さえいた。私はそういう気分のことをポストモダニズムと呼び、こんな軽薄な気分ではナショナリズム鬱勃たる中国、ロシア、朝鮮半島を近在に擁する日本は彼らと共存することさえ難しいと本欄を通じ何度も主張してきた。

 ≪感銘与えた自衛隊などの献身≫

 実際、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ロシア首脳の国後島訪問、北朝鮮軍による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件と、日本の安全を脅かすことごとが起こったものの、民主党政権は主権国家としてのまともな対応を何もしないままに打ち過ごしてきた。のみならず、日本の安全を保障する唯一の制度的装置たる日米同盟を危殆(きたい)に貶(おとし)めて恬然であった。国家観念の希薄な政権中枢部にあっては、国益とは何かが不分明だったのであろう。

 しかし、東日本大震災がまぎれもなく顕現したのは「国家」であった。このような非常事態に際しては情報収集と危機管理を徹底して一元化し、国民的な力をみずからに引き寄せて事に当たる政治的凝集力が不可欠である。司令塔たるべき官邸のこの面における対応は信じ難いまでに拙劣であった。その責任はいずれ糾弾されねばならないが、いまは言うまい。

 司令塔は機能麻痺(まひ)状態にありながら、それゆえ行動展開には難があったのだろうが、自衛隊、消防、警察、海保などの犠牲を厭(いと)わず被災民の救済に献身する姿に感銘を覚えなかった者は少なかろう。自衛隊は総隊員数の半数10万人余を出動させ、生ける者は能う限り救助し、死せる者は積もる瓦礫を掻き分け探し求め、埋葬に携わって不眠不休の1カ月に耐えた。この光景の中に人々は国家というもののまぎれもない存在を心に深く刻みつけたに違いない。

 米軍は2万人近い兵力を投入、空母ロナルド・レーガンをはじめ20隻の艦艇、140機の航空機をもって救助活動を展開した。日米同盟という国家関係があったればこそである。日本は救助されねばならない国家だ、米国にそう認識させる何ものかを日本という国家はもっていたのである。国家なき市民社会などいう物言いがいかに虚妄であったかは自明である。

 ≪1杯のうどん譲り合う避難所≫

 東日本大震災が露(あら)わにしたもう1つは共同体の強靱(きょうじん)性である。共同体なくして人は人生を全うできない。この余りにも当たり前のことをわれわれは忘れ、個として生きることが善きことであるかのような幻想を抱いてこなかったか。温かいうどんが配られると聞いて避難所前に整列した人たちが、配られるのは20数杯だと言われて、受け取ったうどんの茶碗(ちゃわん)を後ろの人に渡し、渡された人がさらに後ろの人に渡していって最後には老人と子供にこれが行き着くといった光景をみて、私の胸はつまる。

 共同体を共同体たらしめている精神と原理が、東北地方の農漁村の共同体の中には、しなやかにも生きていたのである。共同体を蘇生(そせい)させねばならない。全うな共同体に支えられずして、全うな国家が存立できるはずはないからである。政権中枢部のぶざまな不作為は、被災地住民からなる共同体の忍耐強い相互扶助によって、辛くも救われているのではないか。

 ≪「天罰」ではなく「天恵」に≫

 日本人の精神の一番奥深いところにある共同体の精神と原理が消失していない以上、いずれ被災地は復興するに違いない。長い平成不況の中を漂い、かといって食うに困るわけでもなく、ただ寡黙に沈殿してきた日本の国民に、国家と共同体の重要性を悟らせたものが東日本大震災であったとすれば、これは「天罰」ではなく「天恵」であったと受けとめねばならない。

 「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」

 陛下のこのお言葉の中に、私どもが求めねばならない国家共同体のありようが、深々と表出されていると私は思うのである。(わたなべ としお)

4月21日付産経新聞朝刊「正論」