ダライ・ラマ法王14世に聞いたチベット亡命政府の民主主義 櫻井よしこ
ダライ・ラマ法王14世に聞いたチベット亡命政府の民主主義
櫻井よしこ
9月19日から約1週間、シンクタンク「国家基本問題研究所」代表団とともにインドおよびダラムサラのチベット亡命政府を訪ねた。デリーではネルー首相が創設した伝統あるシンクタンク「世界問題評議会」で日印合同セミナーを開催し、日本からは安倍晋三元首相をはじめとする自民・民主超党派議員団が同行した。
インドの外交は、日本にいくつもの貴重な教訓を与えてくれる。とりわけチベット亡命政府を受け入れ、半世紀以上にわたって保護してきた実績は高く評価すべきだ。宗教を重んずる国として、チベット仏教徒を保護するのは尊い行為だが、それは中国とのすさまじい軋轢に耐える意思なしにはできない。尖閣諸島周辺の領海侵犯事件で中国の圧力に屈服し、船長を釈放した菅直人、仙谷由人両氏らは、インド政府に国家統治のあり方を学ぶがよい。
デリー空港から約一時間でガガル空港に着く。約40分、文字どおりの悪路を走り、標高2,000メートル、チベット亡命政府のあるダラムサラに着いた。
ダライ・ラマ法王14世は、同地の最も高い山の上の簡素な木造の建物にいらっしゃる。幾段も石段を上がり、やや広い部屋に導かれて行くと、部屋に隣接するバルコニーで、法王が待っておられた。赤い法衣を身にまとい、同色の靴下をはかれている。ここはすでに肌寒い秋なのだ。にこやかな合掌で迎えてくださった法王は約1時間半にわたり、語り続けた。
今年、チベット亡命政府はそれまでの政教一致体制から政教分離体制に移行し、8月8日に43歳の首相、ロブサン・センゲ氏を選挙で選んだ。
「私は16歳で政治権力を引き継ぎました。本来、18歳で政治の責任を引き受けるべきものを(中国の侵略という)非常事態の中で前倒ししたのです。それから60年間、政治を担いました。いま、自ら、心から喜んで、政治を、若い指導者に引き継ぎました。これからはセンゲ首相が政治すべてを担います。正式の引き継ぎをすませた8月8日の夜は、ぐっすり眠りました」
法王は朗らかに笑う。血色のよいツヤツヤした頬といたずらっ子のように表情豊かに輝く目が印象的である。政教分離したいま、法王の後継者、次なる宗教指導者、ダライ・ラマ15世の選出はどうするのだろうか。
「まだ20~30年は私が頑張ります」と、法王はあくまで朗らかだ。
私たちがお会いした2日後、法王はダライ・ラマの生まれ変わりが後継者となる輪廻転生制度について、「私が90歳ぐらいになったとき、高僧やチベット人などに相談して、制度を存続すべきかどうかについて再考したい」との声明を発表した。法王の死を望み、その後の後継者選びに介入する構えの中国を強く牽制したものだ。
「今回、世界中の亡命チベット人が選挙をして、首相を選びました。人々の考える力、判断力に信を置いて自分たちの政府をつくった。これが民主主義です。チベット亡命政府は真の民主化を成し遂げたのです。私は中国にも同様の民主化を促したいと思います」
民衆を弾圧する政治は必ず行き詰まり、民衆への信頼に基づく政治に最終的に敗北すると法王は繰り返し、一つのエピソードを語った。
「インドのシン首相がオバマ大統領に言ったそうです。中印両国を比較すれば、経済面では中国がインドを凌駕している。しかし、民主主義、法の遵守、情報公開、政府の透明性などで、インドは中国より遙かに優れています、と。そこで私はオバマ大統領に、中国指導者と会談するとき、そのことを彼らに伝えてはどうですか、と丁寧かつ柔らかな表現で言いました」
ここで一同はどっと笑ったが、中国を民主化することが、漢民族を含む中国人全体の幸福につながり、周辺諸地域、諸国の幸福に欠かせないという真実を法王は語っているのだ。
『週刊ダイヤモンド』 2011年10月8日号
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